「9・11」が、まためぐってくる。
丸九年が経つことになる。日本の場合は、それに翌二〇〇二年の「9・17」(日朝首脳会談とピョンヤン宣言)が付け加えられるから、世界は、そして日本は、新世紀初頭の九月に起きた大きな出来事に引っ掻き回されて、冷静さを取り戻す間もないままに、新世紀一〇年目の現在を迎えていることになる。
それでも、事態は動いたのか。良い方向へと少しでも変わったのか。
「9・11」の延長上で米国が行なったイラクへの一方的な攻撃からは、七年有余が経った。二〇〇三年三月、米国は二つの理由を挙げて、イラク攻撃を開始した。
@イラクは大量破壊兵器を保有していること。
Aイラク政権が国際「テロ組織」アルカイダと協力関係にあること――いずれも嘘だとわかったのは、イラク人に多数の犠牲者が出た後だった。
それでも、大量破壊兵器の最大の保有国で、「テロ国家」というべき米国は、戦争を続けた。対イラク戦争には批判的だった現米国大統領は、八月三一日をもって米軍のイラク戦闘任務は終了したと演説した。
彼は「米国は海外から借金までして一兆ドルを戦争に費やし、自国の繁栄に必要なことをしてこなかった」とは語ったが、他ならぬ米軍が生み出した「戦果」、すなわち、少なめに考えても十万人を下るまいというイラク人犠牲者、いまなおベッドで苦しむ多数の戦火の負傷者たち、破壊した家屋とインフラ、傷つけた大地、化学兵器で汚染させた畑地――などのことには、いっさい触れることはなかった。
大統領は、イラクが理由なく受けた人的・物的・自然上の損害は一顧だにせず、今後は「自国の繁栄のために」米国の国家予算を使う、と言外に語ったことになる。
この国は、いつだって、そうなのだ。軍事的力量の差が大きいことをいいことに、自国の利害を賭けて、完膚なきまでに相手を叩きのめす。
イラク国軍が米国本土を爆撃することはあり得ないから、当然にも米国に恨みと憎しみを抱いた個人か集団が、せめて一矢を米国に報いたいと考えて、絶望的な行動に出るのだ。
あえてその用語を使えば「テロリスト」を生み出しているのは、他ならぬ米国ではないか。
こうして、米国が世界各地で絶えず能動的に作り出している戦闘行為・戦争こそが、世界の安寧・平和を破壊してきたという近現代史の本質に無自覚かつ無知なこの大統領は、しかも、今後はアフガニスタンに「資源と戦力をふりむける」と語って、恥じない。
世界から何の関心も寄せられていないアフガニスタンの空から降り落ちてくるのがミサイルではなく、書物だったら、飢えた民のためのパンだったら、乾いた大地を湿らす雨だったら……とイランの映画監督マフマルバフが語ったのは、タリバーンによるバーミヤンの仏像爆破の直後だった。つまり「9・11」の半年前だった。
米国は、或る国家が引き起こしたわけでもない「9・11」攻撃を、新たな戦争の好機と捉え、マフマルバフの黙示録的な啓示に満ちた言葉を無視するかのように、アフガニスタンに向けてミサイルを発射し、爆弾を落とし始めた。
それから九年が経ち、対イラク戦争には反対だったらしい現大統領も、アフガニスタン戦争はさらに強化するというのである。
そのアフガニスタンと延々と国境を接しているパキスタンは、いま、大洪水に見舞われ、二千万人にも及ぶ被災者が生まれている。
アフガニスタンでの戦争のためにパキスタンをいいように利用してきた米国は、「テロリストと戦っているパキスタンの、まさにその地域を洪水が襲った」「支援に失敗すれば、パキスタン政府がテロとの闘いで獲得し得たものを失うかもしれない」と語る 。
米国政府の意向を受けた日本政府は、自衛隊ヘリ部隊を派兵した。またしても、災害救助活動を「軍事化」するのか。
歯止めの利かない菅民主党政権の米国追随路線を見て図に乗った産経紙は、「丸腰派遣でよいのか」と言い募っている。
確かに緊急に必要とされているパキスタンへの国際的な援助を、米国は「反テロ戦争」の意義と結びつけて、世界を主導しようとしている。
これに対して、パキスタンのCADTM(第三世界債務帳消し委員会)などは、パキスタンが歳入の三〇%以上の額を対外債務返済に充てている現状に鑑み、債務の支払いを拒否し、それを救援と復興のために使うことを訴えている。
米国でも日本でもパキスタンでも、政府が物事の因果関係を説明すると、「結果」を「原因」を言いくるめる。戦争・自然災害・援助・債務などに関して、因果関係を的確に捉えた分析と方針の提示が、何よりも重要だ。
(9月3日記)
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