無言の『赤旗』広告拒否理由:もしやの意見書
1999.2.19 WEB雑誌憎まれ愚痴連載
前々回と前回の続きで、無言の『赤旗』書籍広告掲載拒否に際して、私が、直ちに「もしや」と疑った理由は、数え切れないほどある。その第1が、広告拒否された本に出てくる宮本顕治と非常に関係が深い「意見書」提出の事実である。
そこで、1989年、昭和天皇が死んだ年の、ルーマニア問題に関する意見書を、順次、若干の事情説明を加えて、発表する。
以下[ ]内は現時点の注記。その他は英数字、句読点表記、改行以外は原文通り。
[埼玉県委員会宛て]ルーマニア問題・緊急意見 1990.4.10.
352 新座市堀ノ内1-6-38-208.TEL:0484-78-9979.木村愛二(転籍手続き中)
小生は県委員会に転籍手続きの書類が届いたばかりの党員ですが、以下のA.B.のような意見を緊急事態と考えて提出しておりますので、貴機関でも検討と回答をお願いします。なお、一部省略してあります。
A.緊急意見。1990.3.5.(都委員会直属党員として中央と都に提出)
小生は先日来、ルーマニア問題に関して赤旗編集局及び党機関に電話で意見を申し上げてまいりましたが、その後の紙面を見る限り、小生の意見が考慮されたとは思えません。文書で提出した方が良いという、当然といえば当然の御忠告を党機関からいただきましたので、以下、簡単に意見の要点を述べ、回答を求めます。
意見の概要(ルーマニアに限定)。
1。党機関及び赤旗の論調が非常に感情的で、かえって反発を買うと思います。赤旗に載る文章が、党内向けの通達の文章なのか、一般読者も読む新聞(赤旗記者は取材の際に新聞の赤旗ですが」といっています)文章なのかがよく分りません。
2。一般党員及び読者大衆の「事実を知りたい」という要求に充分に応えていません。
3。『サンデー毎日』1990.3.4.に対する反論:赤旗2.27.及び赤旗評論特集3.5.の緒方靖夫氏名による論文には、特にその特徴が顕著です。その上、大事な争点事実がずれているため、反論として成立しているとはいえません。党規約違反にかかわる問題を主要争点と考えれば別ですが、それを一般読者に要求するのは無理でしょう。ルーマニア情勢についての分析材料が存在したか否かという点に関して、一般読者が双方を読み較べるとすれば、『サンデー毎日』の主張を取る以外にありません。
4。このまま論調を変えないと、いずれは赤恥をかいて、全体に被害が及ぶと思いますので、早急に全面的な検討をして下さい。小生は4.8.声明事件[1965年春闘で共産党中央委員会が公労協のストライキを当局と通じた謀略と判断して党員に中止命令を出し、後に自己批判したが、多数の共産党員が、現在のJR,NTTの労組から除名処分となり、以後の党活動と労働組合運動に重大な損害を与えた事件]の時に職場の組合幹部でしたが、一度失った大衆の信頼を取戻すのは容易ではないという実感を持っています。
5。ルーマニアの独裁専制支配問題について、少なくとも1979年前後には、かなりの情報が得られたと判断できるので、党は早めに「情報収集の努力不足と分析の遅れについての反省」を発表すべきです。昨年の天安門事件以後の批判では、どうひいき目に見ても遅過ぎたのです。
「過ちを改むるに云々」の論議は失礼と思い、省略します。
主要な個別事実
1。小生にはいささかも宮本顕治氏の責任を云々するつもりはありませんが、赤旗2.8.宮本顕治氏名の論文を見る限り、ルーマニアに赤旗特派員または党の駐在員などが派遣されていたとは判断できず、たとえ不十分ではあろうとも、1979年当時の「ルーマニアの1教師、アムネスティ・インタナショナルに『国家機密』を伝えたかどで告発される」「ブカレストで逮捕されたギリシャ正教司祭救護のアピール」(赤旗評論版3.5に見出しだけ)という見出しの外電が党本部に届いていたと推測することも不可能です。野次馬の第3者が週刊誌風に書けば「隠された事実」という見出しにならざるを得ません。小生も寡聞にして、それ以外に特にルーマニアに関する情報を持っておりませんでした。確かに「秘密警察とか内戦用地下道とかの生々しい事実」につながる文脈ではあっても、「ルーマニア側のガードは堅く、……事前に知ることは不可能だった」という表現のみが強く印象に残りました。小生も一読して、「今の情報化時代に……。陸続きのヨーロッパで亡命者がいない筈はなかろうに」という疑問を禁じえませんでした。これはマスコミ関係の小生の友人(局長、部長クラスだが決して反共ではない)が一様に昨年来、本気で「心配」していたことでもあります。「なぜ掴めなかったのかな」と、……。
2。『サンデー毎日』は1978年のアムネスティ・インタナショナルの年次報告(内容は省略)を「ほんの1例」として紹介していますが、これが唯一の証拠引用であるにもかかわらず、緒方論文は、この1978年の報告には全く触れていません。つまり、相手側が提出した証拠の信憑性をめぐる反論の体をなしていないのです。チャウシェスク時代には問題はなかったかのような別の年次報告のみを引用し、80年代に入っての記述については「日本をふくむかなりの数の資本主義国からの」訴えもあるという論旨不明の部分をはさみながら、内容紹介抜きに「ルーマニアがとりあげられたことをもって、即人権侵害の国と断定することができないことは明白です」と断言しています。小生は解雇反対で日本テレビと16年争い、裁判闘争を経験していますが、「『明白』と力んで準備書面に書く時はあまり明白じゃないことが多いんだよね」という弁護士の言葉を思出しました。
3。くだんの元特派員が党に反旗をひるがえしたことは確かでしょうが、それだけでは「変節者」だとか「落第者」だとかの断定は、離れた所にいる小生にも、ましてや赤旗の一般読者には、全くなしようがないことです。小生はマルクスの、全てを疑うのが科学的な態度だという考えに賛成しております。また、ソ連や東欧諸国の現実は、党に反旗をひるがえすことの方が正しかったという結果になっており、日本共産党でも副委員長が変節したのはつい先日のことです。幹部の発言だからといって全てを信じるわけにはいかないのです。やはり、常に正確な事実を追及し続けるべきだと考えています。
赤旗の購読料を払っている立場としては、人件費の無駄使いに抗議したいところです。重要な取材を勝手に放棄していたのなら、普通の企業の場合、上司も「監督不行届き」で処分されかねません。ルーマニアの事実を知り、今後の社会主義の行方を考えたい党員や読者としては、まことに迷惑な話であって、楽屋落ちの醜い泥試合はもう結構という気分になるのではないでしょうか。
以上、党の規律上の細部は別として、この『サンデー毎日』をめぐる論争経過により、少なくとも1979年前後にはルーマニアの独裁政権を疑うべき材料があったことが「明白」になったと考えます。たとえ敵のスパイがもたらした情報でも、情報であることには相違ありません。すでに「ささいな私用で」「取材を放棄したり」して、「自分の目、耳、足で仕事すべきだ」と「つよく批判された」筈の特派員がそのまま1,2年は重要な任地に止まっていたり、特に誰かがカバーした様子もないらしいのはなぜか、といった疑問も解消しないのです。
天皇制特高警察の支配下、戦争中の獄舎の中でさえ正しく情勢を分析したと伝えられている先輩に感激して入党した小生としては、非常に残念です。
党規律の問題に関して一言申上げますと、いきなり「ささいな私用で一時帰国」などと先方が弁解できぬ場での人格攻撃を真向からバッサリ、という論争の始め方はいかがなものでしょうか。読者には「ささいな私用」の内容も任務との関係も全く分りません。裁判でいえば証人の信頼性についての反対尋問に当たるでしょうが、それなら証拠も示さないければなりませんし、本人がその場で弁解できます。このような感情むきだしの文章が出てくると、小生のようなズッコケ人間は恐ろしくてなにも意見が述べられなくなります。
日本共産党は反体制とはいえ立派な権威であり、潜在的権力組織なのですから、何十年か前なら党組織の防衛という名目が立った「裏切り者へのプライバシー暴露攻撃」もほどほどにしないと、世間常識からかけはなれるのではないでしょうか。もっと穏やかに、論議になっている主題に関する事実で反論してはいかがでしょうか。そうでないと逆効果です。現実には、元副委員長の変節でさえ、それ程の破壊的影響はなかったのですから、元赤旗記者の1人や2人の裏切りで、人様の前でプライバシー暴露を始めるのは、身内としても大人気がないと感じます。もっとも、事実による反論ができないのであれば別ですが。
小生自身の体験でいえば、職場の労組への分裂攻撃と闘い、小生の裁判の裁判所への署名では、組合員が従業員の半分以下のところ、全従業員の7割の署名を集めることに成功しました。その中には多数の党籍離脱者もいましたし、組合を脱退した元組合員が含まれていたわけです。分裂攻撃との闘いでは宗教でいう「恕」に似た心境が必要です。党と大衆組織や宗教では違うといわれるかもしれませんが、人間が集まる組織の原理は同じではないかと思います。
なお、1966年の大会決定が論拠として持出されていますが、これも相手の程度による問題があり、拡大解釈をしてはなりません。あの決定の時点で、誰が今日のルーマニア独裁のような残酷な現実がありうると予測していたでしょうか。スターリニズムに反対しているから少しは民主的だろうという前提の上での議論だったのではないでしょうか。戦国時代の権謀術策に近い動きに対しては、今後も厳しい目で見る必要があるのではないでしょうか。敵の敵は味方という政策は社会主義の大道ではないでしょう。程度は違うでしょうが、同じ時期にパナマの独裁者がアメリカの支配に反対していたことを想い起こします。
以上。
追伸 言葉が過ぎた点もあろうかと思いますが、長期の裁判闘争の癖が抜けませんし、党内の言論の自由が保障されていると信じての上の文章ですので御容赦下さい。また、簡潔を旨としましたので、意を尽くさぬ点は多々あります。その点も含めて、議論の場があれば幸いです。
B.ルーマニア問題・再度の緊急意見 1990.4.9.
小生は3月5日付けで、ルーマニア問題に関する緊急意見を貴機関に提出し回答を求めましたが、未だ回答を得ておりませんし、また、『赤旗』紙面を見る限りでは小生の意見が考慮されたとも思えません。
ところがその後に発行された月刊『現代』1990.5.に、「元『赤旗』特派員・ジャーナリスト」の「いわな やすのり」氏名の再反論が掲載されましたので、以下、小生の論旨の追加を行います。
1。小生は緊急意見3.5 の末尾で、読者に事実が全く分らない人格攻撃から始めている赤旗』2.27及び『赤旗評論集』3.5の緒方靖夫氏名論文の手法を疑問としましたが、もし、『現代』の再反論のその部分(『現代』1990.5.p. 100~101 )が事実なら、低賃金の『赤旗』記者としては公団住宅の居住権が掛かっていたことになり、決して「ささいな私用」(『赤旗』2.27.及び『赤旗評論集』3.5.)とはいえず、記載のごとくに「外信部長」の承認を得ているのであれば、このことを主たる理由として「落第人物」の烙印を押すのはひど過ぎると愚考します。また「日本の各社の特派員が取材にかけつけた」という中には赤旗』が特約しているはずの時事通信は含まれていたのでしょうか。それでも不十分な重大事件という判断があれば、『赤旗』外信部からカバーに飛んでも良かったのではないか、という疑問もあり、ことはますます重大です。この点をうかがいたい。
2。「使えなかった『目、耳、筆』」(同p. 101~102 )の『筆』に関して、「社会主義の優位性について攻勢的な宣伝を書け」という宮本氏の指示があったという部分は、小生の読者としての経験に一致しますが、その「指示」の事実はあったのか。また、特派員が否定的な記事を送ることが可能だったのか。ルーマニア共産党と友好関係を誇示している時期の日本共産党機関紙特派員が、ルーマニアの反チャウシェスク・グループの実状を取材することが、果たして可能だったのかどうか。
3。当時のルーマニア共産党機関紙『スクンティア』が「東京にも送られており、日本共産党は、異常なチャウシェスク個人崇拝を容易に知りうる立場にあった」(同p.102)というが、その点はどうか。もし知りえていたとすれば、規約上国際問題を任されている立場の中央委員会として、どう判断していたのか。
4。上田耕一郎副委員長が「この国はひでえんだな。女房をナンバーツーにしてんだろ」(同p.103)と発言した事実はあるのか。もし事実だとすれば、それを規約上国際問題を任されている立場の中央委員会で議論したのか。もし議論したとすれば、どう対処すれば良いと判断したのか。
5。「(事実、この頃、チャウシェスクは妻のエレナ、息子のニクを始め、一族縁者三十数人を党と国家の要職につけ、……)」(同p.103)という部分は事実と一致するのか。もし事実なら、規約上国際問題を任されている立場の中央委員会として、その様なルーマニアの実状を掌握していたのか。もし掌握していたのなら、どう判断していたのか。
6。アムネスティ年次報告に関して、「1987年から89年までの英文……ルーマニア部分……すべて、1,3ページを割き、人権侵害を詳細に報告……。1983年、『ルーマニア:80年代における人権侵害』と題する、全文27ページの英文パンフレットを発行」(同p104~105)とあるのは事実か。もし事実だとすれば、中央委員会はこれを知っていたか。もし知っていたとすれば、どう判断していたのか。
以上、特にこの問題に関する予備知識を持たない立場としても、大いに疑問を感ずる点が多々あるので、早急に検討と回答を求めます。もし万一、「いわな やすひろ」氏の主張する如く、日本共産党の中に宮本氏の言動に関しての批判を許さないというような実状が生れているとすれば、ことはますます緊急かつ重大であります。
小生は、日本共産党が戦後の一時期の「家父長制」打破以来、国際共産主義運動中では希少価値ともいえる独裁支配排除の伝統を築いてきたと考えておりますが、その中心に立ってきた宮本氏が晩節を汚すようなことがあれば、それはただの残念では済みません。ルーマニアの独裁支配の実状に関しての判断が遅れたというだけなら、極端にいえば、御免、御免で済むことです。なにも日本共産党が直接に人権侵害をしたり、反対派を虐殺したわけではないのですから。
しかし、このまま、「いわな やすひろ」氏のような文章に対する感情的反発にまかせて、事実の分析を曖昧にしたままになれば、「科学的社会主義」の名が泣き、党の存立の基盤自体が崩壊します。小生は今回の8中総[第8回中央委員会総会]に関する意見としても、「対応の遅れ」をもっぱら「下部の不勉強」に帰するがごとき論調に疑問を感じておりますが、ここではその点は論じません。「いわな やすひろ」氏とは違い、あくまで党員として、規約の範囲内で可能な限りの党内闘争を覚悟しての上での意見ですので、事実に基づく回答をお願いします。
以上。
私は、この意見書を提出した以後に、中央委員会から代々木の本部への出頭を求められた。そこで経験したのは、それ以前の私の想像を上回る官僚主義の壁の厚さであった。
以上で(その8)終り。次回に続く。
(その9)続:もしやの意見書:ルーマニア問題で代々木出頭指示へ
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