仰天!武蔵野市『民主主義』周遊記(その33)

借金火達磨・巨大政治犯罪都市

税金横領不祥事隠し事件追及では知らなかった愕然「私人起訴」権

2001.8.1 電子手紙の送信日付け順・注釈付き一般公開文書館選り抜粋

2001.7.23.(月)日本にない私人の起訴の権利を語らぬ偽善系弁護士と串刺しで激発主義は怠け者の裏返しと批判

送信日時 :2001年 7月 23日 月曜日 10:53 PM
件名 :[pmn 15646] 偽善系の激発主義は怠け者の裏返し

 7.18.ロフトプラスワンにて、私の方から主役の『偽善系』著者、日垣隆さんに質問したのは、その本で初めて知った以下の事実の位置付けの「重要性」でした。

 私人(個人でも良いでしょう)が刑事事件の起訴をする権利がないのは、日本と北朝鮮とキューバだけだというのです。さらにこれは、その場での日垣さんの回答で分かったことですが、北朝鮮とキューバでは、共産党が起訴の権利を持っているそうですから、それを考慮に入れて逆に見ると、検察だけが起訴の権利を独占しているのは、日本だけということになります。

 日本の私人は、警察や検察に被害を訴えたり告発することはできますが、事件の捜査も告訴もできず、従って、自力では刑事裁判に持ち込めないのです。警察も検察に告訴することができるだけで、検察が起訴しなければ法廷は開かれないのです。

 ところが、イギリスでは私人にしか起訴の権利はないというのですから、まさに真反対です。米軍放送傍受語学で一番困るのはアメリカの田舎訛りですが、かなり前のこと、誰かが誰かを「エンダイト」したというのがしょっちゅうあるので、何をしたのか、襲ったのか、いじめたのか、endite かなと探せど探せど見つからず、、もしや起訴かと和英辞典で探して、indictを発見しました。その後、アメリカ人が「インディクト」と発音するのも聞いたので、「もう訛るんじゃねえぞ!」と怒鳴ったのですが、昨日、イギリス製映画を見て「イギリス生まれなのにアメリカ訛りでしゃべるな!」という台詞を聞いて快哉を叫びました。

 閑話休題。私が上記のことを「初めて知った」のは、当然、これまで一度も聞いたことがなかったからなのですが、これがまた、驚きなのです。私は元々は法律嫌いの文科系ですが、労働裁判をやったために、刑事事件にも首を突っ込みましたし、弁護士との付き合いもあったのに、誰も、このことを言わなかったのです。

「人権の擁護」を旨とする弁護士たちは、つまり、「私人の起訴の権利」を人権とは考えていないのです。だから、日垣さんに「偽善系」と批判されるのです。この権利が無いから、日本の刑法は絵に描いた餅になっているのです。自称人権派弁護士も、 この決定的に重要な権利を「法律家で司法試験合格者の仲間」の検察が独占していることを当然のこととしており、まことにもって鈍感至極なのです。

 ひるがえって、内心忸怩、名目だけでも「法治国」なのに、民事に持ち込める問題でさえも、いちいちやってられるかよ、という状態です。要するに手間が掛かるのです。口は悪いが真の平和主義者の私でさえも、ドラム缶の愛称の単一乾電池10本使用の巨大ラ ジカセを担いで演説する方が楽なので、そちらを選びます。もっと怠け者は、サッカーのフーリガンそこ退け、ジェノバで暴れて、警察の過剰警備批判をしては、自分が正しいのだと言い張ります。

 しかし、1960年安保闘争でも無責任な不良少年が歩道の敷石を剥がして割って、警察官に投げ付け、結果として死者を出す事態を招きました。

 つい最近、花火見物でも死者が出ましたが、子供と老人です。1960年の国会構内でも、警官に追われた群れの横倒しの中で、唯一の女性志願参加者の樺美智子が下敷きになって死んだのです。私自身も、彼女を倒した群れの一人だったのです。それを警察官による「虐殺」と表現し、彼女を殉教者として神格化し、激発を重ねた成れの果てが赤軍派です。激発を擁護することは、同じ愚行の歴史を繰り返すことです。

 同じ生身の警察官の身になってみなさい。貧しい家庭に育って大学には行けず警察学校に学んで、国会警備に駆り出され、怠け者のチンピラ学生から「ポリ公帰れ!」 と怒号を浴び、石を投げるのに耐え抜いて、目前の違法行為を命令を受けて排除し、 それを虐殺と非難されるかと思えば、花火の警備は不十分と批判され、それで「偽善系の慢性左翼病」が嫌いにならなければ、不思議という他ありません。

 私は、武蔵野市の税金横領事件の裏に潜む政治犯罪 [註] を暴くために、昨年、上記のドラム缶活用を初めました。武蔵野警察署前でも最初は妨害されましたが、以後は何度も、「生命の危険を犯して頑張っている皆さん、悪いのは高級官僚です、武蔵野警察署の皆さん、御苦労さん、激励に参りました。武蔵野署だけで結構ですから労働組合を結成しましょう。私が地域労組の委員長になって、相手が警視総監でも警察庁長官でも、交渉を引き受けます」、などと、ぶっぱなしています。

➡ 不祥隠し事件

 本当は、刑事事件も起訴、民事も賠償請求など、ありとあらゆる平和的手段を駆使し、 同時に、上記のような日本の制度の問題点をも解明し、広く知らせる努力をすべきなのです。警察の過剰警備は権力の責任、抗議した方はあくまでも正しいという怠け者の「お粗末論理」は聞き飽きていますから、お止め下さい。でも、日垣さんと同様に大学の法科で学んだことのある人は沢山いるはずなのに、皆さん、煙草に放火したり、下手な放歌しているだけなのでしょうか。


2001.7.29.(日)参議院選挙棄権の弁として危険思想発表:「私人に起訴権が無い日本の三権とは何ぞや?」

送信日時 :2001年 7月 29日 日曜日 9:04 PM
件名 :[pmn 15713] 私人に起訴権が無い日本の三権とは何ぞや?

 私は、別に多数派志向だからではなくて、まったく個人的な気分から、参議院選挙は棄権しました。しかも、それだけでは気が済まないほどの危険な気分なのです。

 参議院選挙の場合には3年に一度の騙されるだけの権利を3年前に行使しました。学生時代に知り合っていた中村敦夫に投票したのですが、後日、演説会に出掛けてみたら、「自衛隊は容認」というので、こりゃまた、やはり騙されたわいと、もう、こりごりしました。

 中村敦夫とは、画面は別として直接、7年前、私が「ガス室の嘘」を調べている頃に、ジャーナリスト会議の集会で再会しました。「ユダヤ人の知り合いは多い」という彼は、私の意見に強く頷きました。『マルコポーロ』廃刊事件の際には、選挙向けに出し始めたばかりの『中村敦夫新聞』を私に無料で送ってきました。そこで彼は、「ガス室の嘘」論を推奨する立場で、「歴史家は何をしちょるか」という主旨の意見を記していましたが、その後、周囲に意見され弁解に努めました。その時に、変節漢と見限って置けば賢明だったとは思いますが、私としたことが、なかなか、そこまでの厳しい峻別ができないのです。

 議員の選挙は、「立法・司法・行政」と暗記したいわゆる三権分立の仕分けで言うと「立法」にかかわる間接代表制の権利なのですが、私は今月中旬、つまりは、参議院選挙公示の直後で、日垣隆さんが新宿ロフトプラスワンに来て私も行く18日の直前に、彼の著書の『偽善系』を読み、私人に起訴権が無い日本の司法の国際的には驚くべき実情の比較を初めて知りました。

 起訴は三権の内の「司法」にかかわる権利です。そこで、「うぬっ、三権とは何ぞや?」と考え始めたら、もう止まりません。文化人類学とかの持ち合わせの知識が、 頭部で渦巻きます。家族にしろ部族にしろ、裸の猿の集団で最初に発生した社会的な合議の行為は、被害の訴えの解決です。行政的な行為はそれと並行します。それらの 習慣が法になるのです。

 つまり、歴史的な順序で言えば、司法が立法よりも先なのです。ところが、手許の安物辞書で確かめると、『岩波国語辞典』では「三権」を「立法権・行政権・司法権」の順序にしており、『広辞苑』では「立法権・司法権・行政権」にしています。

 いずれにしても、国家とかの成立の過程で、私人、家族、部族などが積み重ねてきた習慣、権利は、次々に召し上げられ、順序さえ逆様になり、仇討ちは犯罪となるのに国家の名による大量残虐殺人は事実上野放しとなりました。

 裸の猿の歴史上一番残虐な国家アメリカに追随する日本国の一国民として、私は、 ここに、私人に起訴権を認めないのなら立法権も行政権も認めんよとする危険思想の棄権を犯し、そりゃ聴けんよと今宵の電気紙芝居などは見もせず、明日の新聞も見出しだけしか見る気はないのです。

以上で(その33)終わり。(その34)に続く。


(その34)「家電リサイクル法」愕然!
連載:仰天!武蔵野市「民主主義」周遊記リンク
週刊『憎まれ愚痴』69号の目次に戻る