中東パレスチナ・ユダヤシオニスト・湾岸戦争・イラク戦争 ―論証と資料
イラク/イラン/シリア/レバノン/パレスチナ/イスラエル
イスラエルは、中東 パレスチナ アラブ イスラム世界をどうするのか
➡ 「世界シオニスト機構1980年代戦略」全文
➡ イラク情勢/湾岸戦争/イラク戦争
1998.3.8~
◆イラク情勢 イラクの政治的位置 イラク“因縁付け”査察 空爆下のバグダッドにて ほか
◆湾岸戦争 湾岸戦争からゴラン高原出兵に至る深層 ほか
◆イラク戦争 イラク3邦人誘拐事件
劣化ウラン弾 日本人外交官殺害事件 英ケリー博士「変死」事件 イラク軍「クルド人毒ガス大量虐殺」謀略宣伝 日本人ジャーナリスト殺害 女性兵士ジェシカ“救出”劇 ほか
◆辛口時評・亜空間通信
2006.05.07【イラク戦争の裏側にナゾを見るアルジャジーラに答える憎まれ愚痴】
2004.11.06【イラク斬首の香田氏遺言は大手メディア嘘八百強烈批判だがメディアの無視と嘘の上塗り追及!】 他
➡ イラン
イランの「核」開発と情報操作 2003.6
2006.07.24【ユダヤ人はどこから来たのかとシュピーゲルに質問したアハマディネジャドに加勢する。】
2002.10.22【イラク攻撃控えブッシュの背後にイラン主軸パイプライン戦争カスピ海波高しか】 他
➡ レバノン
「サブラ・シャティーラの虐殺」1982年
中東和平会談の裏に潜んでいた砂漠の「水争い」1992.5 他
レバノンの報道されない惨状 / ヒズボラの「扇動」は口実である 2006.7.26
2006.08.04 イスラエルの傲慢な誤算がレバノン戦争で極限に達し破局を迎える
2006.07.23レバノン侵略の本質はシオニスト国家の存続を賭けた水争い
2006.07.15 レバノン攻撃はイラク戦争の敗北から中東戦争への転戦拡大か? 他
➡ パレスチナ
パレスチナ分割決議を強行採決した国連「東西対立」のはざま 1995.6
パレスチナへの移住の歴史的事実はどうだったのか 1992.5
2002.04.12 市谷駅前から四谷駅前までイスラエル大使館抗議在日アラブ人デモ
2002.04.10 アラブ人の日本都心デモ決起に呼応する市民平和的一斉蜂起を
ガザでイスラエルのブルドーザーにひき潰されたレイチェル・コリー 2003.3.16
ガザの女性医療ボランティア ラザン・ナジャール イスラエル軍の銃撃受け死亡 2018.6.1
(外部リンク)オスロ合意(パレスチナ暫定自治協定 1993年)の頓挫 1995.11.4狂信的ユダヤ人イガル・アミルが平和主義者のイツハク・ラビンイスラエル首相を暗殺 / 2000年7月ビル・クリントン米大統領仲介の和平交渉失敗(最終地位交渉)
➡ イスラエル
シオニストの謀略国家「偽」イスラエル
◆イスラエル核疑惑国って何? 1998.5
◆イスラエルはなぜゴラン高原を奪ったか 1997.12
◆ガロディ支持を表明したユダヤ人音楽家長老メニューイン 1998.3
◆イスラエル国策映画『ショア』は大嘘だ! 1998.9
中東関係のニュースサイト
●TUFSmedia(東京外国語大学) 日本語で読む中東メディア ●日経新聞 中東 ●中東調査会 中東かわら版 ●JETRO ビジネス短信 中東●Pars Today(日本語版)イランのニュースサイト。IRIB国際放送70年の歴史あり
●TRTトルコ国営放送(日本語版)⇒トルコ主要各紙の目玉ニュース
● アルジャジーラ(英語版)MIDDLE EAST NEWS
●パレスチナ情報センター パレスチナ/イスラエル関連の日本語の記事や注目サイト
●中東の窓 野口雅昭(元外交官)ブログ 中東から見た国際関係アラブの春とソーシャルメディア
マスコミに載らない海外記事 より引用
2017年5月14日(日) グーグルとフェイスブックを置き換える必要性
(2017年5月11日 Tony Cartalucci)(略)
ソーシャル・メディアを、標的にした国家の情報空間支配に利用し、社会政治的破壊や、政権転覆さえ実行する手段として使うことは、2011年、アメリカが画策した“アラブの春”の際、頂点に達した。最初は、フェイスブックや他のソーシャル・メディア上で組織的に準備された自発的な抗議行動として描かれたが、現在では、ニューヨーク・タイムズの“アメリカの集団がアラブの春助長を支援”などの記事で、準備に、グーグルとフェイスブックが直接関与して、抗議行動の何年も前に、アメリカ政府が活動家たちを訓練していたことが明らかになっている。
アメリカ国務省の全米民主主義基金(NED)と、その下部組織フリーダム・ハウス、国際共和研究所(IRI)や全米民主国際研究所(NDI)によって資金を供与され、支援されている反政府派フロント組織が、グーグルとフェイスブックの幹部と技術サポート・チームが出席していた、いくつかのサミット招待にされた。サミットにも参加していたアメリカとヨーロッパのマスコミと協力して、連中が2011年に実行する行動計画を与えたのだ。
その結果が、ソーシャル・メディアの事実上の兵器化で、結局、最終的にチュニジア、エジプト、リビアとイエメンの政府を打倒し、現在シリアを6年の戦争に陥れている、重武装した戦士を含む、実際は長期間にわたり計画された、この地域における一連のクーデターに対する隠れ蓑として機能したのだ。
(略)