静岡市には、県立の静岡芸術劇場がある。東静岡駅前に劇場があり、そこからバスで一五分ほどかけて山のなかへ入ると、野外劇場や屋内ホール、稽古場棟などがある。
以前は鈴木忠志が芸術総監督を務めていた。いまは宮城聰である。
四、五年前だったか、グローバリゼーションをめぐる諸問題についての講演を依頼されて訪れて以来、毎年行なわれる芸術祭公演の案内が送られてくるので、ときどき観劇に出かける。
県立劇場を持つのは、全国で二県だけだという。中学・高校生は招待されたり、優待されたりしている。
だから、劇場にはいつも、若い人びとの姿が目立つ。この年齢までは、高校演劇くらいしか観ることができなかった私のような人間からすると、新鮮な驚きであり、いいなあと思う。
海外の演出家と劇団の招請にも積極的だ。いまの時代、当たり前とはいえ、欧米中心ではなく、第三世界出身の人も多い。
演劇界では、国境を超えた演出家と俳優の交流がごくふつうに行なわれているから、どこそこの出身と固定して言うだけでは意味をなさない場合も増えてきた。
去る六月にも出かけた。宮城聰の台本と演出による、一九九九年に行なわれたク・ナウカの初演以来、伝説的な舞台となっている『王女メディア』の公演を観るために、である。
原作は、もちろん、生年が前四八〇年前後と推定されているギリシアのエウリピデスである。メディアは、黒海海岸のくに(現在のグルジア)の王女である。金の羊毛を奪いにきたギリシアの王子イアソンと恋に落ち、親族を裏切ってまで一緒に逃亡した。男の子も生まれた。
ところが、逗留先の地で、跡継ぎのいない王家の娘との結婚を唆されたイアソンは、それに同意した。王たちはメディアをくにざかいの外へと追放し、ふたりの結婚を成就させようとする。
静かな怒りを秘めたメディアは、その王家の王と娘を毒殺し、挙句の果てに、「裏切った夫への復讐のために」自らの息子をも殺してしまう……と展開するのがもともとの物語である。
王と心変わりしたイアソンの口からは、文明の地=ギリシアと、メディアが生まれた東方の「蛮族の地」を対比する言葉があふれ出る。
宮城は、驚くような仕掛けをこの戯曲に試みた。舞台は明治期の「文明」日本、法曹家の服装をした日本人の男たちが茶屋遊びにやってくる。
娼妓たちは「未開の」朝鮮から連れてこられたようだ。宴席に座した男たちは、余興に文楽の太夫に扮して「王女メディア」の台詞を大声で物語る。
言葉は男が操り、女はメディアを含めて、男が発する言葉のままに、衣装と所作と表情で演じるだけだ。
この演出は、観る者に、当初は相当な違和感を強いる。男(=言葉)と女(=身体)の分裂が、あまりにも明らかだからだ。
その違和感も、舞台が進行するにつれて次第に消え去り、月明かりも照らす野外劇場での公演に引き込まれていくうちに、最後に、メディアをはじめとする女たちの、無言の裡の大逆襲が始る……。
緊張感に満ちた、見事な舞台であった。自明のこととして設けられていた前提が、ことごとく覆されていく瞬時の展開に、息をのんだ。
初演のときには、朝鮮と日本という設定はなされておらず、公演を繰り返すなかでいつしかこうなった、と聞いた。
もちろん、日本による「韓国併合」から百年目の年に、この公演が実現した意義をいうことはできる。
演出した宮城の意図は、彼自身の言葉によれば、「男から男へと家督が相続されていく」男性原理に基づいたシステムそのものへの復讐劇として描くところにあったように思える。
子殺しが夫への復讐となるとメディアが考えたのは、子が男子だったからだ、男性原理による統治に慣れた人類は、「地球という母」の息の根を止めかねない地点にまできたが、これを食い止めるには、母殺し寸前の息子、すなわち男性原理を滅ぼす必要があったのだ、というように。
そしてまた、跡継ぎなき王家において、当事者たちが苦悶の果てに引き起こした血まみれの抗争に、奇妙なまでのリアリティを感じるところもあって……。
二五〇〇年前につくられた戯曲の翻案公演は、こうして、現在の東アジアのくにぐにの「奇怪な」現実をいくつもの視点から浮かび上がらせるものとなった。
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