キューバという、北海道と九州を合わせたよりも小さなカリブ海の島には、ひとの心を鷲掴みにする何かがある。
ひとによって、それは、豊かなリズム感にあふれた音楽であったり、それと分かちがたく結びついたダンスであったり、秀作を生み出してきた映画であったり、あるいは、1959年に始まって半世紀あまりの歳月を刻んだ社会革命であったりする。
この国に旅したひとの場合には、もちろん、そこに住む人びとが持つ雰囲気や気持ちのあり方に惹かれる場合もありえよう。
この国にも、日本からの移民の末裔たちが住んでいることは、あまり知られていない。書物としては、上野英信『眉屋私記』(潮出版、1984年)や倉部きよたかの『峠の文化史』(PMC出版、1989年)などのすぐれたものが出ているが、移住者数も多くはないし、元来よその国に移住してから流れてきたひとが多数を占めるから、さほど注目されることもなかった。
決して多くはないキューバへの移住者の中で、沖縄出身者が17%を占めているという事実に着目して、この映画は生まれた。移民史研究において「日本人性」なるものに注目しながら、世代ごとに変遷を重ねるその生活史をたどるという方法論を、映画の製作者は持っていたようだ。
だが、人種にこだわることのない融合・混交社会を作り出しているキューバの現実を見て、沖縄からの移住者を見つめる作家の視点も変わったようだ。
それを端的に言い表しているのが、『サルサとチャンプルー』という映画のタイトルだ。
外国へ移住した人びとが作り出している生活と精神のありようは、実は送り出した国のそれの縮図だと、私は常々考えてきた。
それだけに、〈サルサ〉や〈チャンプルー〉の精神に欠ける日本社会の私たちは、この映画に描かれた、国境を超えた精神性を持つウチナンチュウーとその末裔の人生から、深い示唆を受け取ることができるはずだ。
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