連載:元共産党「二重秘密党員」の遺言(その10)

続:もしやの意見書・党大会へも「ルーマニア問題について」

1999.3.5 WEB雑誌憎まれ愚痴連載

 前回述べたように、私は、1990年の4月ごろ、アムネスティ日本支部に赴き、そこで発見できた限りのルーマニア関係資料を、すべて全文コピーした。英文、仏文、日本語訳による1978年から1989年間での年次報告のルーマニアに関する部分と、アムネスティ・インターナショナルの特別報告、『ルーマニア:1980年代の人権侵害』(Human Right Viorations in the Eighties.本文27頁)である。

 前回の意見書で述べているように、4.13.に党本部で会った国際部の大沼作人は、その後、私の電話連絡に対して、国際部はアムネスティ年次報告を所持していなかったという事実を認める返事をしている。私がコピーを送ろうかと申し出ると、それは党中央として直接入手すると答えた。大沼作人は、前回批判した元赤旗記者の和田とは違って、誠実そうな人柄と見受けたので、少しは期待が持てるのかなと思っていたら、これも前回の意見書で示したように、「国際部長交代。しかし、再び唖然。」と言う状態になった。

 呆れていたら、第19回大会決議案に関して、一般党員からの意見を受け付け、『赤旗』評論特集版(パンフレット程度)に載せるというので、早速、以下の文章を送り、これは、そのまま掲載された。

 以下、『赤旗』評論特集版(特集・臨時増刊第1号「第19回党大会議案についての意見」1990.6.14.No.695.p.5-6)に掲載された拙文を再録する。「徳永修」は、私の党内ペンネームである。徳永は母方の姓である。修という一字を選んだのは、『太陽のない街』で知られるプロレタアリア作家、徳永直の一字の名に倣ったものである。


「ルーマニア問題について」

 私は、第19回大会決議案(以下、単に「案」)中、第2章、4 、ルーマニアに関する部分の大幅な修正を求めます。

「案」は、日本共産党がルーマニア共産党と一連の共同文書を発表するなどの友好関係を保ってきた経過についての党内外の疑問(以下、単に「ルーマニア問題」)を意識しながら、1966年の第10回党大会で定めた「外国の党と関係を結ぶ基準」(以下、単に「基準」)に照らして、いささかの手落ちもないという論調を貫いています。

 しかし、常識的に考えても、「基準」の適用には自ずからなる限界がありますし、特に日本共産党の場合には、長年にわたって築いてきた「自由と民主主義」の原則を逸脱すべきではありません。いかに生成期社会主義国の限界があろうとも、相手の党が「自国内」の「民主主義と人権」を踏みにじり、到底その国の人民を代表すると判断できない場合においては、その状態を単に「路線」や「内政」として見逃してよいとするものではないはずです。

「ルーマニアのチャウシェスク政権」は、その最後の状況からみて、明らかに「基準」から適用除外されるべき典型例でありました。そして、「ローマは一日にして成らず」。あのような恐るべき独裁体制を築くには、かなりの年数が必要だったと考えるべきでしょう。

 そこで問題の核心は、その「基準」適用除外の判断を、いつ、どのような資料に基づいて下すべきであったか、ということになります。その充分な総括なしには、今後の「基準」の運用が危ぶまれ、日本共産党が今後、「世界にどう働きかけるか」の基本姿勢が問われると思うからです。

 すでに5月1日付け『赤旗』紙上に中央委員会国際部長の新原昭治氏が「国際連帯についての日本共産党の基準とルーマニア問題」を発表され、5月28日付け『赤旗』評論特集版には政治学者の加藤哲郎氏の「ルーマニア問題について新原昭治氏に答える」が掲載されるなど、党内外の「ルーマニア問題」に対する関心は広がっています。私はこの問題を、日本共産党に与えられた貴重な試金石であろうかと考えます。その際、真に問われるものは、事実に対する誠実さであり、今後の情報収集と分析能力改善への期待と信頼ではないでしょうか。

 中央委員会は国際問題に対応する唯一の機関として規約で定められていますが、私はまず、全党員に対して、この問題に関する資料収集と分析の努力の経過を詳細に明らかにし、論議と判断の材料を提供すべきだと考えます。

 私が現在までに入手しえた限りの資料でも、たとえばアムネスティ・インタナショナルは、同年次報告1975年版によると、宗教と少数民族問題の投獄者について「9件」に関わっています。以後、1976年は「14件」、以下、件数の記載はありませんが、内容的には「良心の囚人」や「移住希望の逮捕者」に関する記述が増加し、「1980年7月にはアムネスティ・インタナショナル・ブリーフィングを発表」(未入手)とあり、1987年7月には本文27ページの特別報告『ルーマニア/80年代の人権侵害』(入手)が発表されており、ここではさらに「政治的逮捕」や「表現の自由」の抑圧、「拷問」(傷跡の写真入り)が大きな問題になっています。

 アムネスティ・インタナショナルは、同年次報告などをマスコミ機関などに積極的に送り付け、広く協力を求めている組織であり、日本支部もあります。同報告の入手には困難はありませんし、また、同じ内容の外電も数多く存在したはずですから、もっと早く事態の分析ができたと考えられます。

 現在の「案」は、「ルーマニアのチャウシェスク政権の変質が『国際的にはっきりあらわれたのは』、昨年の6月の天安門事件にたいしてこれを支持する態度を表明したことだった」(『 』付けは筆者)と記述していますが、これは非常に曖昧です。また。日本共産党が「機敏」な対応をしたと主張するのは、かなり無理があると思います。やはり、遅きに失したという事実を率直に認めるべきでしょう。そういう誠実さこそが日本共産党の伝統でなければなりません。『 』内の部分は「最早だれの目にも明らかになったのは」と修正すべきであって、専門的に国際問題を担当する中央委員会としては、その何年か前に事態を正しく分析して対応していなければなりません。その点の責任と反省を明らかにし、今後の教訓とすべきではないでしょうか。

 以上の文章は、非常に押さえて書いたつもりだったが、これに対して、中央委員の一人の名で、かなり失礼な表現で、しかも重要な論点を外した反論が、5日後の同誌に掲載される結果となった。当然、また反論し、その後、再び、本部への出頭指示がきた。次回には、そのやり取りを再録する。

以上で(その10)終り。次回に続く。


(その11)続:「ルーマニア問題」意見への「中央」反論
週刊『憎まれ愚痴』10号の目次
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