「元日本兵恩給拒否のワケ」
亜空間通信847号(2004/08/03)
【敗戦記念日近し「戦前と同じ空気に危機感」を「元日本兵恩給拒否のワケ」と改題し投稿し直す】
「被害者はわしではない」-。軍人恩給の受給を拒み続けている元日本兵がいる。岐阜県飛騨市の尾下大造さん(82)だ。尾下さんには恩給は「口止め料」と映る。戦禍の記憶は薄れ、「国際貢献」の名の下、再び“戦場”に兵士たちを送り込む時代が来た。飛騨の山村で、恩給と「沈黙すること」を拒んできた元日本兵の目に、五十九回目の戦後の夏はどう映っているのか(東京新聞引用)…… ⇒全文を読む
●ポツダム進級
http://www.h2.dion.ne.jp/~sws6225/jiten/potudamu_sin.html
敗戦時、生存者に対して行なった特別進級を俗に「ポツダム進級」と呼んだ。/狭義では兵は無条件で、大尉以下の士官と准士官及び下士官は勤続年数に応じて1階級進級させたことをいう。/広義では陸海軍の解体した1945年11月30日までに進級した将官と佐官も含んだ。/陸軍では将官の進級はなく、中佐から大佐に進級した者が数名と少佐から中佐に進級した者が少数であり、捕虜となって生還した者は進級させなかった。[後略]
あの日、古びた重い鋲打ちの木の扉をバラバラと叩くつぶての音が、僕にとっての敗戦の知らせであった。その小石を投げていたのが、顔見知りの朝鮮人の子供であったことは僕を悲しい静かな怒りで満たしはしたが、僕はそれを誰に向ければいいのかは知らなかった。彼等の甲高い日本語の罵声、ぼんやりと、しかしなぜか、心の中ではっきりと意味が掴めたと思えるあの奇妙な、そして僕等の喧嘩のルールに外れた言葉、その激しい響きが最初から僕をうちのめしていた。
「お前等、アメリカ兵が恐くて外に出られないんだろう。」⇒全文を読む
⇒『亜空間通信848号』(2004/08/04)【反日ブーイング済南事件(1928)の地で発生し敗戦記念日近し中国残留孤児成り損ねA少年の痛憤】
私自身は、戦争中、北京にいた。1960年の夏、23歳の学生時代に、クラスの同人雑誌に書いた以下の習作、私小説に、「侵略者の子供」としての自覚を記していた。それを昨年の夏、わが電網宝庫で公開し始めた。原爆忌、敗戦記念日、毎年、「夏のお化け」の平和売人の商売が、薄味で続くのを、批判する意味でもあった。
「憲法9条」戦力放棄の条項の発想
マッカーサーは、アメリカのキリスト教の内部での旧教と新教の勢力争いを避けるために、日本の皇太子(現・天皇)の家庭教師に、少数派のクエーカー教徒のエリザベス・グレー・バイニングを選んだ。(略)裕仁は、当時、すでに13歳の皇太子、明仁の意見も聞き、その家庭教師のバイニング夫人の平和主義の影響も受けたと考えると ⇒全文を読む
「戦力放棄」条項、この「奇想天外のトリック」は、「鈴木貫太郎、幣原、吉田――三代宰相の合作のフシがある」⇒全文を読む
(日本共産党の質問に対し) ●「国家正当防衛権による戦争は正当なり」とする考えは「有害である」。戦争の多くは「国家防衛の名において行なわれた」のだから、「正当防衛を認める」ことは「戦争を誘発するゆえん」になる。
●戦争放棄条項は、「国際平和団体の樹立」によってあらゆる侵略戦争の防止を期している。正当防衛による戦争があるとするなら、侵略する国があることが前線になる。したがって、国際平和団体が樹立された場合には「正当防衛権を認めることそれ自身が有害である」。⇒全文を読む
「夏のお化け」:原水協が分裂する直前に、職場で「日本テレビ原水協」の結成に関与したから、以後の分裂の経過は肌身に滲みて知っている。いわゆる社会主義国が原爆を作ったら、日本共産党はそれを「破邪の剣」だと主張し、社会党は「いかなる国の核兵器にも反対」と主張し、主導権争いが激化した。
千代田区労協などの労働組合の地域運動に関わったが、そこでの仲間は、原水禁運動を「夏のお化け」と嘲っていた。労組員でありながら夏の大会以外の時には何の活動もしない原水禁運動専門の狂信的かつ免罪符購い的な連中が多かったから、嘲るのは当然だった。⇒「木村愛二の生活と意見」2001.8.5
かつて日本共産党は、ソ連、中国の核兵器を「破邪の剣」として擁護する決定的な誤りを犯したが、その誤りの責任者は居座っている。
「いかなる国の核実験にも反対」を唱えた社会党系の運動も、その実情は、本家争い、運動の私物化の極みだった。⇒「イスラエル核疑惑国って何?」1998.5.29
この種の議論に熱心な自称平和主義者は、どこにでもいる。私は、日本の中心地の東京都千代田区で、地元の労組の協議会、略称「千代田区労協」の幹事、事務局長をしていたが、その時代には、日常的な労組の地域活動をせずに、この時期だけ騒ぐ、足が地面に着いていない連中を、「夏のお化け」と呼んでいた。⇒『亜空間通信』 1070号(2005/08/06)
10 原爆も大空襲も「恐れ」なかった事務官
《終戦を意識しながらも、私は強気であった。原子爆弾だということは、あとで分ったのだが、被害を防ぐには何をかぶったらよいとかなどと、子供だましのようなことも伝えられて、動揺は大きかった。私は、B29が大編隊できて、ジュウタン爆撃をやるのと変わらないじゃないか、一夜にして、都市が壊滅し、多くの死傷者を出すことは、一緒だ、何も新兵器だといって格別に驚くことも、恐れることもないと言っていた。…I(略)… 私は、必ずしも、徹底抗戦、焦土作戦を主張しようとしたのではなかった。しかしながら、なお、多くの戦闘力を持ちながら、――それは本当は、どれだけの力だったのか、皆目知らないが、私にはなお相当の航空兵力が残存していたと思われた――このまま、無条件降服することが、気に喰わなかった。》
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……「自衛隊容認論」の具体例としては、当時、総合雑誌『世界』に書いた木村晉介弁護士、「国連警察軍必要論」の具体例としては、弓削達らがいた。
だが当時は、あえて名を挙げて上記のごとく、「若者の命を当てにする『平和論』は、右であろうと左であろうと、欺瞞」と指摘するのも憚られたので、特に個人名は記さなかった。
湾岸戦争後に、ある(名を忘れた)雑誌で、ヨーロッパで第一次大戦後に提案されたという妙案を見た。簡単にいうと、武力行使を決定する議員が先頭に立つという法律を作れというのであるが、これは、おひゃらかしの珍案でしかない。
それを見た時に、自分が安全圏に止まることを前提に平和を論ずること自体、詭弁、欺瞞ではないかと気付いたのである。⇒全文を読む
辛口時評版 敗戦記念日特集
辛口時評2006.10.31
10・21国際反戦デー9条改憲阻止の会250人のデモ
辛口時評2006.07.20
日経スクープ昭和天皇A級戦犯靖国合祀に不快感の深層心理
亜空間通信版 敗戦記念日特集
854号(2004/08/16)
【ヒロヒト帝国「国体護持」で沖縄県民3分の1の命と2発の原子爆弾で分からぬ日本人への警告】
⇒ 井上が『世界の歴史の中で、無条件降伏というものはありえない。降伏の条件を知らせよ』と放送すると、ザカライアスは『日本の無条件降伏とは、軍が解体され、兵士が復員することを意味する』と答えてきた。井上が『もっと具体的に』と追及すると、相手は『無条件降伏というものは、もともと貴国の山下奉文将軍がシンガポールで使用したことばではないのか』と反問してくる。井上が『日本はこれまでに負けたことがない。負け方を教えてもらいたいのだ』と問い返せば、ザカライアスは『それはおかしい。貴国の西郷隆盛は酉南戦争で敗北したし、源平の侍たちも始終降伏を繰り返していた。知らないわけがあるまい』といってくる。そこで井上は答えた。『君の知っている東京はもう存在しない。今の東京はまったくの焼け野原だ。わたしたち日本人は、掘っ立て小屋のトタン屋根の下から月をながめて幕らしているのだ。しかし、戦争に負けたからといって、簡単に頭を下げるわけにはいかない。勝者はもっと寛大であってよいのではないか』」(『五十年史』)⇒全文を読む
853号(2004/08/15)
【敗戦記念日に断罪する百人斬り左右の言論詐欺と傲慢無礼の自己中心ご都合主義歴史歪曲押し付け】
⇒ 昨夜は就寝前まで33度だった。40日も続いた熱帯日、熱帯夜、猛暑、炎暑、記録破りの酷暑を生き抜いた実感で、敗戦の日を想う。
日経の本日(2004/08/15)の朝刊の記事で、一番面白かったのは、最後の頁の「文化」欄、作家、星川清司の敗戦直後の回想、「遠い空の下」の中の以下の部分である。
「いわゆる文化人と称するひとたちが、とくに文士たちが、自分はもともと戦争反対で、国にだまされたのだとくちを揃えて発言しはじめた。嘘ばっかり。まだ若くて無知なわたしにも、はっきりとそれくらいはわかった」。⇒全文を読む
852号(2004/08/13)
【10年で確実に勝つ靖国神社廃止運動を提唱し敗戦記念59周年の2日前にわが予言の数字的根拠示す】
⇒ いかに裸の猿であろうとも、古来、葬式、埋葬は、家族の習慣であった。それがなぜ、国家の問題になるのか。
最初は、1869年、「官軍戦没者を慰霊する「招魂社」である。何のことはない「勝てば官軍」だけの神社なんじゃないか。これだけでも、「負ければ賊軍」の幕府側の先祖を持つ私は、むかむかする。「天皇は薩長の傀儡」が、わが家の言い伝えである。
しかも、実際には、「招魂」じゃなくて、「商魂」が、見え透いている。
⇒全文を読む
850号(2004/08/08)
【8/15は敗戦記念か終戦か政府首脳の靖国公式参拝の背後に控える薄汚い経済的基礎の算術事始め】
⇒ 当時も、靖国神社の境内には、あの不細工で、下品な、米軍式迷彩服を着た酔っぱらい、薄汚い、飽食のでぶでぶの右翼がたむろしていた。アメ公のケツ嘗めて、どこが民族主義だ、何が英霊だ、何で元軍人、特に殺し屋商売の専門の職業軍人、その遺族などが、実際は暴力団でしかない右翼の下っ端の下品な大音量の街頭宣伝車なんぞに、ゆすりたかり商売を許す宗教法人と称する悪徳商売に、ネタを提供しているのか、実に不愉快であった。
今もなお、不愉快である。今年は特に不愉快である。⇒全文を読む
849号(2004/08/06)
【中国の反日ブーイングで端なくも漏れた国家なる暴力機関の電網監視体制に大手メディア珍妙偏頗】
848号(2004/08/04)
【反日ブーイング済南事件(1928)の地で発生し敗戦記念日近し中国残留孤児成り損ねA少年の痛憤】
⇒ 絨毯爆撃で何万人も殺した重慶で「君が代」演奏する無神経な東洋鬼には呆れる。「君が代」は、天皇制フィクションの信奉者、半気違いクラブの歌にしするかない。しかも、もともとは、九州王朝の歌じゃよ。伊勢湾の海賊上がりの一族の歌ではない。⇒全文を読む
847号(2004/08/03)
【敗戦記念日近し「戦前と同じ空気に危機感」を「元日本兵恩給拒否のワケ」と改題し投稿し直す】
844号(2004/08/01)
【敗戦記念8月の1日を期して『カール・マルクスの大罪』単行本発行急ぐ決意表明し自らを追い込む】
⇒ 今の日本の代表的な平和売人組織、日本共産党系も、反日共のブント系も、実は、その思想的根源を、カール・マルクスが自己中心の権力思想の最大の武器とした「階級闘争」の狂信に発している。「階級闘争」という概念は、決して、カール・マルクスの発案ではない。それ以前からの武装闘争派の思想的武器であった。この概念に基づく闘争は、カール・マルクスの登場以前にも、フランス革命として展開され、ヨーロッパを血の海にしたのである。
この暴力思想の根源を断つことなしには、平和の実現は不可能である。⇒全文を読む
843号(2004/07/31)
【好戦でっち上げ100人斬り記事の護持で生き恥さらす毎日新聞ほかのメディア関係者は日本の恥】
⇒資料掲載:[特集]南京大虐殺『100人斬り訴訟』が暴いた大新聞の「歴史的ウソ」(週刊新潮)
この記事で重要なのは、「今年91歳になる車椅子に座った老人が原告側証人として出廷した」ことも、さることながら、当の毎日新聞自身が、平成元年に発行した「昭和史全記録」の中の南京関連の項目で、「100人斬りは事実無根だった」とはっきり記述している、との記述があることである。⇒全文を読む
837号(2004/07/27)
【イラクの死者「小川功太郎さん最後のイラク通信」草の根通信転送を望む関係者に応える盆の痛憤】
⇒(引用)小川功太郎さん 最後のイラク通信
米軍の報道規制が厳しいのと誘拐の恐れがあるのでバクダッドから動けないのです。同行したジャーナリストの叔父も早々に引き上げ、今は通訳と2人で午前中は難民キャンプなどの取材、午後は読書とチグリス川で釣りをする毎日です。
大手テレビ局が引き上げたので、何かあったときのためのスタンバイという感じです。
日本では人質事件以降イラク報道の熱が冷めたように聞いてるけど、本当ですか。イラクは実は今こそ酷いことになってます。
特にファルージャという町での米軍の蛮行は目に余るものがあります。スナイパーが面白半分に通行人や子供を撃ち殺し、町は手当たり次第に空爆、でも報道規制があまりに厳しいため、こうした現実は町から命がけで逃げ出してきた避難民の証言でしか伝えられません…… ⇒全文を読む
649号(2003/08/17)
【アメリカ兵が恐くて畏縮したまま萎縮症日本人の対米従属と自虐の情けない58年目】
⇒ 本日(2003/08/17)から2日前の8.15.を「敗戦」と呼ぶべきか、「終戦」と呼ぶべきか、これだけを取っても、現在の日本人、具体的には敗戦の年の1945年から現在の2003年に至るまでの58年間の日本人は、相互に共通の言語を持たない対立集団に引き裂かれている。
この2つの単語の対立関係は、その他の諸々の「戦争」と「戦後史」の理解、または担ぐ「御輿」の違い、結果としてのまともな研究の遅れ、などなどとして顕在化している。⇒全文を読む
648号(2003/08/15)
【8.15は敗戦・戦犯・靖国避けて通れず左右に憎まれ愚痴「百人斬り」言論詐欺批判】
⇒ 「ある時期から突然」というのには、まったく「突然」というのではなくて、時期的な理由があったのであり、元「青嵐会」の「青年将校」こと、「右」で売り込んだ元主計中尉、実戦経験無しで、はったり専門の中曽根康弘の方が、「突然」、「公式参拝」を挙行したからなのである。つまりは、中曽根の「挑発」が、未だに跡を引いているのである。
……1982年に、教科書検定で「侵略」を「進出」に書き改めさせたと、各紙が一斉に報道し、中国や韓国からの抗議を誘発し、日本国内でも教科書問題が政治的紛争の目玉となったのですが、これが実は誤報だったのです。
確かに、多くの資料に基づき、当時の文部省は、「侵略」という表現を「進出」に 改めよと求めていたと認め得るのですが、それに応じて書き直した出版社は、実は、なかったのでした。
では、なぜ、このような誤報が各紙を飾ったかというと ⇒全文を読む
338号(2002/08/15)
【臨陣格殺しうる満洲国の暫行懲治盗匪法は電網検索0.13秒で6件即決入手の恐怖】
337号(2002/08/15)
【米大統領テロリスト即決処刑命令ロイター記事電網削除?に想う満州国臨陣格殺】
⇒ 日本軍、具体的には関東軍は、反対勢力を「匪賊」と呼んだ。今のアメリカの用語の「テロリスト」と同様の意味である。相手は逆に、日本のことを「法匪」と呼んだ。手前勝手な法律を、時には天皇の権限だけの「勅令」などの形式で作り、土地、財産、命を奪うからである。その日本製の法律の中に、「臨陣格殺」があった。軍法会議の形式すら踏まずに「匪賊」を処刑できる法律であった。⇒全文を読む
336号(2002/08/14)
【815右も左も聞け詔書「太平ヲ開カムト欲ス」吉田茂9条説明審議録(拍手)】
⇒ 彼(水島朝穂)は、上記の吉田茂答弁の内の「正当防衛権を認めることそれ自身が有害である。」の次に重ねて、「ご意見は有害無益であると私は考える。」と続くこと、審議録には、そこに(拍手)とあることを指摘し、「審議録に『拍手』とある部分はあまり多くない。吉田にここまで言わせてしまう、当時の状況があった」と記している。これは実に面白い。⇒全文を読む
●電子手紙集●
2001.8.15.(水)
8.15.が戦争の終結の日か否かという先の議論を踏まえて敗戦記念日を巡る映像的感想
⇒ 何年経っても強く蘇る映像記憶は、やはり、北京の国民学校の風景です。断片的な記憶が毎年蘇るのですが、考えてみると奇妙な声を聞いたのは夏休み期間中だったわけです。緊急召集が掛かったのでしょう。奇妙な声を聞いた後、校庭では若い教員が机や椅子を壊して燃やしていました。
煙りが高く立っていました。プールにも机や椅子の壊れたのが浮かんでいました。 校庭の巨大な焚き火は、もしかすると命令を受けて書類を湮滅していたのかもしれません。この種の湮滅作戦は確かに各所で徹底的に実施されたのです。明白に記録に残っています。⇒全文を読む
2001.8.12.(日)
A級戦犯処刑組の板垣元陸相は阿片謀略の先輩と誤解無きよう追記と同時に中国頼りを戒める
⇒「偽」満州国でっち上げには、当時でさえも「満州某重大事件」と報道された鉄道爆破の謀略が欠かせません。 まずこれが欠落していますが、さらに因果は巡るのです。この爆破で殺された張作霖の息子、張学良が、自らを人質として蒋介石に提供し、国共合作を実現したことが、日本の敗北への道の基本的な原因となります。この謀略の資金(当時の金額で5万円)は阿片密売による極秘機密費でした。⇒全文を読む
2001.8.11.(土)
A級戦犯処刑の元首相の孫の論壇登場で東条英機の映像記録による歴史認識の危険性を警告
⇒ 靖国神社の公式参拝問題では、彼女は、中国の主脳が「東条を除けば、靖国神社のことは問題にしない」と「言ったと聞き」、同じくA級戦犯として絞首刑に処せられ た板垣元陸相の遺族から「自発的な合祀取り下げの働きかけを受けた」とし、著書の『祖父東条英機「一切語るなかれ」』の無断出版で親族を怒らせたと記し、揺れる心境を告白しています。
これも一つの議論の材料でしょう。しかし、私は、彼女が実の孫だからと言って、「祖父東条英機」を正確に理解しているとは思いません。⇒全文を読む
2001.8.8.(水)
原爆「招いた」批判は『NHK腐蝕研究』と訂正し侵略の被害者への謝罪と追悼の日を提案
⇒ その間、沖縄県民の3分の1が命を落としたのでした。私は、すでに記したように、 核兵器だけを特別視することに強い疑問を抱いています。他の手段による殺戮、暴力への批判が弱められる要素があるからです。広島以前に、沖縄、さらには東京大空襲 について、国を挙げての慰霊祭を行うのが筋だと思います。侵略の被害者への謝罪と追悼の日も設けるべきでしょう。⇒全文を読む
2001.8.7.(火)
在日アラブ人記者発信毎日記事で広島を利用する極悪シオニスト戦法の極意と敗戦記念日を思う
⇒ その極意とは、優れた将軍は兵を「死地」に置くということです。敵を倒さなければ必ず自分が死ぬとなれば、まさに命懸け、いわゆる火事場の馬鹿力も出ます。いわゆる「ホロコーストの嘘」を繰り返し繰り返し吹き込むことで、この恐るべき「国家を所有している軍隊」が維持されているのです。
大日本帝国も「死中に活を見い出す」などと唱えていました。私が北京の町中の通学時の行進で、国民学校1年生の時から連日がなっていた「北支那派遣軍」の歌には、 「一死を誓う御戦」という歌詞がありました。命を捧げることを美化する神話にはこと欠きませんでした。
広島は今、国民皆兵役義務の「偽」イスラエルの少年少女の兵たちの「一死を誓う」教育に利用されているのです。⇒全文を読む
2001.8.6.(月)
「国際社会の先頭に立ち核軍縮・核不拡散の取り組み」と広島の式典で米国に臣従を誓った首相
⇒ 1982年発行の筆名による拙著『読売グループ新総帥《小林与三次》研究』の中で、日本の支配層が、天皇制維持のあがきで降伏を遅らせ、「原爆を招いた」という主旨の表現をしました。
同盟国のドイツが3月に降伏し、原爆と同様に民間人大量殺傷の国際的に違法な東京大空襲を受け、沖縄に上陸され、ここでも民間人も含む大量の死傷者を出し、ソ連が参戦する時期を知りながら、延々と5ヶ月にもわたって大日本帝国首脳部は、短波放送まで使って米国の諜報将校などに、「無条件降伏」の中での「国体護持」の条件を打診していたのでした。⇒全文を読む
2001.5.11.(金)
1945年の敗戦時には、『国体』「といえる実態は大日本帝国には無かった」のかどうか
2001.5.11.(金)
NHK批判が飛び火して、「なぜ、8月15日を、“戦争が終わった日”としたのか」云々に発展
2001.5.10.(木)
歴史の必然の中の偶然か、創作家出演に呆れて批判、NHKよ、歴史を勝手に動かすな!
2001.5.9.(水)
マッカーサー伝説を創るノンフィクション作家の唖然の掲載紙への注意電話でさらに唖然