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ラテンアメリカ諸国における新憲法制定が意味すること |
『反改憲運動通信』第4号(2009年7月8日発行)掲載 |
太田昌国 |
ソダーバーグ監督の『チェ39歳別れの手紙』を観た人は、チェ・ゲバラたちが「民衆の海」からの孤立を克服し得ないままに、敗北の過程を辿っていたことを知っただろう。
ボリビア国支配層からすれば、ゲバラたちは「武力をもって内政干渉を試みた無謀なゲリラ」だった。
それから40 年後の2006年、ボリビアには、「異邦人」チェ・ゲバラをも「祖国解放」の途上で斃れた先達に数え上げる大統領が誕生した。アイマラ先住民出身で、MAS(社会主義運動)のエボ・モラレスである。
選挙を通じて大統領に就任した以上、エボは「ゲバラとは異なる方法」で社会変革の諸事業を実現することを目指してきた。
天然ガス資源の国営化、新農地改革による大土地所有制の打破と土地の分配、無年金者をなくす「尊厳年金法」の施行、政党助成金の廃止とこれを「連帯資金」として障害者支援に活用すること、「脱殖民地化」の要としての識字運動(08年12月に非識字克服を宣言)と無償初頭教育計画「私も続けられる」の実施――わずか3年の間に政府主導で実現してきた政策も多い。
だが、国の基本的なあり方は、新しい憲法によって定められる必要があると考えたエボ政権は、制憲議会で民衆参加型の討議を続けてきた。
先住民ではない富裕層の住民が多く住む州や米国からの抵抗と反撥に抗して、社会に浸透していた価値観の根本的な変革を可能にする新憲法案をそこに提出した。
政府提案の新憲法草案は、右派による修正を強いられた条項もあったが07年12月に議会を通過し、09年1月国民投票にかけられ、60%以上の賛成を得て承認された。
新憲法は何を制定しているのだろうか。「新自由主義国家を過去のものにする」ことを前文で謳う新憲法を貫く基本理念は、次のように要約できる――多民族から成る共同体的な民主国家であること、侵略戦争を否定すること(1930年代以来の「宿敵」=隣国パラグアイとも、去る6月、国境紛争を解決した。
戦争犠牲者を追悼する式典を両国で共同開催し、74年前の戦争は石油開発をめぐる欧米企業の策動によって引き起こされたものであり、今後これを繰り返さないことを誓った)、参加型民主主義を徹底すること(無権利状態に放置されてきた先住民族が、憲法草案作りに参画したこと自体、その証しであった)、先住民族の諸権利を保障すること(そこでは、共同体が持つ伝統的な方法によって紛争を処理することを認めている。
つまり、近代国家が依拠する近代法を唯一絶対のものとはしていない)、外国軍の基地を禁止すること、経済的所有制度は「公、民、共同体」の3つから成る混合経済であること(政府内部のイデオローグ、アルバロ・ガルシア副大統領はこれを「アンデス・アマゾン型資本主義」と呼ぶ)、飲用水は人権であること(前政権は、水資源の独占支配をめざす多国籍企業と協調し、水道事業の私企業化を認める法案を議会に提出したが、数多くの犠牲をはらってこれを阻止した経験をもつボリビアの民衆にとって、これは切実な要求である)――
このように、ボリビア新憲法は画期的な内容を含んでおり、エボ・モラレスも「植民地主義はこれで終わった」と語る。
他方、大土地所有者や富裕層が住む東部5州では、国民投票で反対が多数を占めた。
内容豊かな憲法の条文が、我彼の力関係如何では、現実には摩訶不思議なものに化けるという経験を、日本の私たちはしてきている。
だが、「政局」にしか関心のない哀しい社会の政治家どもの言動を日々見ているわが身からすれば、歴史的展望と明快な政治哲学に基づく発言をしているエボたちの試行錯誤には、大きく言えば、人類史の現在と未来に深く示唆するものが孕まれているとつくづく思う。
同じく南米アンデス高原の北限に位置する国、エクアドルでも2007年1月に就任したラファエル・コレア大統領の下で、08年9月に新憲法案が国民投票にかけられ、60%以上の賛成多数で承認された。
これもまた、新自由主義政策によって徹底的に破壊された民衆生活を再建すること、飲用水や食糧に関わる主権を確立すること、外国の超大国の介入・支配を許さず、自立および周辺諸国との相互扶助・連帯・協働によって持続可能な経済システムを建設すること――などを基本方針としている。
新憲法制定に先立って、雇用仲介と派遣労働が禁止され、米国に対する軍事基地貸与協定を更新しないことが決定されたことを見ても、新政権の確固たる現状分析がうかがえる。
もとより、すべてが順調に進むわけではない。コレア政府は、資源開発地域に住む先住民族に対する弾圧など重大な問題も引き起こしている。
09年3月には、NGO「アクシオン・エコロヒカ」が不当な政治介入を行なったとして、その法人格を剥奪した。新憲法が、資源開発に当たってそこに住まう先住民族の「同意」を必要条件と規定しなかったことの「限界」が早くも露呈したと言えよう。
その意味でも、ボリビアやエクアドルの意義深い新動向も「試行錯誤」には違いないのである。
先住民族的要素を大きく繰り込むことによって注目されるボリビアとエクアドルの制憲過程と、ベネズエラのそれとは条件的に大きく異なるが、「試行錯誤」であることには変わりはない。
ウーゴ・チャベス大統領は1998年に就任し、翌99年に新憲法を制定した。
07年には「社会主義」的要素を盛り込んだ大幅改正を企図して国民投票で敗北したが、09年2月には大統領などの任期を制限する条項の撤廃に的を絞って改正を提案して、これを承認させた。
輸出の95%を占める石油と天然ガスによって得られた利益を、貧困層への安価な食糧提供や無償医療の実現に投入し、さらにはキューバやボリビアへの支援(一方的な支援ではなく、相手国もそれぞれ可能な分野の人員や物資を提供している)に向けるなど、チャベス政権は新憲法に依拠した意義深い施策も行なっている。
それだけに、チャベス個人の任期制限撤廃に拘ることなく、後継者が育つ集団的指導体制への移行が不可欠だろう。
制限撤廃のための改憲では、事態を矮小化する。いずれにせよ、ラテンアメリカ各国での新憲法制定の動きは、価値観の根本的な変革を図る思いに溢れていて、刺激的だ。
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