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「海賊退治」に乗り出す「空賊」国家連合 |
『派兵チェック』第193号(2008年12月15日発行)掲載 |
太田昌国 |
「テロリストは敵だ」と言ってきたものたちが、今度は「海賊は敵だ」と言い始めているようだ。
11月15日付けの朝日新聞朝刊や11月27日付け毎日新聞朝刊に興味深い記事が載った。アフリカはソマリア沖の海岸地域一帯に、長年に及ぶソマリア国の「無政府状態」も手伝って海賊が横行しているというのである。
世界じゅうで起こる海賊事件の3分の1がこの地域に集中しており、人質に危害をくわえることはなく船舶の持ち主との交渉によって身代金を手にするのだが、その総額は3千万ドル(08年度)に上るというのが、英国のシンクタンクの計算だ。
地図を見ればわかるように、ソマリアの海岸線は、紅海、アデン湾、アラビア海、インド洋の接点に当たるという地勢を有している。
石油タンカーや商船の行き交いも激しい海域だ。アデン湾だけで、年間2万隻の船が通航するという。海賊が出没し始めたのは15年ほど前だというが、ここ1、2年で急増している。
社会的・経済的な出来事は、さまざまな因果関係のもとで生まれる。
その出来事を否定し批判する立場、肯定する立場、曖昧な表情でやり過ごす立場――事件によってそれぞれ異なる立場がありえよう。
それを判断する以前に、客観的に捉えなければならぬ事件の性格というものがある。ソマリアの鼻の先にはアラビア半島が広がり、それを超えるとペルシャ湾に至り、その先はクウェートとイラクだ。
アラビア海をオマーン沿いに北へ向かうと、行き着く大陸部はパキスタンでありアフガニスタンである。
上に挙げた地名、国名からわかるように、2001年来、ソマリア沿岸海域は戦場のすぐ間近かにあり続けた。
第一次湾岸戦争の時期から数えるなら、20年近くもの間、戦争が日常の地域だ。米国が主導する反テロ戦争なるものの一環で、日本が給油支援する「不朽の自由作戦」を担う多国籍軍が、「テロリスト」の武器や資金を対象に展開する海上阻止活動の最前線は、ここにある。
バーレーンに本部をもつ米海軍の第5艦隊はもとより、重武装した多国籍の艦隊で海上を制圧すると同時に、そこからも飛び立った爆撃機が人びとの住まう場所をところ構わず爆撃し、命やモノを奪い尽くし、破壊し尽くしてきた。
それらの者どもを、仮に「空賊」と呼ぶならば、その空賊たちの所業を目撃してきた周辺の住民たちのなかから、我らも似たようなことをしようと考えて「海賊」と化す者が現われたところで、私には何の不思議な気持ちも起こらない。
「似たような」と書いたが、限られた報道に基づけば、ここで言う空賊と海賊は「似て非なる」とも言えそうだ。
「海賊」の広報担当官は語っている。「みんな漁師だった。政府が機能しなくなり、外国漁船が魚を取り尽くした。
ごみも捨てる。我々も仕事を失ったので、昨年から海軍の代わりを始めた。海賊ではない。アフリカ一豊かなソマリアの海を守り、問題のある船を逮捕して罰金を取っている」(前掲朝日新聞)。
背景が戦争だけではないことが、この言葉からわかる。世界的な日本食ブームで、各種マグロを外国船が乱獲し、地元漁民が不漁に苦しむという構造も、透けて見えてくる。
人質を丁重に扱い、身代金問題さえ解決すれば返すという「モラル」を維持して民心を掴み、地元に落とすカネで経済的な活況をもたらし、住民の歓迎を受けているという報道もある。
こうして、拠って来るゆえんを見るなら、問題が軍事的に解決できるものではないことは歴然としている。
しかし、EU(欧州連合)は、国連安保理が10月に採択した「関係国に積極的な取り締まりを求める決議」にも依拠して、今後一年間の予定で、艦船5〜6隻、哨戒機2〜3機による海上作戦を実施し、貨物船の警護や海賊行為の防止に当たるという。
去る9日、ブリュッセルで記者会見した欧州連合艦隊司令官は「海上自衛隊の艦船がEUのソマリア沖海上作戦に参加する可能性について、日本政府と協議している」と語っている(毎日新聞08年12月10日付け朝刊)。
「空賊」国家連合が、自らの戦争行為と、対等性・平等性を一顧だにしない世界的な経済秩序を護持したまま、「海賊退治」に乗り出すというのである。
笑わせるな、とはこういう時にこそ使うべき言葉であろう。あらゆる機会を捉えて自衛隊の浮上を図る支配層の目論見を見ておかなければならない。
歴史的に見れば、海賊行為は多くの場合、西欧の植民地政策や貿易政策と密接に結びついていた。
コロンブスの新大陸到達以降、ヨーロッパに産出しない金銀、砂糖、タバコを満載して本国に持ち帰るスペイン艦隊を見て、後発のイギリス、フランス、オランダなどの若者たちが競って海上に出ては、スパインの宝船を襲い、それを我が物にしたのだった。
実に、16世紀後半から18世紀後半にかけての長きにわたって、カリブ海を中心に無数の海賊実話が生まれた。ロンドンやヴェルサイユの支配層から与えられた「私掠許可状」を所持した海賊も多かったことも忘れるわけにはいかない。
なかには面白い人物もいる。19世紀前半、ニューオーリンズを根拠地に活躍したフランス人海賊、ジャン・ラフィットが、波乱万丈の生涯の果てに、『共産主義者宣言』(世に言う『共産党宣言』のことだが、私は前者の呼び名を選ぶ)執筆中のマルクス=エンゲルスとブリュッセルで出会い(1848年)、彼がかつて米国で実践した私掠に基づく共同社会の原理を説明したが、ふたりに一蹴されたなどという逸話も残っている。
ラフィットは『宣言』出版費用の一部を負担したとか、帰米すると当時イリノイ州選出の上院議員であったエイブラハム・リンカーンに『宣言』を贈ったなどの挿話も興味深い。
洩れ伝え聞く「モラル」をもつソマリアの「海賊」の中からも、意想外な人物が生まれ出るかもしれないなどと私は夢想する。
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