去る五月一九日午後、私は死刑囚の処遇改善を「直訴」する各種団体のメンバーのひとりとして、法務省内大臣室にいた。
一〇人ほどで千葉景子法相に面談するために、である。多忙を極めているという理由で、一五分間という制限時間があらかじめ設けられていた。
一〇人はそれぞれ、一分間で、死刑囚が置かれている劣悪な医療事情、開示されない医療情報、外部との厳しい交通制限……などの問題に関して、法相に検討するよう訴えた。
就任して以来その日まで、死刑執行命令書に署名していない法相のあり方に関して、肯定的に評価する気持ちを伝える発言もあった。
二〇分間で、面談は終わった。法相は一言も言葉を発することなく、熱心そうに耳を傾けているだけだった。
私たちの背後では、三人の法務官僚が、私たちの発言内容をしきりにメモに取っていた。
千葉法相就任以来、彼女が死刑執行を強く要請する法務官僚たちの、厳しい包囲網に囲まれているらしいという噂は、私たちのもとにも届いていた。
メモを取る背広姿の三人の男たちは、日々法相にかけられているらしい「圧力」を、無言のうちに象徴するものに違いなかった。
それから二ヵ月有余を経た七月二八日、他ならぬ千葉法相の指令に基づいて、ふたりの人に対する死刑が執行された。
怒りと哀しみは、深い。先の参院選挙で落選してなお、菅首相の要請に応えて法相の座に座り続けている法相への批判は、野党から出ていた。
メディア上でもその種の論調は多く見られ、とりわけ読売紙は、結果的に執行当日となった二八日付けの朝刊で、殺人事件被害者遺族の怨念に満ちた言葉の陰に隠れて、死刑確定者の執行(人殺し、と読め)を扇動する意図的な紙面造りを行なった。
法相を窮地に追い込む網がさらに狭まっていたであろうことは、想像に難くない。
ここでは、究極においては死刑制度廃絶をなお望んでいるらしい法相が、信条に反するはずの死刑執行に踏み切った事情の背後にあるものを推察することにしたい。
大韓航空機爆破事件の実行者・金賢姫の来日招請は、拉致問題担当相でもある中井国家公安委員長の主導で行なわれたものと思われるが、「テロリスト」の入国に問題なしとの結論を下したのは、千葉法相である。
罪と罰をめぐっての私の考えからすれば、偽造した日本旅券を行使し、百十五人を死に至らしめる航空機爆破を行なった人物といえども、自らの行為を内省し、悔やみ、贖罪の気持ちをいだき、新たな価値観に基づいた人生を送ることは保障されるべきである。
決定を下した当時の韓国政府の意図がどこにあろうと、いったんは死刑を宣告された彼女が「特赦」の対象となったことには、十分な意義があった。
韓国政府の決定が、単に、北朝鮮の出方を睨んだ政策的・戦術的な水準で、「転向者」を歓迎し利用するために選択されたものだとしても、それを越える本質的な問題領域を、刑罰論や国家論の形で設定し直すことはできる。
それは、日本においても同じことだ。だが、千葉法相は、本来ならば入国拒否対象者である金賢姫を特別招請する根拠を「拉致問題の解決を韓国政府と一体となって進め、国民にも改めて拉致問題の重要性を理解してもらう」という水準の、政策的なものに押し留めてしまった。
北朝鮮を出国して二三年にもなる彼女からは、拉致問題をめぐる新たな情報が得られるはずがないにもかかわらず、拉致被害者家族会と世論に迎合する安易な言い方に堕したのである。
このとき、北朝鮮との関係をいかに打開するかという、国家(=社会)のあり方をめぐる本質論は後景に退くしかなかった。
社会変革運動に携わる者が、世論なるものと対決してでも自らの理念と行動を選択しなければならない時があるように、政治家もまた、本来的にはそのような存在だといえる。
死刑廃止の理念を持つ者が法相の任に就いた時、制度を維持しようとする法務官僚や制度を容認するという85%もの世論に抗しうる力の拠り所はどこにあるのだろう。
それは、自分が行使し得る、国家を背後に持つ権限をめぐっての本質論から逃げないことだろう。
在野にあった時には、いくぶんか情緒的であったかもしれない気分から抜け出し、国家の名の下で人の命を奪うことが許されるとする死刑存置論を、国家論のレベルで論破できる根拠を自力で探ることだろう。
国家論なき政治家は、二国間軍事同盟問題でも、その根源的な解決の道にたどりつくことはなかった。死刑問題でも、問われるのは国家の本質論だ。
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