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第五回死刑囚表現展をふり返って |
『出版ニュース』2009年11月中旬号掲載 |
太田昌国 |
一
ある死刑囚の母が亡くなって、遺されたお金を基に、「死刑廃止のための大道寺幸子基金」の運営が始まって五年が過ぎた。
この活動の重要な幹をなすのは、死刑囚から多様な表現を応募してもらい、優れた作品を選考する試みだが、それも今年五度目を迎えた。
文字表現の応募者は一〇人、絵画表現のそれは一一人であった。
毎年の応募で、馴染みになった人がいる。よほどの大事件でない限り、私たちはふつう、死刑囚の名前を聞いてすぐ、その人が関わった事件を思い出すことはないが、それを知らなくても作品を通して親しみを感じたり、その人となりを想像したりする場合も生じるようになった。
作品の変わらぬ基調を思ったり、微妙な変化や心のゆらぎを感じたり、従来のものとは意想外な展開だなと思ったり、さまざまである。
私の場合は、選考日の直前の数日間をかけて文字作品を一気呵成に読むのだが、相当な気合いを入れないと、それはできない。端正な、読みやすい文字もあれば、読み取るには苦労する文字の書き手もいる。
それは市井の社会と同じことだ。後で触れるが、読み進めていくことが内容的に辛くなる場合もある。事件の残酷さを前に、あるいはあまりに「身勝手な」と思える表現のあり方を前にして。
ご本人が言うとおり、冤罪の可能性が強いと思われる人もいて、そのときはさすが胸がざわつく。
そして、死刑囚の表現に接していると、ふと、胸を衝かれることがある。今年は、次のような作品があった。
十六年ぶりに会う十八の娘 「何で殺したん」と嗚咽する。
(西山省三)
弟の出所まで残8年 お互い元気で生きて会いたし
(後藤良次)
歌のうまさ、巧みさを基準に評定するなら、いずれも外れる作品だろう。
でも、いったん目にしてしまうと、すぐには目をそらすことができなくなる、深い何ごとかが、ここには表現されている。
第一首。作者が、他人を殺める事件を起こしたとき、娘は二歳だった。長じて、娘は意を決して、拘置所にいる父に会いにきた。
顔を合わせたとたん、娘はこのことばを口にせざるを得なかった。
事件のことも、ふたりの実人生のことも何ひとつ知らなくても、読む者には、父と娘が送ったであろう十六年間の生活と精神の「情景」が、いくつも浮かんでは、消えていく。それだけの「力」が、おのずと備わっている歌である。
第二首。兄弟ともに獄中にあって、兄は死刑囚であり、弟も「残8年」というからには、かなり長期の受刑者なのだろう。
この歌にふと胸を衝かれるものがあるとすれば、それは、現在の社会の「底辺」(それは、必ずしも、経済的な意味合いにおいてのみ言うのではない)に澱のように形成されている、犯罪と結びついた「社会層」を意識せざるを得ないからである。これは、誤解を招きやすい表現であることは自覚している。
「社会層」と言っても、それは特定の地域層・階層・職業層・年齢層などのいずれをも名指しするものではない。
盟友、ペルーの教育家にして神父のアレハンドロ・クシアノビッチが言う、人が残酷になり得る社会的な生成根拠のことを言っているのだ。
「無知、貧困、とるに足らぬ存在とされること、社会全体のなかでの孤独感、ことごとく根を引き抜かれていること、それがすべてひとりの人間のなかに凝縮するとき、人は残酷になり得るのだ」(註1)。
クシアノビッチは、死刑囚・故永山則夫の犯罪・転生の過程・遺言などの中身を知り尽くしたうえで、永山が行き着いたのは、この言葉が言い表している地点だったのでは、と推測している。
私の考えでも、この言葉は、一般刑事犯罪が生まれる根拠を衝いている。
昨今の社会を、そのあらゆる側面において観察するならば、犯罪の要因となるこの傾向は、ますます強まっていることに人は気づくだろう。
このことは、累犯者が多いという悲しい現実にも繋がっていく。ふと、胸を衝かれる歌とは、歌の背後に広がる時代の様相を、切なくも垣間見せてくれるものなのだろう。
ひとりで数百もの短歌や俳句を応募する人がいる。時に単調になりがちなその連なりの中に、右に見たような、人をしてはっとさせるような詠み方のものがあるから、すべての作品を読み込む数日間は気が抜けないのだ。
二
文字表現の応募者一〇人のなかから、奨励賞に選ばれたのは高橋和利「冤罪が作られる構造・鶴見事件――抹殺された真実」(四〇〇字×三六二枚)であった。
一九八八年、横浜市鶴見区で起きた不動産経営者夫婦殺害・強盗事件で容疑者として逮捕され、いまは死刑確定囚となった作者が、部分冤罪を訴える内容のものである。
以前から金銭上の付き合いのある被害者宅を作者が訪ねたところ夫婦はすでに何者かに殺されており、周章狼狽した動きのさなかに札束のようなものが入ったビニール袋がふと目に入り、資金繰りに追われていた作者は思わずそれを手にして逃げたものであり、殺人行為は犯していない――これが、作者が言う真相である。
では、なぜ、殺人をも認めた自白調書が残されているのか。そこで、この作品は、警察と検察による取調べ段階における調書の作られ方と凶器鑑定のでたらめさを、繰り返し強調することになる。
選考委員の多くが認めたように、ことの経過は、十分説得的に展開されているとは言えない。
作者と被害者の間にあった従来の諸関係から見れば、作者が殺人行為の容疑者だと「疑われる」理由がそれなりに存在し、自分にとって不利な状況を覆すに足る十分な説明を欠いているからである。
実は、私は、この作者の弁護人・大河内秀明が書いた『無実でも死刑、真犯人はどこに――鶴見事件の真相』と題する著書の編集者であった(現代企画室、一九九八年)。
作品の中には、この著書からの引用が多く、その部分のみは、一見作者に不利にも思える状況に反駁する強靭な論理を展開している。私は、この本の編集段階で、容疑者は部分冤罪であることを確信していた。
弁護人は、客観的な立場から、警察と検察の誘導によって捏造された自白調書に孕まれている矛盾を鋭く衝いた。
とりわけ「やってもいない」作者にあえて凶器の種類や殺人行為における用い方を誘導的に「言わせた」だけに、検察主導の凶器鑑定には隠しようのない欠陥があることの証明方法には、説得力があった。それだけに、当事者自らが書いているこの作品においては、作者を取り囲んでいる「疑わしい」いくつかの事実に対する正面からの自己切開がなされていないことを残念だと思った。
それが象徴的に表われるのは、「窃盗」に関する記述である。金に困っていた作者が、思いがけない現場に居合わせて、そこで目にした現金を持って逃げたという「事実」は、気も動転して頭が真っ白になったときの行動として、あり得ないことではないかもしれない。
しかし、作者は冷静にも、金策がつかなければ後の整理が大変だとしても会社を倒産させる覚悟でいたとか、個人的には自己破産の可能性も考えていたなどと述べている箇所もあるのだから、他ならぬ「窃盗」の記述箇所において、事件当時の、狼狽のあまり混乱した心理状況の記述に留めることなく、二〇年後の現在の視線でふりかえるものがほしいと思った。
他者(この場合は、取調べに当たり、自白調書を「作り上げた」警察と検察)に対する批判を厳しく展開するのは、現在の作者の立場からすれば当然だろうが、己自身の心理と行為を捉えかえす視点が伴ってこそ、他者批判は客観的な説得力を持つのだろうと思う。
力作だけに、あえてそのことを指摘しておきたい。
文字表現に応募した人がすべて男性であるということは、例年もそうなのだが、表現のなかに、マチスモ(男性優位主義)が色濃く現われることを意味する。
今年は、大倉修「不倫の全貌」と岡崎茂男「囮捜査官――覚醒剤とドーベルマン」にそれが顕著だった。
前者は「まえがき」で、被害者と遺族に対する謝罪の気持ちを述べ、自分が犯した事件の「真実」を書き残しておきたいと言う。
作者が実際に行なった方法は、自分の不倫相手の女性を語りの主人公とするというものだった。
人間の限りない想像力の範囲でいえば、あり得ない(あってはならない)設定だとは言えない。
だが、この場合、作者は自分のこと、つまり語りの主人公である女性からすれば不倫相手の人物を、まったく描かないことへの逃げ道としてしまった。
同時に、女性を、自分=作者に言い寄る、ただの「性の亡者」として描くことに終始した。
だが、ほんとうを言えば、「描かない」とか「描く」とか表現するのは避けたいほどに、どの人物も「描けてはいない」。
この作品は四〇〇字詰め一六四枚で、同じ作者は三三二首の短歌も応募している。表現する意欲にあふれている人なのだろう。
短歌には、手記「不倫の全貌」に見られるものとは異なる資質が現われているようにも思う。旺盛な表現欲をまっとうに生かす道を、ぜひとも、模索してほしいと願う。
岡崎茂男「囮捜査官」は、応募作品のひとつの傾向を代表している。主人公である彼女ないしは彼は、美貌・美男であること、ひとたび暴力を行使すれば驚くべき力量でいかなる敵をも瞬時に打ちのめすこと、いつもかなり高価なものを飲食していること、取立てや賭けマージャンで一夜にして巨万の富を手にすること――数百枚もの原稿を埋め尽くしているのは、日時と場所を変えて、これらの情景の繰り返しである。
剥き出しの強欲主義が跋扈する現代社会を生きる人びとの「願望」が、そこには描かれているのか。自己批評の片鱗でも見えてくるなら、この種の表現からも、ひとを惹きつける作品が現われてくるかもしれない。
三
今年応募された絵画作品は、その数と、テーマおよび色彩の多様性において際立った。
初回以降の表現展を思い起こしてみると、絵画作品では、般若心経の写経や、観音像の模写がけっこう目立っていた。
死刑囚が、自らが起こした事件に向き合おうとすると、まずはその種の表現に向かうものなのか、と感じていた。そこを抜け出て、多様なテーマに自由闊達に取り組んだ作品が、今年は選考会場のテーブルの上にあふれた。
A4用紙一五枚から成る謝依俤の水墨画には、選考委員の中から、期せずして「限界突破!」の声が洩れた。
獄中にあって、利用できる用紙の大きさや表現素材に厳しい制限が課せられているなかで、人間が本来的にもつ表現意欲があふれ出ていることを感じたからである。
展示会場では、もちろん、専門家によって裏打ちされて一枚の作品として掲げられた。
細部に描かれたものも、墨の濃淡も一望できて、画人の並々ならぬ力量は、素人目にも明らかだった。
小林竜次「変わらぬ風景」は、獄中の格子窓から見える外の風景を描いていて、冒頭で触れた、ふと、胸を衝かれた短歌を読んだときと同じ感情を味わった。
高橋和利「2010年カレンダー」は、「実用性」にまで及んだ表現領域の拡大が高く評価された。
「ネコ」など四点を出品した金川一作品は、常に新しい工夫を重ねていることが、「二人は仲好し」などの松田康敏作品は、過ぎ去った一時代を髣髴させる表現上の味わいが、それぞれ観る者の感興を誘った。
すべての作品に触れる紙幅はもはやないが、鉛筆画にも得がたい味わいがあることは前提としたうえで、全体として色彩が一段と豊かになったことが、単純にうれしい。
最後に――表現に惹かれて、その表現者が関わった事件を調べたりすることもある。事件を起こした時から、いまその人が表現をなすに至るまでに流れた時間の意味を考える。
冤罪ではないのか、と思えるときには、心が震える。表現を通して一個の人間として相手を知ると、死刑囚のひとりひとりが、かけがえのない人びとであることを確認できる。
「死刑囚表現展」は、五回を積み重ねて、そのような場所になってきたのだと思う。初志では、一〇年の時限を設けて出発した。
その期間内に、死刑制度を廃絶することを目指して。その初志を、五年目を機会に思い起こしておきたい。
(註1)アレハンドロ・クシアノビッチが、二〇〇九年八月一日、東京で開かれた「永山則夫記念:ペルーの子どもたちへ」チャリティトーク&コンサートに寄せたメッセージの一部。
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