送信日時 :2001年 8月 12日 日曜日 11:02 AM
件名 :[pmn 15872] 論争せず情報提供:板垣陸相は阿片謀略の先輩
昨日、『朝日新聞』(2001.877)切り抜きの特集「戦争の死者をどう悼むか」(中)「東条英機元首相の孫、NPO法人理事・東条由布子」さんの寄稿を紹介しました。
そこで彼女は、靖国神社の公式参拝問題に関し、中国の主脳が「東条を除けば、靖国神社のことは問題にしない」と「言ったと聞き」、同じくA級戦犯として絞首刑に処せられた板垣元陸相の遺族から「自発的な合祀取り下げの働きかけを受けた」と記しているのですが、このままだと、板垣某は、中国に害をなしたことがないように誤解されかねません。
ところが、少なくともたとえば、平凡社『世界大百科事典』の板垣征四郎の項を見ると、そこにさえ、「石原莞爾らとともに満州事変、満州国建設の首謀者となり、満州国執政顧問、同軍政部顧問などを歴任、36年関東軍総参謀長となり、満州国に隣接する華北5省(河北、山東、山西、チャハル、綏遠)を日本の支配下におく、いわゆる華北工作、同じく内蒙古工作などを推進した」などと記されています。これだけでも極刑に値する重罪です。
しかし、ここでも「阿片謀略」が欠落しているのです。「偽」満州国でっち上げには、当時でさえも「満州某重大事件」と報道された鉄道爆破の謀略が欠かせません。まずこれが欠落していますが、さらに因果は巡るのです。この爆破で殺された張作霖の息子、張学良が、自らを人質として蒋介石に提供し、国共合作を実現したことが、日本の敗北への道の基本的な原因となります。この謀略の資金(当時の金額で5万円)は阿片密売による極秘機密費でした。
昨日紹介した『昭和陸軍『阿片謀略』の大罪/天保銭組はいかに企画・実行したか』(藤瀬一哉、山手書新社、1992.2.20)には、次のように書いてあります。
「1931年8月、柳条湖の満鉄線路爆破工作の謀略資金の調達を関東軍高級参謀・板垣大佐より頼まれた参謀本部支那課長・重藤大佐と欧米課ロシア班長・橋本中佐は、藤田に事情を明かし資金の提供を要請、藤田は応諾して資金を出した」
藤田勇は元報知新聞(今の報知は題号のみ継承)記者で、仕掛人から阿片密売の豪商となり、数々の謀略の陰で暗躍しました。橋本中佐はその「手記」で、藤田との関係だけでなく、「重藤金策できたる旨を関東軍板垣に通ずるため」使者を送ったと書き残しています。
以上、簡略に記したような歴史の真相は、現在の「中国の首脳」の政治的処理では、抹殺される可能性があります。というのは、これをさらに追及すると、中国側の阿片工作も明らかにしなければならないからです。なぜなら、板垣や東条らの阿片謀略には、一応の「錦の御旗」があったのです。彼らは、蒋介石の資金源になっている阿片の生産地を押さえなければ「東洋平和」は実現しないと主張していたのです。
国家やアカデミー業者、マスコミ業者の間の談合の手打ちで、「歴史」を決定されてはなりません。あくまで個人が責任を持って調べ尽くし、書き残すべきです。
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