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『亜空間通信』850号(2004/08/08)
【8/15は敗戦記念か終戦か政府首脳の靖国公式参拝の背後に控える薄汚い経済的基礎の算術事始め
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転送、転載、引用、訳出、大歓迎!
毎年、この時期になると、原爆忌、8/6・8/9で、「夏のお化け」のにわか平和主義者、いやさ、不勉強な腰抜けの平和売人どもの組織の商売繁盛で、そこから本日から一週間後の8/15に至り、敗戦記念か終戦か、いまだに非科学的で、実に幼稚な日本の近代史に関する議論が始まるので、もう、うんざりする。
それらの議論の中でも、最も薄汚いのが、靖国の「英霊」云々である。首相、閣僚の公式参拝是非論ともなれば、文字を見るだけで、反吐が出る。簡単に言えば、軍人と民間人の死後にまで続く差別であり、その死体を担ぐ破落戸の詐欺商売なのである。
徴兵された平兵士ならまだしも、軍人の普通の意味の職業軍人は、人殺し稼業の戦争犯罪人ではないか。そんな連中を、「英霊」などと奉るのは、実におこがましい。
しかも、この薄汚い風景の周辺には、お定まりの最も下品な暴力団がいる。
私は、千代田区のど真ん中、皿が一枚、二枚、三枚、「番町皿屋敷」で知られる江戸時代の屋敷町、その二番町の元満鉄総裁邸をば、戦前の元・最も暴力的な内務官僚、元警視庁特高課長の正力松太郎が、戦後になって政治的にせしめた敷地の日本テレビに、1961年から1988年まで、何と28年間も通ったから、すぐそばの靖国神社、その横の九段坂の下の元・軍人会館、九段会館は、いわば、薄汚れた田舎の地元の見慣れた、いや、見飽き果てた風景である。
当時も、靖国神社の境内には、あの不細工で、下品な、米軍式迷彩服を着た酔っぱらい、薄汚い、飽食のでぶでぶの右翼がたむろしていた。アメ公のケツ嘗めて、どこが民族主義だ、何が英霊だ、何で元軍人、特に殺し屋商売の専門の職業軍人、その遺族などが、実際は暴力団でしかない右翼の下っ端の下品な大音量の街頭宣伝車なんぞに、ゆすりたかり商売を許す宗教法人と称する悪徳商売に、ネタを提供しているのか、実に不愉快であった。
今もなお、不愉快である。今年は特に不愉快である。またぞろ、職権乱用も甚だしい「公式参拝」を強行するに違いない「現」首相には、婦女暴行逮捕歴があり、私は、この犯罪的な糞餓鬼を、高裁への控訴、新しい訴訟の2件で訴え続けているのである。
偉っそうな表現の「公式参拝」とは、何のことはない、旧軍人・軍属と遺族の会の経済的な要望に応える乞食根性の政治活動でしかない。
旧軍人・軍属と遺族の会そのものの経済的基礎は、旧軍人・軍属・軍属とその遺族の恩給である。遺族には戦死者の遺族もある。
わが個人的立場は、父系の祖父以来、恩給とはまったく縁のない民間人である。母系にも直系では軍人はいない。
わが亡父は、セメント会社の技術者で、徴兵はされず、その代わりに、北京郊外の北支那開発公社の工場に出向になった。一家も北京に引っ越した。敗戦後、引き揚げる時には、わが一家は、手で持てる荷物だけしか持ち帰れなかった。いわば「着の身、着のまま」、九州の佐世保港に着いた時に、引き上げの途中の収容所で生まれた赤ん坊も含めて、一人に新円の千円札1枚が支給されただけである。公社は国策会社だが、公務員でも軍属でもなかった。だから、恩給には、まったく縁がないのである。
日本国には膨大な貸しがあるだけで、何の恩義もない。私自身は、防衛大学校に半年だけ行って、「税金泥棒」してきたが、一応は準公務員として「勤務」したことになっているから、何の遠慮もする必要はない。しかも、その経験の実感は、ちゃんと生かして、自衛隊の憲法違反、安保条約反対の運動で、一般国民に、「恩返し」している。
「靖国の英霊」は、いわゆる「右」の御輿だが、この「右」の経済的基礎は、旧軍人・軍属と遺族の恩給である。財源は税金である。しかも、旧軍人の大多数は、降伏が決まったポツダム宣言の受託後に、急遽、2階級特進したりして、恩給の計算の基礎額を増やしたのである。
職業軍人の場合には、本来ならば、むしろ、その商売の売り込みの失敗、敗戦の責任で、一般国民から賠償請求されるべき立場、応じなければ詐欺罪の犯罪者である。身ぐるみ剥いで、重労働の刑に処しても、しかるべきところである。
わが家は、税金を納める、いやさ、ふんだくられる立場であり続けた。わが実に乏しき年金は、基本的には、自分が、または雇用主が、積み立てた財源から支給されるものである。
一部の日本人が、軍人・軍属になったのは、戦前から戦争中の偶々の事情によるだけで、戦後も最早、来年で60年にもなろうとするのに、何で相も変わらず、民間人が、経済的な差別を我慢し続けなければならないのか。納得できるわけはないから、今年はついに、実情調査の開始に踏み切った。
軍人・軍属の恩給の電網検索結果は、実にややこしくて、まるで分からないので、総務省恩給局に電話で聞くと、返事は非常に遅かった。
やっとのことで聞き出したのだが、現在、旧軍人・軍属の本人または遺族、124万3千人が、1年の総額で、1兆と232億円を、受け取っている。票田としても巨大である。
1人当たりの平均額は、1年で82万3千円余、月額で6万8千6百円になる。比較のために電網検索すると、「現在の国民年金の平均受給額は4万6000円」と出た。
これだけでも、旧軍人・軍属の本人または遺族が受け取る恩給は、国民年金よりも平均して5割程度多い、ほぼ150パーセントである。普通の表現では、5割増しである。
戦死者の遺族は、恩給局ではなくて、厚生労働省の管轄で、約3万人が、560億円、年平均で86万6千7百円、月額で7万2千2百円余である。「民年金の平均受給額」の157パーセントである。5割増し以上である。
他の年金と重複支給されているとも聞いたので、これまた、実にややこしい電網検索結果を、以下の部分だけ紹介する。
http://www.soumu.go.jp/jinji/onkyu_qa.htm#q1
Q21 恩給と年金は両方もらえますか?
(A) 恩給はもともと公務員(旧軍人を含む)(資料1)とその遺族を対象にして発足した国家補償の性格を有する年金制度でしたが、戦後は公務員の年金制度の改革に伴い、国鉄・専売・電電の三公社の職員を対象にした公共企業体職員等共済組合、国家公務員を対象にした国家公務員共済組合、地方公務員を対象にした地方公務員等共済組合の3つの共済組合制度に順次移行しました(資料2)。
このように恩給制度と共済組合制度は、その対象範囲は必ずしも一致しないものの、基本的にはどちらも公務員を対象にした年金制度であることから、恩給制度を引き継いだ共済年金を決定する際に不利益を生じないように恩給期間と共済組合期間は原則として通算することになっています。
次に、恩給と共済組合制度以外の公的年金制度との関係を見てみますと、恩給は公務員を対象にしているのに対して、厚生年金は民間会社に雇用されている人、また国民年金は自営業者の人を主に対象にしており、その対象者を異にしています。このように恩給と厚生年金・国民年金とは、基本的な枠組みが相違しており、まったく別個の制度として発足したことから、恩給期間と厚生年金期間(または国民年金期間)が通算されることはありません。
このような観点から、恩給受給者が他の公的年金(国民年金、厚生年金、共済年金)も受けられる場合、その両方を受給できるかどうかは、基本的には次のように考えることができます。
(1)厚生年金(又は国民年金)も受けられる場合
上記のとおり恩給期間と厚生年金期間(又は国民年金期間)とは通算されませんので、恩給を受給している方が民間会社を退職して老齢厚生年金を受給したり、あるいは自営業者の方が国民年金を受給することになっても、恩給は打ち切られることなく引き続き支給されます(資料3(PDF))。
また、私立学校共済組合年金の場合も同じ扱いで併給されます。
(2)共済年金(国家公務員または地方公務員)も受けられる場合
この場合は、原則として恩給期間を有している方が共済組合制度施行後に公務員を退職した場合、恩給期間は共済組合期間に通算され、共済組合から年金が支給されることになります。したがって恩給は支給されません。ただし、共済組合制度施行前に、既に恩給を受給しているような場合は、例外的に恩給と共済年金を併給されることもあります(資料4(PDF))。
こりゃあ、しがみつくのは当然である。欲と道連れ、婦女暴行逮捕歴があろうとなかろうと、「公式参拝」する奴なら、首相にして置くことになる。
これ以上は、私一人では、疲れてしまうから、広く情報を公開して、あと一週間、8/15までの間、大方の議論、追跡調査に委ねる。
「靖国神社」とか「英霊」とかは、私にとっては、最も忌まわしい差別と、それを維持する暴力の象徴でしかないのである。
以上。