連載:元共産党「二重秘密党員」の遺言(その21)

旧知の日共中央委員に個人的な人間性の最後の望みを託す

2000.9.9 WEB雑誌憎まれ愚痴連載

 先週末の9月7日(金)、参議院議員の林紀子(トシコ)から電話が掛かってきた。半月程前、私の方から参議院議員会館の中にある個人別の議員事務室に電話をしたのだが、その際、不在だったので、電話を受けた女性の秘書に、昔の仲間の問題で話したいことがあるから連絡が欲しいと伝言しておいたのである。

「昔の仲間」とは、本シリ-ズの冒頭に掲げた元「ラジ関」(ラジオ関東の略称。現ラジオ日本)の不当解雇事件争議団の当事者の一人、碓氷さんのことである。碓氷さん一家は、現在、林紀子を含む日本共産党関係者を、弁護士なしの本人訴訟で訴えている。私は、碓氷さんから提訴したとの電話を受けて、林に事態解決を求める電話をしてみると約束したのだった。

 最初の私からの電話の時期は8月の中頃で、国会も夏休み期間だった。林は選挙区の広島方面に行っているとかだったが、提訴の事情を知る女性の秘書は、必ず本人から電話させると約束した。しかし、その後、なかなか電話が掛かってこないので、もう一度、9月初め頃に催促の電話を入れた。その際、電話に出た秘書は、前と同じ女性だったらしく、私の最初の電話の内容を覚えており、私の電話番号も控えてあると言った。

 林紀子は、電話口で最初に遅れを詫びた。林との直接の電話の会話の内容には、すべてを文字にするわけにはいかない部分がある。最後の部分を先に記すと、林は、私の要望に応えて、昔のラジ関の争議を戦った仲間を語い、碓氷さん一家を囲む集いを持つ努力を約束してくれた。私は、現在もまだ普通以下の経済事情に耐えている碓氷さん一家が、苦しい戦いだったが戦って良かったと、自分たち家族の歴史を誇りを持って振り返れる場を作るのは、昔の仲間の当然の義務ではないかと説いたのである。

 私は、その林の約束を前提にして、早速、今週の月曜日、9月11日、現ラジオ日本のアナウンサーで我々よりも若手だが、今や定年間近の元争議担当執行委員のAに電話をし、経過を要約説明し、協力を求めた。Aは私の要望に応えると約束した上で、私の現在の電話番号を教えてくれと言った。私は、FAXと留守番録音も兼用の唯一の電話番号を告げ、木村愛二の4文字で検索エンジンOKだから、ホームページを見るように求めたが、Aはまだインターネットしていなかった。

 私は、ガス室問題はもとより、ユーゴ問題などの別途記事のように、日本共産党関係者とは決裂中の諸問題を抱えている。本シリーズにも概略を記した「除籍」問題をも、林に告げた。林とは、「除籍」前に近所の党員に誘われて行った「赤旗祭り」の場で、パッタリ会ったことがある。その時には、「しんぶん」が頭に付く前の中央機関紙『赤旗』が、パレスチナ分割決議の地図入り解説を間違えていて、私が訂正を求めても応じないことなどについての「官僚主義」批判を展開した。当時も参議院議員だった林は、困った顔をしてはいたが、別に官僚的な反発は示さなかった。

 もともと、林の方が、ほんの少しではあるが私よりも若いし、労働組合でも、日本共産党でも、私の方が先輩である。林だけではなく、先輩の碓氷さんをも含めて、ラジ関の仲間と知り会ったのは、私が民放労連の関東甲信越地連の執行委員だった時代のことである。以後、通算7年ほど、私は、自分の不当解雇反対闘争の以前にも、ラジ関の争議を支援する立場で彼等と接していた。だから、私の活動振りや性格などについては、一応の認識を持っているはずである。つまり、現在の立場を抜きにして、昔の闘争の仲間としての会話が成立する関係にある。

 碓氷さんと、もう一人のラジ関不当解雇争議の当事者の問題については、先にも記したように、本シリーズの冒頭に掲げたから、ここでは繰り返さない。冒頭に掲げたのは、これが日本共産党の「人間性」を問う基本的な重大問題だからである。いわば試金石である。私は、別に、日本共産党全体が憎いなどという低水準の感情で、このシリーズを発表しているわけではない。日本共産党と、その個々の党員個人、組織と個人、その諸々の存在は、人類史の1ページをなしている。消すことのできない歴史的事実なのである。私自身が30年余も、「日本共産党『二重秘密党員』」であったことも、同じ意味を持つ。その私が、今、先輩の碓氷さんの一家の問題について、個人として、かつ、昔の闘争の仲間の一人としての林に、「個人的な人間性の最後の望みを託す」のである。「もう一人のラジ関不当解雇争議の当事者」の改悛を求めても無駄なようであるから、別の非公式な昔の仲間の輪を作ることを、私は提案したのである。

 もともと、この問題は、「職場を基礎に」の日本共産党のスローガンに従って戦った時代の後遺症の一つでもある。だから、同じ民放の仲間ではあっても、私が表面に出るのは不都合である。昔のラジ関の仲間としての林に、「最後の望みを託す」のは、むしろ、自然の成り行きなのではないだろうか。なんとか、期待に応えて欲しいものである。

以上で(その21)終り。(その22)に続く。


(その22)鬼よ笑え、20世紀をソ連と「結社の自由」興亡史として理論化の構想
『憎まれ愚痴』58号の目次
連載:元日本共産党「二重秘密党員」の遺言リンク