現代企画室編集長・太田昌国の発言のページです。世界と日本の、社会・政治・文化・思想・文学の状況についてのそのときどきの発言が逐一記録されます。「20〜21」とは、世紀の変わり目を表わしています。
2009年の発言

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軍艦は往く、往く、西へ、東へ           

『派兵チェック』第197号(2009年4月15日発行)掲載

太田昌国


 物質的には「安定した収入、無料の住居、医療保険、奨学金」に惹かれ、精神的には「抑圧された世界の人々を救うために」イラク戦争に参加した一米国青年がいた。

だが、米軍を迎えるイラク人の顔に浮かぶのは「解放の歓喜」ではなく米軍への「恐怖と怒り」の表情であったことに気づき、これは不当な戦争だと確信してドイツの米軍基地を離れた。

ドイツへの亡命を申請中の彼は、米国では「軍事が文化の一部」になっている、と語る(毎日新聞2009年3月30日付け朝刊)。

ダグラス・ラミスが『なぜアメリカはこんなに戦争をするのか』(晶文社、2003年)を書いたのも、同じような問題意識からだった、といえるだろう。


 日本が湾岸戦争における米国の戦費のうち130億ドルを肩代わりしたり、機雷の掃海艇をペルシャ湾岸に派遣したり、自衛隊のカンボジアPKO(平和維持作戦)派遣を実現したりしようとした、1990年ころの支配層の動きに対して、私たちは反対の言論と行動を展開した。

本誌『派兵チェック』も、まさにこの過程で生まれた。それは、これらを許すなら、敗戦後の民意が辛うじて持続させてきた「非戦」と「反戦」の原理が、一転、「軍事という文化」に巻き込まれると感じたからだ。


 それからほぼ20年ちかくの歳月が経った。私たちの非力を思うべきであろう、あの時期、やはり、反戦の「堤防」は決壊し始めたのだ。

この間にも、アフガニスタンとイラクで米国が主力となって展開してきた一方的な殺戮行為に、自衛隊は明確に加担してきた。

そして20年後のいま、日本の軍艦は、まさに「往く、往く、西へ、東へ」という状況になってしまった。

西へ往ったのは、ソマリア沖で「海賊退治」に当たる海上自衛隊の軍艦である。「不審船」を見つけては、大音響を発して追い払うという「作戦」をすでに2回行なったという。

東へ往ったのは、北朝鮮が発射するかもしれないミサイルのかけらなりとも国土に落ちる場合に、これを迎撃するために、と称して秋田沖に派遣されたイージス艦である。

地上にも、迎撃ミサイルPAC3が緊急配備された。ふだんは秘密をこの上なく尊ぶ自衛隊が、まるで私たちに見せつけるかのように、街なかにもPAC3を配備した。

花見ついでに通りがかった人が、背伸びしてケータイをかざせば、撮ることができるほどに。


 文化とは、まがまがしいものであってはならない。花見酒の肴にもなり、ケータイでのスナップ撮影にも似つかわしい程度に、さりげないものに。

それでいて、政府が発表する諸対策やメディアの報道は、可能な限りおどろおどろしいものに。

その際立って好対照な様子を見聞しながら、この社会も、とうとう「軍事が文化の一部」になりつつあるか、という思いに沈んだ。

軍事の問題である以上、メディアに登場してコメントを行なう者も、自衛隊出身者がますます目立つようになった。

「戦地」に夫や父や子を送る家族・親族も増え続け、いまのところは「戦闘なき」戦争のように見えるが、メディア報道を通じて「日常に戦争」が入り込んできたという印象が、強くする。

戦争が露出してきた、とでも言おうか。少なくとも戦後史のなかでは未知の領域に、私たちの社会は入りつつあるのだと覚悟すべきだろう。


 日本国の支配層は、単純なるナショナリズムを煽動するうえで、北朝鮮=金正日の「暴挙」を大いに活用したといえる。

麻生にとっては、金正日はまことに「便利この上ない敵」であろう。

10年前、金正日は語ったことがある。

「(人工衛星に何億ドルも使うくらいなら)それを人民生活のほうに振り向けられたら、どんなにいいだろうかと思った。

私は人民がちゃんと食べられず、他国のようにいい生活ができていないのを知りながら、国家と民族の尊厳と運命を守り、明日の富強祖国のためにその部門に使うことを許可した」
(労働新聞99年4月22日、毎日新聞09年4月6日鈴木琢磨記者の記事より重引)。


 乏しい国家予算を軍事費に充てざるを得ない苦衷を語った為政者は、古今東西、少なからず、いる。

でも、この金正日の言葉の虚しさは、どうだろう? ミサイルといい衛星といい、他国が自由にやっていることを北朝鮮だけがなにゆえに非難されるのか、という国際基準で言うなら、一定の根拠ある主張を繰り返す陰で、日本では「軍事が文化となる」暗黒が、着々と進行していく。


 冒頭で紹介したドイツ亡命希望の米国青年のことを紹介していたのは、毎日新聞のブリュッセル支局、福島良典記者で、記事の末尾ではフランスの作家・歌手で、反戦歌「脱走兵」をつくり、歌ったボリス・ヴィアンに触れていた。

今年はヴィアン没後50年で、記念アルバムが発売されるようだ。1990年前後、沢田研二がヴィアンの歌をうたうコンサートを開いているが、なかでも「脱走兵」は聴かせる(You Tube で聴取が可能だ)。

「ノンというのだ、戦争を拒否せよ。我らは同じ人間。血を流したいなら、どうぞあなたの血を、猫を被った皆さん、お偉い方々……」と「大統領閣下」に呼びかけるのだ。


 ベトナムでフランスが植民地維持戦争を展開していたころ作られた曲のようだ。日本でも、米国でも、北朝鮮でも、安全地帯にいて戦争を煽る支配者たちの利害は、意外なまでに共通していることを見抜いた抵抗運動が必要だ。

 
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