現代企画室編集長・太田昌国の発言のページです。世界と日本の、社会・政治・文化・思想・文学の状況についてのそのときどきの発言が逐一記録されます。「20〜21」とは、世紀の変わり目を表わしています。
2008年の発言

◆「海賊退治」に乗り出す「空賊」国家連合2008/12/20

◆無為な6年間にも、大事な変化は起こっている――拉致問題の底流

◆「皆さんが渋谷の首相の屋敷に向かっていたころ、私(たち)は法相の選挙区、千葉県茂原市にいた」2008/10/31

◆米国式「金融モデル」の敗退の後に来るべきもの2008/10/24

◆私の中の三好十郎208/10/24

◆シベリア出兵とは何だったのか2008/10/02

◆アトミックサンシャインの中へ――ある展覧会について2008/9/10


◆被害者の叫びだけにジャックされるメディア2008/9/7

◆世界銀行とIMFを批判するモーリタニア映画を観て2008/6/17

◆生態系債務の主張と「洞爺湖サミット」議長国2008/5/26

◆〈民族性〉へのこだわりを捨てた地点で生まれた映画2008/5/26

◆公正な「社会」と「経済」へ遍的に問いかける2008/5/26

◆「反カストロ」文書2008/5/26

◆チベット暴動と「社会主義」国家権力2008/3/12

◆歴史的過去の総括の方法をめぐって2008/3/7

◆中国産冷凍餃子問題から見える世界2008/3/7



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米国式「金融モデル」の敗退の後に来るべきもの
『派兵チェック』第191 号(2008年10月15日発行)掲載
太田昌国


 「信用制度の発達につれて、ロンドンのような大きな集中された貨幣市場がつくりだされるが、それらは同時にこれらの証券の取引の中心地でもある。

銀行業者たちは、これらの商人〔証券取引業者〕連中に公衆の貨幣資本を大量に役立てるのであり、こうして賭博師一味が増大する」。

 貨幣(金融)市場を「ロンドン」に限定して挙げていなければ、まるで、現在の金融危機の本質を論じているかのようなこの一節は、19世紀型資本主義の批判的分析を行なったカール・マルクスの『資本論』に見られる(新日本出版社版第3巻、885頁)。

現在の金融危機を作り出しているのは、20世紀末から21世紀初頭の世界を席捲する「新自由主義」金融理論だが、それはマルクスが批判的対象とした19世紀型資本主義と違って格段に洗練されており、いつから使われるようになったのか私は寡聞にして知らぬが、「金融工学」とさえ呼ばれる精緻なものらしい。

その緻密さは、金利や為替のデリバティブ(金融派生商品)取引、不動産や金融債権の証券化、資本市場からの資金調達によるM&A(企業の買収・合併など)などの、最先端の金融「技術」としてもっともよく生かされ、まさしく錬金術師たちに巨額の利益をもたらしたのであった。

「金融工学」といい「精緻」といい、それらは発明者自身による自画自賛の、うぬぼれ的表現にちがいない。

事実、寺島実郎に言わせれば、「リスクですら投資の対象にしてしまう」のが「工学」たるゆえんのようだし、「本来、お金を貸してはいけない人たちにどうやってお金を貸すかという技術だ」とは、米国の金融関係者が寺島に言った「工学」の定義だそうだ(朝日新聞2008年10月9日付朝刊)。もちろん、ジョ−クなのだが、意外と真実を穿ったものなのだろう。


 実際に、問題となっている米国のサブプライム・ローンなるものは、「低信用者向けの住宅ローン」と翻訳されるようだ。

「低信用者」=「お金を貸してはいけない人」! この「工学」の仕組みを知れば、それがいつしか破局を迎えるであろうことは、目先の慾呆け的な思惑に耽溺しない限りは、非工学技術者にも明白なことだと言わなければならない。

住宅ローンを証券化したうえで、それをリスクごとに切り分ける。それらを今度は多様な証券と組み合わせて、また別な証券を次々と作り出す。さらに、それを裏付けにして証券を発行する。そしてまた、証券を買う。


個人や小集団ですら、子どもを思う親や祖父母の心につけ込む「心理工学」を開発できているから、これほどまでに「振り込め詐欺」「オレオレ詐欺」が隆盛を極めているのだが、サブプライム・ローンは「銀行」を背景にしているだけに、そのいかさま手品師にひとしい手つきが、人びとには見えなくなるのであろう。

否、この手つきに象徴される「金融モデル」が、「米国経済の安定性を高めてきた」とし、米国の「グローバルな比較優位性」を誇らしげに語っていたのは、米国大統領経済諮問委員会年次報告の2006年版なのだ(『米国経済白書2006』、毎日新聞社)。

銀行という私的資本だけではない、国家も、この「金融モデル」の背後には、いるのだ。


 かくして、金融業の主導権は、預金を集めて企業に融資する商業銀行から投資銀行に移った。

その投資銀行の破綻が次々と明らかになっているのが、現在の事態である。この国でも、「構造改革」を掲げて「貯蓄から投資へ」と叫び続けた横須賀の男は、機を見るに敏なのか、議員の座から離れようとしている。

確認しておくべきことは、ふたつの方向からきている。17年前のソ連体制崩壊によって、第二次大戦後の戦後世界を規定していた東西冷戦構造は終わりを告げた。

それ以降、「唯一の超大国アメリカ」とか「世界帝国アメリカ」という枠組みの中で、私たちも、対抗する原理を求め続けてきた。

2001年の「9・11」以降は、とりわけそうであった。だが、このような歴史の文脈もまた、終わりの時を迎えている。

ひとつには、ここで論じてきたサブプライム・ローンの破綻を契機とした金融不安である。

ひとつには、米国がアフガニスタンとイラクで行なってきた侵略・占領政策もまた破綻を来たし、確たる見通しも持てないままに、もがいている。

米国の行き詰まりは、経済と政治(軍事)のふたつの方向から、はっきりと見てとることができる。

それは、とりもなおさず、このふたつの局面で米国に追随するばかりであった日本社会に関しても、当てはめることができる。


 この事態をめぐる一連のメディア報道に決定的に欠けているのは、事態を招いた責任者を名指しすることなく、ひたすら世界全体の危機を煽動している点にある。

そして、米国自身が現在のような破局を迎えるはるか以前から、その原因というべき「新自由主義」の暴威によって社会をズタズタに切り裂かれたがゆえに、それに抵抗・克服するために、新自由主義とは正反対の原理に基づいて、新しい世界の秩序を作ろうとしている人びとの動きをまったく無視している点にも、ある。

後者は、とりわけ、ようやく産業先進国にも波及し始めた現在の、「金融」に留まることのない「経済」危機から、先進国やIMFおよび世界銀行などの国際金融機関が押し付ける政策路線の下で長年「経済危機」に喘いできた地域の人びとがいるという、歴史的文脈を取り外すことを意味している。

その意味で、民衆の社会運動のレベルにおいてばかりではなく、政府の政策レベルにおいても、経済モデルの転換を図る動きを見せているラテンアメリカ地域は注目に値する。

そこでは、すでに、平等・対等な多国間機関による、独自銀行の創設、欧米主導のIMFに代わる制度の具体化などが討議され始めている。 


 
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