送信日時 :2001年 7月 29日 日曜日 9:04 PM
件名 :[pmn 15713] 私人に起訴権が無い日本の三権とは何ぞや?
私は、別に多数派志向だからではなくて、まったく個人的な気分から、参議院選挙は棄権しました。しかも、それだけでは気が済まないほどの危険な気分なのです。
参議院選挙の場合には3年に一度の騙されるだけの権利を3年前に行使しました。学生時代に知り合っていた中村敦夫に投票したのですが、後日、演説会に出掛けてみたら、「自衛隊は容認」というので、こりゃまた、やはり騙されたわいと、もう、こりごりしました。
中村敦夫とは、画面は別として直接、7年前、私が「ガス室の嘘」を調べている頃に、ジャーナリスト会議の集会で再会しました。「ユダヤ人の知り合いは多い」という彼は、私の意見に強く頷きました。『マルコポーロ』廃刊事件の際には、選挙向けに出し始めたばかりの『中村敦夫新聞』を私に無料で送ってきました。そこで彼は、「ガス室の嘘」論を推奨する立場で、「歴史家は何をしちょるか」という主旨の意見を記していましたが、その後、周囲に意見され弁解に努めました。その時に、変節漢と見限って置けば賢明だったとは思いますが、私としたことが、なかなか、そこまでの厳しい峻別ができないのです。
議員の選挙は、「立法・司法・行政」と暗記したいわゆる三権分立の仕分けで言うと「立法」にかかわる間接代表制の権利なのですが、私は今月中旬、つまりは、参議院選挙公示の直後で、日垣隆さんが新宿ロフトプラスワンに来て私も行く18日の直前に、彼の著書の『偽善系』を読み、私人に起訴権が無い日本の司法の国際的には驚くべき実情の比較を初めて知りました。
起訴は三権の内の「司法」にかかわる権利です。そこで、「うぬっ、三権とは何ぞや?」と考え始めたら、もう止まりません。文化人類学とかの持ち合わせの知識が、 頭部で渦巻きます。家族にしろ部族にしろ、裸の猿の集団で最初に発生した社会的な合議の行為は、被害の訴えの解決です。行政的な行為はそれと並行します。それらの習慣が法になるのです。
つまり、歴史的な順序で言えば、司法が立法よりも先なのです。ところが、手許の安物辞書で確かめると、『岩波国語辞典』では「三権」を「立法権・行政権・司法権」の順序にしており、『広辞苑』では「立法権・司法権・行政権」にしています。
いずれにしても、国家とかの成立の過程で、私人、家族、部族などが積み重ねてきた習慣、権利は、次々に召し上げられ、順序さえ逆様になり、仇討ちは犯罪となるのに国家の名による大量残虐殺人は事実上野放しとなりました。
裸の猿の歴史上一番残虐な国家アメリカに追随する日本国の一国民として、私は、ここに、私人に起訴権を認めないのなら立法権も行政権も認めんよとする危険思想の棄権を犯し、そりゃ聴けんよと今宵の電気紙芝居などは見もせず、明日の新聞も見出しだけしか見る気はないのです。
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