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無為な6年間にも、大事な変化は起こっている――拉致問題の底流 |
『派兵チェック』第192号(2008年11月15号)掲載 |
太田昌国 |
米国の新大統領が決まり、内外のさまざまな立場の人びとの感想がメディアにあふれた。新聞各紙もそうだったが、NHKテレビ・ニュースは、拉致被害者家族連絡会の会長、事務局長、娘を奪われているシンボル的な存在の夫婦などの談話を詳しく報じた。
NHKの場合にあっては、拉致被害者家族の動静に関する過大な報道ぶりはもはや常態化している。かえってニュース効果が薄れるのではないか、とさえ思われるが、それは私が言うべきことがらではない。
私が繰り返し主張してきたように、拉致問題は、日朝間の問題でしかあり得ない。
6カ国協議の場を利用することも、共和国政府に対して国際的な圧力をかけるよう要請することも、問題解決のために寄与することは、本質的にあり得ない。
植民地支配と戦争後の「処理」を怠ってきた当事国が、ひとり自らの責任において解決の道を探るしかないからである。
米国の新しい大統領の対共和国政策の如何によって、拉致問題の解決が促進されるか、先送りになるか、などという報道の仕方は、ジャーナリストとしての責任を放棄した地点ではじめて可能になる。
共和国に対する米国の強硬な政策が、もしかしたら、問題の解決を早めるかもしれないという形でミスリードしてきた報道姿勢をこの期に及んでも続けているNHKは、被害者家族に見果てぬ夢を見させている点で、かえって罪深いとも思う。
他方で、ひところは家族連絡会の事務局長や副代表を務め、スポークスパースンとして頻繁にメディアで発言していたが、いつしか、少なくとも「マス」メディアにはまったく登場しなくなった関係者もいる。
帰国した拉致被害者、蓮池薫氏の兄、透氏である。
私は、この問題に関する発言を始めたころ、被害者家族が何を言おうとそれを批判することはしまい、と考えていた。気の毒この上ない状況におかれているからである。
だが、透氏の言動がある一線を越えたとき、もはや批判を避けるべきではないと考えた。被害者を思うあまり、日本の軍事大国化を主張するようになった段階において、である。
その後、弟夫婦が帰国し、やがて子どもたちも一緒に暮らすことができるようになった。
いつの頃からか、透氏の言動に変化が見え始めた。事態を歴史的に捉えようとする発言が聞かれるようになったのである。
私は『「拉致」異論』文庫版(河出文庫、2008年3月)への「あとがき」で、その「好ましい」変化に触れた。その後、『世界』7月号、『週刊金曜日』9月19日号、『実話ナックルズ』11月号に、透氏とのインタビュー記事が掲載された。
論旨はますます明快になっている。掲載誌は、いずれもマスメディアではないので、読まれていない方も多いと考え、氏が言うところを以下に簡潔にまとめてみる。
(1)日本政府は稚拙な政治決着をはかろうとして、結果として北朝鮮を4回裏切っている。北朝鮮は、日本政府のことを信用していない。
(2)拉致問題の解決と国交正常化交渉は、同時並行的に行なうほうがよい、
(3)制裁と圧力だけで、相手側が悲鳴を上げて日本側にすり寄ってくるというのは幻想。
(4)拉致問題によって、日本には偏狭なナショナリズムの雰囲気が醸成された。
(5)近代日本の植民地支配などの歴史教育がよくされていない。
(6)正面切って問題に対峙してこなかった日本政府の責任で、弟たちは拉致されたという論理も成り立つかもしれない。
(7)過去の清算をきちんとして、北朝鮮が納得するようにやればよい。
(8)かつてウンギョンちゃんに会うために訪朝を希望した横田さんを止めたことについては謝罪したい。
これらはいずれも、私などが一貫して主張してきたことがらである。しかし、事態の性格上、私などが発言するよりも、蓮池透氏の口から出るほうが、はるかに訴える力が強い。
拉致問題顕在化以降の過程で、氏が果してきた大きな役割を思い返すなら、氏の考え方の「変貌」はマスメディアでこそ正確に取り上げられるべきだろう。
それは、メディアにとっては、自ら行なってきた拉致報道のあり方に関して自己検証を求められる作業になるだろう。
容易にできることではないだろうが、それを試みるジャーナリストが生まれ出ることを、やはり期待したい。
それがマスメディアで行なわれるなら、安倍晋三や中川昭一のような、対北朝鮮強硬派と言われる政治家たちの方針が、歴史的視野も対話性を欠くことで、いかに口先だけの、展望のないものであるかが、暴露されるだろう。
去る10月25日、『韓国併合』100年市民ネットワーク設立記念「反省と和解のための集い」が、京都・龍谷大学で開かれた。2年後の「2010年」をめざして、関西の市民運動の担い手たちが軸になって始まっている運動である。
そこで、蓮池透氏は「2つの国の狭間で翻弄され続ける家族」と題する講演を行なった。
直前にこの情報を知った私は、これは聞く価値のあるものだろうと考えて、参加した。3誌でのインタビューをさらに肉付けした話を聞くことができた。
被害者家族の顔色をうかがうばかりで、家族にもできる同じレベルのことしかしない政府は、自主性もなく、無策だとの発言には、「裏面史」を知る人の言葉だけに、万感の思い(怒りと悲しみ)が込められているだろう。
家族会とも救う会とも距離をとっている氏は、ある覚悟を決めて、発言し始めているように思える。
国交正常化に向けても、拉致問題の解決に向けても、事態が1ミリも動かなかった6年間の中で、もっとも大事な動きが、こうして生まれている。
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