ユダヤ民族3000年の悲劇の歴史を真に解決させるために ― 論証と資料
ガロディを支持したメニューイン
ガロディを支持したユダヤ人音楽家長老メニューイン
(関連記事 ➡ ある自由人の死/ユダヤ人メニューイン逝く)
1998.3.14 初入力。翌15日に一部増補・改訂
この記事には、いささか早手回しで勝手至極な「愛惜の念」が籠っている。
と言うのは、私が、この足掛け5年という歳月、それに専念していたわけではないにしても、大袈裟に言えば、故郷を石もて追われる思いを覚悟しながら、命懸けで取り組んできた20世紀最大の大嘘、「ユダヤ民族虐殺」デッチ上げ謀略の正体暴露に関して、その大嘘の最大かつ中心的な被害者であるアラブ人が真相を確信する至ったため、イラク爆撃威嚇への怒りとも相俟って、いわば総憤激、総決起の様相を誘発し、予想以上の雪崩のような展開が見られ、私が私なりに、こつこつと不器用に説明の努力を積み重ねてきた証拠や論理の問題が、いわゆる「理論が大衆の心を捉らえると物質的な力になる」という命題に従って、最早、細部の、しんねりむっつり議論を必要としなくなる時期が近いのかもしれないからである。
その上に、私の好みどころか、むしろ嫌いな方の現象なのに、「有名人」が続々と「ガロディ支持」を表明し始めたのである。しかも私は、そう言う大手メディアが報道を渋る情報を、これまた命懸けで暴露するのが性分ときている。ああ、だから私は、実は、この私の予感が当たらないことの方を祈りながら、それでも綴らざるを得ないという二心に引き裂かれながら、この記事を綴っているのである。
私は、パリ地裁のガロディ裁判傍聴取材で、多数の「モズレム」(彼らの自称)と親しくなった。一人だけがイラン人で、ほかは全部アラブ人だったが、「モズレム」の連帯感に「共通の敵シオニスト」があることを痛いほど感じた。
イラン人の作家、ジャヴァッド・ビシェタブには連れがいなかった。たった一人で毅然として佇み、実に強烈な個性を発揮していた。彼は、開廷を待つ法廷前のロビーの行列の中で、どぎつい図柄のシオニズム告発ポスターを高く掲げて、何度か演説し、一度は警備員に取り囲まれ、階段の下へ連れて行かれた。翌日にもまた会えたので、どうなったのかとか聞くと、ケロリとして、平気、平気、外へ出されただけだと答えた。
あのポスターを見せてくれと頼むと、喜んでアタッシュケースの中から同じ図柄の大小2枚を取り出して、両方とも上げるよ、と言う。ついでにREXYと題する彼のフランス語の小説までくれた。全部読む時間はないので、裏表紙の解説だけを読んでみると、REXYは犬の名前で、その犬が飼われた家庭の出来事を通じて、ホメイニ政権時代のイランの全体主義的な環境への批判を記したものらしい。『吾輩は猫である』のような設定である。
ビシェタブのカラーのポスターは、その内にスキャナーの使い方を覚えて、このホームページにも入れる。とりあえず構図を簡単に紹介すると、その中心の絵の上部には、
LA JUSTICE ET LA MORT EST ENTRE LES MAINS DES JUIF
(正義と死はユダヤ人の手の中にある)
と書いてある。JUSTICEは「正義」でもあるが、日本語で普通には「裁判所」と訳されるのは、PALAIS DE JUSTICE (直訳すれば「正義の宮殿」)なのだから、裁判所の真中で「ここもユダヤ人の持ち物だ」と怒鳴っているようなことになる。
ガロディを告発する根拠の法律、通称「ゲーソ法」「ファビウス法」「ゲーソ=ファビウス法」は、1881年に制定された国際的にも有名な言論の自由に関する法律に、ニュルンベルグ裁判で決定された「人道に関する犯罪」を否定した者を罰するという追加条項を付け加える法律である。
ゲーソは、提案議員の筆頭に名を連ねた共産党の実力者、ファビウスは、その制定を推進した立法議会の議長で、ユダヤ人である。政治的シオニズムの告発者の目から見れば、この言論弾圧立法は、ユダヤ票とシオニスト・ロビーの支配下にあるメディアに媚びる共産党とユダヤ人またはシオニストそのものが作った法律でしかない。
言い変えれば、「(フランスの)正義はユダヤ人の手の中にある」のであり、ビシェタブのポスターは、その現状への強い抗議の表明である。
絵の方も簡単に説明すると、横に傾いた黒枠のダヴィデの星のマークの真中から獰猛な顔付きのコウモリが血を吐き出し、その血がSIONISMと綴り、その文字からまた血が垂れているのである。血の説明に当たるのは、その下の次の文章であろう。
LE SANG DES ENFANTS CHRETIENS ET
MUSLMANS COULE DANS LES MAINS DU
SIONISME COMME LE SANG DES JESUS SUR LA
TERRE
(キリスト教徒とイスラム教徒の子供たちの血が、
シオニズムの手の中で、
この世に現われたイエスの血と同じように、
流されている)
国際情勢の基本には、東エルサレムでの明確な国際法違反のユダヤ人住宅建設強行に対して、1997年3月7日、連合国(国連の正しい訳)総会が採択した非難決議と、それに従わないイスラエルとアメリカの孤立があった。しかも、その後、意図的か否かは別としても事実上、話を逸らすためにエスカレートされたようなイラク爆撃威嚇がある。当然、「モズレム」の怒りは頂点に達していた。
さて、そんな雰囲気の裁判の取材を終えて、正月の17日夜半に帰宅すると、とぐろを巻いて垂れていたファックス受信用紙の中に、1月16日付けのAFP(フランス系国際通信社)電が入っていた。インターネット・サーファーでクラシック音楽に詳しい「歴史見直し研究会」の会員の一人が送ってくれたもので、同一人物が『噂の真相』(98・3)にも、その内容の一部をペンネームで投書している。
そこには、「イスラム諸国の諸団体とともに、高名な音楽家ユーディ・メニューインも(ガロディ裁判)支援者に加わった」とある。以下、その「ナチのガス室論争に関して」と題する投稿の、後半部分を引用する。
「多くの平和・国際理解推進活動によりインドのネルー平和賞、米国の核時代平和財団の傑出した平和指導者賞などを受賞し、ユネスコ親善大使でもあるメニューイン氏は、自身、ナチの迫害を受けたれっきとしたユダヤ人だが、大戦後、指揮者フルトヴェングラーの対ナチ協力の嫌疑を晴らすべく、米国のユダヤ人たちとの対立を辞さなかった。パレスチナ、問題については、イスラエル国会で演説し、ロム(ジプシー)もナチの犠牲者になったことを忘れてはならないと警告している」
手元の平凡社『世界百科事典』にも、「メニューイン」の項目がある。この事典に存命中に載るのは超有名人だけである。その21行の記事の中から要点を抜き出してみる。
「Yehudi Menuin(1916~)」。今年で82歳になる。ガロディよりは2歳ほど若い。
「アメリカのバイオリン奏者、指揮者。少年時代、[中略]神童の名をほしいままにし、[中略]若くして世界の一流バイオリン奏者のなかに加えられるに至った。[中略]58年メニューイン室内管弦楽団をイギリスで結成、指揮活動も行うようになり、翌59年ロンドンに定住。58年以来、バース音楽祭、ウィンザー音楽祭などの芸術監督を努め、また62年音楽英才教育のための学校を創立するなど、多方面に及ぶ活躍をみせている。1951年初来日」
Yehudiはヘブライ語で「イェフーディ」と発音し、「ユダヤ人の」または「ユダヤ民族の」を意味する。
この名のユダヤ人は、私が知っているだけでも数人いる。メニューインは高齢ではあるが、「ユダヤ人国家」実現を目的に掲げる世界シオニスト機構の創立以後に生まれたのだから、この命名には親族の「ユダヤ主義」とでも言うべき思想が籠っていたのではないだろうか。「名は体を表わす」とも言うが、メニューイン自身も、その名を背負って、人一倍「ユダヤ人」を意識し続けてきたのではないだろうか。そのメニューインが今、ガロディの支持者に名を連ねたのである。
だが、不思議と言えば不思議なことに、この超大ニュースが日本の大手メディアで報じられた気配がない。フランスではどうなのかは、現在、問い合わせ中である。
もしかすると、AFPが日本の共同通信社以上の位置付けになっているフランスでも、ガロディの本を支持したことで「国民的神父」のアベ・ピエールが叩かれた時のような、大騒ぎにはなっていないのかもしれない。
情報が入り次第、また入力するので、それでは、それでは、また、お会いしましょう。
「愛惜の念」とともに、とりあえず以上。