現代企画室編集長・太田昌国の発言のページです。世界と日本の、社会・政治・文化・思想・文学の状況についてのそのときどきの発言が逐一記録されます。「20〜21」とは、世紀の変わり目を表わしています。
2009年の発言

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二本の映画から、歴史と現実を知る           

「支援連ニュース」第311号(2009年1月23日発行)掲載

太田昌国


                一

 年末から年始にかけて、映画を観たり国際ニュースを見聞きしたりしながら考えたことに、いくつか触れておきたい。イランのハナ・マフマルバフ監督の作品『子供の情景』を観た(イラン・フランス合作、二〇〇七年、ダリ語、八一分)。

原題は『仏像は恥辱のあまり倒れた』という。記憶力のよい方は思い出すかもしれない。

ハナの父親で、やはり映画監督であるモフセン・マフマルバフは、「九・一一」事件とそれを理由とした米国のアフガニスタン攻撃の開始によって記憶されることの多い二〇〇一年に、ふたつの重要な仕事をした。

この年、アフガニスタンを支配していたタリバーンが行なったバーミヤンの仏像爆破をめぐって、「重要な文化財を破壊するとは」式の言動で、タリバーンの「野蛮な」行為を非難するだけの言葉に満ち溢れていた世界にあって、「アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない、恥辱のあまり崩れ落ちたのだ」と喝破した。

世界は、アフガニスタンが戦火と飢餓に苦しんできた歳月にはまったく関心を示さなかったのに、仏像破壊のニュースにはじめて強烈な関心を示した。

そのような世界のあり方を、この独特な表現によって言い表したのであった。それは「皮肉」などというものではない、深い悲しみを湛えた表現とでも言うほかはなかった。

またモフセン・マフマルバフは、日本での公開は、ちょうど米国がタリバーン政権を打倒する目的で一方的にアフガニスタン攻撃を開始した時期に重なったのだが、アフガニスタンを舞台にした映画『カンダハール』を制作・発表した。

モフセン・マフマルバフが言葉と映像を駆使して行なったこのふたつの「介入」は、単純極まりない「反テロ・キャンペーン」と「反テロ戦争の煽動」に全面包囲されていた私たちが、事態の本質を把握する複眼的な視点を獲得するうえで、大きな役割を果してくれた。


 さて、一九歳の末娘、ハナの映画は、破壊された仏像がいまも瓦礫となって残るバーミヤンを舞台として展開する。

洞窟に住む六歳の少女バクタイは、隣家の同い年の少年が大声で教科書を読む姿に刺激されて、自分もノートが欲しいと思う。

こころ踊る面白い物語を表現する言葉を身につけたいと思う。家にある卵を持ち出して街へ出る。

あれこれ苦労して、ようやく卵を売って、いくばくかの金を手に入れる。バクタイは一冊のノートを買って学校へ行く。鉛筆は買えなかったから、母親の口紅で代用すればいい。

だが、その途中で、タリバーンを真似た「戦争ごっこ」に興じる男の子たちに取り囲まれ、ノートは次々と引きちぎられて、紙飛行機に姿を変えてしまう。

「女は勉強なんかするな」「髪を見せている女は石投げの刑だ」「おまえはテロリストだから殺す」……執拗に迫る子どもたちを前に、隣家の男の子は叫ぶ、「バクタイ、死んだフリをするんだ! 自由になりたいなら死ぬんだ!」。バクタイは、あの仏像のように倒れた……。


ノートをめぐるエピソードの含意は深い。「多くの国はアフガニスタンに爆弾を落としてこの国を救おうとした。 もし、このとき爆弾ではなくノートが落とされていたなら、この国の文化はずっと豊かになっていたことだろう」とは、当時語られた父親=マフマルバフの言葉である。

少年たちが引きちぎったノートの切れ端は、紙飛行機となって仏像を爆撃するのである。

「子供たちは、大人がつくった世界で生きている」とは、この映画の宣伝のために使われている惹句だが、すぐれた象徴性を内包した作品である。

 

  世界政治の現実に戻ると、就任したばかりの米国大統領オバマは、選挙運動期間中から「反テロ戦争」におけるアフガニスタンの重要性を強調してきた。ブッシュからオバマへの移行期も利用しながら、米国軍の対アフガニスタン増派は進められている。

NATO諸国にも、米国から強い協力要請が繰り返されている。日本も、軍事作戦に従事する外国軍にインド洋で給油するという形で、軍事作戦の一翼を担い続けている。

「爆弾を落としてこの国を救おうとする」大国連合の試みに、終わりは見えない。ハナ・マフマルバフの映画『子供の情景』は、このような状況に、棘のように突き刺さる作品である。

【なお、この映画は、東京では四月一八日から岩波ホールで公開され、以後全国で順次公開される予定】



                二

 スティーヴン・ソダーバーグ監督の二部作『チェ二八歳の革命』と『チェ三九歳別れの手紙』を観た(スペイン・フランス・米国合作、二〇〇八年、スペイン語、前編一三二分、後編一三三分)。原題を直訳すると、前者が『アルゼンチン人』、後者が『ゲリラ』である。

 前編は、一九五六年一一月、メキシコに亡命していたキューバの青年たち八一人に、「アルゼンチン人」のチェ・ゲバラが加わって、総勢八二名が小さなヨットに乗り込み、キューバへ反攻に出てから、一九五九年一月、ついに独裁政権を打倒するまでの時期を扱っている。

短い全生涯を通じて何事にも記録を残す習慣をもつゲバラは、この時期に関しても『革命戦争の回想』という書物を綴った。

ソダーバーグの映画は、この記録を忠実に反映して、創られている。

映画的な工夫があるとすれば、一九六四年一二月の第一九回国連総会において、ゲバラがキューバ代表として行なった有名な国連演説のシーンを、革命戦争を描く過程にカットバック方式で折り込んで、時間軸に重層性をもたせているという点だろう。

戦闘シーンが多いが、観客がわれを忘れて映画にのめり込む弊を避け得るのは、このカットバック技法によって、観客の時間感覚が相対化されるからである。


 ゲバラのこの国連演説では、コンゴ情勢を中心にアフリカへの言及が目立つ。

五ヵ月後の六五年四月にはキューバを出国し、解放運動に加担するためにコンゴに赴くという近未来を知れば、感慨深い。

映画では扱われていないが、ゲバラが国連演説を行なった二日後に、同じニューヨークのハーレムでは、マルコムXがアフリカからの帰国報告会を開いていたというエピソードを付け加えてみる。

米国政府によって「内政干渉」との非難を浴びせかけられることを警戒したゲバラは、この催しを知りながら出席せず、メッセージを送るに留めた。

マルコムXがこれを代読した。ふたりが出会っていたならば、どんな「可能性」が開けただろうかと想像するのは、必ずしも歴史解釈上の「お遊び」ではない。


 ソダーバーグの映画の後編は、一九六六年一一月、偽造旅券を手にしたゲバラがボリビアに入国し、翌年一〇月、政府軍に捕らえられて銃殺されるまでの一一ヵ月間を描く。

ここでも、ソダーバーグは、ゲバラが残した『ボリビア日記』にあくまでも忠実に過程を描く。『日記』を補充する、周辺者からの取材もきわめて綿密である。

現実を知っている者にとってはもちろん、映画の流れを観ていけば、ゲバラたちゲリラが勝利の展望もないままに追い詰められていくだけだ、という構図は透けて見える。

ソダーバーグは、賢明にもゲバラの偶像化を避け、悩み、苦しみ、失敗するゲバラを描いた。そこに、彼は何らかのメッセージを込めたのだと思える。


 ソダーバーグは、キューバ社会主義革命初期の時代をゲバラがどう生きたかを、この二部作では描かなかった。

つまり、一九五九年の革命勝利から一九六六年のゲバラ出国までの歳月は、描く対象から除外されている。

前世紀末、社会主義の失敗は世界的に明らかになったが、その時点で勝利を謳歌した現代資本主義も、ついに破綻した。

いまなお、世界じゅうの人びとの関心をひきつけるゲバラは、社会主義への確信を持ち続けた人物であった。

彼の社会主義と、破綻した二〇世紀型社会主義は、どこでどう重なり合い、どこが違うのか。彼が激烈に行なった資本主意批判は、現在どんな意味をもつのか。

等身大のゲバラ像を描いたソダーバーグにも導かれて、私たちは、その問いを深めていけるヒントを手にしたと言える。


 【なお、この映画の前編は、全国各地のシネコンで公開中。後編は一月三一日から同じくシネコンで公開予定】

 
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