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歴史的過去の総括の方法をめぐって |
『派兵チェック』第185号(2008年3月15日発行)掲載 |
太田昌国 |
今年1月下旬に流れた小さなニュースに注目した。1月22日、旧日本軍の軍人・軍属として徴用され、戦死したり戦病死したりした朝鮮人101人分の遺骨が韓国に住む遺族に返還されることになったのだが、それに際して日本政府は韓国から遺族50人を招き、遺骨が保管されていた東京都目黒区にある祐天寺で政府主催の追悼式を行なった、というものである。
これが行なわれること自体は事前に知っていたので、当夜のテレビ・ニュースに注目していた。NHK「ニュースウォッチ9」は、祐天寺の追悼式の様子と遺族の発言をいくつか伝えた。
それに続けて、北海道室蘭の鉄鋼工場への朝鮮人徴用者3人の遺骨を独自に調査し、突き止め、韓国に住む遺族のもとに近々届けるという民間団体の活動についてもかなり詳しく伝えた。長い時間をかけて取材していたことを感じさせる報道であった。
大きなメディアの内部にも、こんな視点で報道に携わるジャーナリストがいることに、かすかな希望を感じた(取材する人はもっといるかもしれないが、それが紙面化されたり、映像として流されることは、きわめて稀なことなのだろう)。
翌日の各紙朝刊の報道ぶりにも注目した。東京で読める限りでは、読売と日本経済新聞以外の各紙が社会面に小さなスペースを割いて、祐天寺での追悼式の模様を報道した。朝日と産経の記事は、民族衣装をまとった遺族の写真入りだった。記事自体には、歴史的な展望を兼ね備えた長めのものは、残念ながら、なかった。
その後『週刊金曜日』2月1日号が伝えたところによれば、メディアが取材できたのは、追悼式の「起立、黙祷」までで、それ以降取材者は会場から締め出された、という。
「関係者」百人のみが参加する場で、日本の副厚生労働相と副外相が追悼の辞を述べた。後者は、1998年段階の日韓共同宣言を引用し、「植民地支配によって多大の損害と苦痛を与えた歴史的事実を謙虚に受け止め、痛切な反省と心からお詫びの気持ちを有している」と表明した。
それから1ヵ月半が過ぎた3月中旬になって、総務相が、「北朝鮮による日本人拉致問題に特に留意すること」をNHK国際放送の放送事項に盛り込むよう電波管理審議会に諮問するという小さなニュースが流れた。
これは安倍前政権時代に打ち出された「拉致問題を最重要視する」方針を福田政権が踏襲することを意味するだけのことのように見える。だが、1ヵ月半の時間幅を隔てて流れたふたつのニュースから、この日本社会のあり方を照らし出す問題性を取り出すことができる。
無理な設定とはいえ、私が仮に政府権限を有する立場にいるとしてみる。歴代政府の、無責任な無為無策の果てに、仮に今回の祐天寺における追悼式を行なうべき立場の一員としてあるとしてみる。そうであるとすれば――大勢の人びとが参加できる会場を用意する。
新聞、テレビ、ラジオなど各種報道陣の取材を要請する。できる限り多くのチャンネルが、追悼式のもようを中継するよう要請する。学校や職場にいる人びとを含めて多数の人びとがそれを観ることを呼びかける。
相手国から招請した遺族の人びとに、充分な発言の時間をとってもらう。私(たち)が行なう挨拶は、この事態の因ってきたる歴史的な所以と過程を分析し、過去に不幸な事態を引き起こしたとしてその後も60年有余ものあいだ事後責任をとらずに過ごしてきた国家責任および(あるいは)企業責任を明らかにし、謝罪と補償の意思を明確に述べる……
そのようなものになるだろう。これは、「夢」のような話なのではない。2月中旬に報道されたオーストラリアのニュースを思い起こしてみよう。
同国では、イギリスの植民地時代から1970年代までの長きにわたって、先住民族アボリジニーに対する「白人同化政策」が歴代政権によって採用されてきた。
アボリジニーの子ども、特に白人との間に生まれた子どもを強制的に親から引き離し、白人家庭や施設で育てるという方法が、国家の政策として行なわれてきた。
アボリジニーの市民権を認めず、住居や職業の制限も露骨になされてきた。2007年末の総選挙で勝利した労働党は、重要な課題として先住民問題への取り組みを公約していたが、ラッド首相が去る2月にそれを実行したのである。
先住民をはじめ全国から詰めかけた数千人の人びとが議会を取り囲み、そこにおける首相の「公式謝罪」演説を見聞きした。全国各地でも多くの人びとが、首相の演説に耳を傾けた。
そこでは、歴代政権が「過去の政策に責任はない」と主張してきたことに関して、現役の首相は「過去の過ちを正し、歴史の新しいページをめくる時がきた」と訴えた。
もちろん、前途には困難な問題も控えているには違いない。だが、最初の、重要な一歩は印された。新聞で見る静止写真からでも、その場に居合わせた人びとの精神的な躍動感が伝わってくる。
先住民族の権利獲得運動を続けてきた先住民女性と首相が握手している写真からでも、議会傍聴者の様子からでも、あの国で何かが変わる決定的な瞬間を迎えていることがわかる。
祐天寺の追悼式を報道する映像からも写真からも、この躍動感が、感じられない。追悼式の「ようなもの」は確かに行なわれたようだが、被害者と加害者の対話は、そこには、ない。
加害側の民衆はひとりとしてその場に参加していない。自国の過去と現在の歴史に関わる事実が広く報道されることによって、人びとがそれを自覚できる機会が、意図的に排除されている。
オーストラリアにしても、イラク攻撃への参加を含めて、問題は抱えている。しかし、上に述べた問題を通してみると、空洞化がきわまった行政府と形骸化が極点に達した議会をもつ社会に生きる私たちには、オーストラリアがまぶしく見える
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