電子手紙の送信日付け順・注釈付き一般公開文書館 2001年5月

NHK批判が飛び火して、「なぜ、8月15日を、“戦争が終わった日”としたのか」云々に発展

送信日時 : 2001年 5月 11日 金曜日 8:28 AM

件名 :[pmn 14788] Re: NHK よ、歴史を勝手に動かすな!

 思わぬ方向へ議論が発展して、筆禍の恐れなきやと、心配になります。

Date: Thu, 10 May 2001 20:51:29 +0900
To: pmn@jca.apc.org Subject: [pmn 14773]
Re: NHK よ、歴史を勝手に動かすな!

1.なぜ、8月15日を、“戦争が終わった日”としたのか。
 (日本が一方的に、降参ですといったからといって、相手が了解したわけではないのにです)
2.誰が8月15日を『終戦記念日』などとしたのか。
3.どうしていつまでも8月15日を『終戦記念日』のままにしておくのか。
 9月2日を『終戦記念日』とするなら理解できるのですが....
 なんで、こんなことにこだわっているかといえば、これが丸山にとっての“メディア・リテラシー”の第一歩になっているからなんです。
 当時のすべての日本人は、8月15日で戦争が終わったと思いこまされているよう に思えてしかたがないんです。とても作為的にです。
 歴史の教科書などをみても、9月2日のミズーリ号での調印は、チラっと書かれているか、中には触れていないものもあるみたいで、ほとんどすべての歴史ものは、8月15日で、戦争が終わった...などと一方的な解釈しかしていないんです。
 しかも、この8月15日から9月2日までの間に、ソ連が北方の島々に進攻してきた。ソ連(連合国側)から見れば、“『降伏文書』に調印するまで”は、戦争中なの に、北方の守備隊は、玉音放送で戦争は終わったと思わされているのですから、さっさと逃げるしかありませんよね。※ただ歯舞は、9月5日ごろらしいのですが...

 私は、メディアとしてのNHKの玉音放送についてのみ返信しましたが、丸山さんの「こだわり」にも、同感です。これまた、メディアの嘘が多い問題です。満州でも、ソ連軍は戦闘を続けましたし、玉音など聞いていない日本軍の兵士は天皇の名の下に戦死をし続けました。逆に、日本軍は、国民政府軍の要請に応じて、中共軍との戦闘を続け、かなりの死者を出しています。

 それもこれも、すでに始まっていた「米ソ」対立の先読みを誤って、ドイツ降伏後の3ヶ月を、ただひたすらに「国体護持」のための悪あがきに費やした阿呆な指導者たちの責任なのです。

 いっそのこと、民衆のメディア連絡会で、「8月15日の大嘘」特集でもやると、もっと有意義かと思います。

 別途、私が簡単に記した部分、「明治時代の方が、年貢の率が高かったのです」に関して、Kikkawaさんから、次の御指摘を頂きました。

「初期はそのとおりですが、後期になるにしたがって、年貢すなわち地租の比重は低くなり、小作料が主たる負担に変化します。 

 小作農にとっては、トータルでは似たようなものか、あるいは率は悪くなりますが、生産性の変化もありますので一概に苦しくなったとも言えません。自作農にとっては負担は軽くなります。地主はうはうはです。また江戸時代になかった間接税がかかります」

 これも、その通りでしょう。私も、記憶が定かではないのですが、いわゆる百姓一揆は、江戸時代末期よりも明治時代初期の方が多かったというような研究を見た覚えがあります。それに対応して、次々と手直しされたのでしょう。これまた、「つくる会」とは全く逆の方向から、教科書の嘘を徹底検証したら、もっと面白いでしょう。


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