共産党中央に国鉄闘争「4党合意」拒否の明確化を求める反主流(その1)
2000.8.4 WEB雑誌憎まれ愚痴連載
さる7月1日、国会議事堂のすぐ下の社会文化会館で開かれた国労臨時大会は、1047名の解雇反対闘争について「JRの責任を問わない」前提条件の4党(与党・社民党)合意の承認を求めるものであった。しかし、この屈辱的な執行部提案の押しつけに反対する代議員の反論が相次ぎ、とりわけ解雇団の家族の悲痛な訴えが会場の熱気を、いやが上にも高めた。それでもなお、多数を頼んで採決を強行しようとする議長団に抗議する闘争団が、ついに壇上を占拠するに及び、臨時大会は8月26日に継続となった。
現場には、国労闘争を、その発端から取材し続けてきた「ビデオプレス」のスタッフが3人いて、その模様をすべてヴィデオに収めた。緊急に編集されたヴィデオ・ドキュメントを、私は、去る7月21日に観た。購入申込は、03-3530-8588まで。
続いて、8月5日、この件について、8月5日、日本共産党員が運営するweb『さざ波通信』から、下記の意見書が届いた。一部に読みやすくするための画線を入れた他は原文のまま、わがホームページに再録する。
岐路に立つ国鉄闘争――共産党中央は「4党合意」の拒否を明確にせよ!
はじめに
国鉄が分割・民営化されて14年、新会社に不採用になった国労・全動労の国鉄労働者1047名を中心に、政府とJRによるさまざまな差別や不当労働行為に対し、粘り強い英雄的な闘争が繰り広げられてきました。しかし、5月30日に発表された与党3党と社民党による「4党合意」(JRに法的責任なしと認めたうえで雇用の回復などの問題解決を図るという内容)をめぐって、国鉄闘争は重大な岐路に立たされています。
国鉄労働組合(国労)の中央執行委員会は、この「4党合意」を受け入れることをただちに決定し、7月1日にその承認を正式決定する臨時大会を強行開催しました。この臨時大会は、「4党合意」に反発する闘争団およびその支援グループの必死の抵抗によって一時休会を余儀なくされましたが、情勢はまったく予断を許さないものです。
こうした重大な局面にあって、国労内の共産党員と共産党中央の立場が鋭く問われています。私たちは、この論文において、共産党の果たした役割を批判的に検証するとともに、今後の課題について簡単に述べたいと思います。
『さざ波通信』編集部
1、14年間の闘いを否定する「4党合意」
すでにトピックスや読者からの投稿で紹介されているように、現在、86年の国鉄分割民営化以来、14年間に渡って繰り広げられている国鉄労働者の闘いが、歴史的岐路に立っている。社民党と与党3党が、5月29日に、「JRに法的責任なし」を明言し国労が訴訟を取り下げることを求めた合意案をとりまとめ、それを国労本部の中央執行委員会が委員長の反対を押し切って即日承認する決定を下し、その「4党合意」受け入れを臨時大会において形式的多数をたてに強行しようとした。7月1日に行なわれた臨時大会は、「4党合意」絶対反対を掲げる闘争団の人々による決死の抵抗によって休会を余儀なくされたが、国労本部は、闘争団の抵抗を「暴力行為」として糾弾するキャンペーンを繰り広げ、断固として「4党合意」を国労として正式に受け入れるための策動を続けている。
今さら繰り返すまでもなく、86年の国鉄分割民営化は、中曽根内閣の戦後政治の総決算路線の要とも言える政策であり、現在支配的な新自由主義路線の出発点であり、その最大の成果でもあった。それは、できるだけ企業と市場に経済を委ねていくという新自由主義路線にとっての起爆剤であり、現在のリストラ合理化路線のモデルになっただけでなく、当時として最大の戦闘的組合の一つであった国労をぶっつぶすための荒っぽい外科手術であった。
国労は、激しい内部論争と闘争を経て、この分割民営化反対の立場を堅持した。おかげで、国労組合員の多くが新会社に移行するにあたって採用されず、また多大な差別と弾圧と不当労働行為にさらされた。それ以降、国労は、解雇された1047名の復帰と地位回復、国とJRによる数々の不当労働行為の撤回を掲げて、今日にまで至る長期の闘いを開始したのである。
この粘り強い闘いは多くの人々の共感と感動を呼んだだけでなく、国内的にも国際的にもしだいにその正当性を勝ち取っていった。たとえば、全国の地労委や中労委では、JRによって不当労働行為がなされたことが認められて、国労救済命令があいついで出された。また、とりわけ、99年11月には国労の言い分をほぼ全面的に認めたILO中間勧告が出され、そのILO勧告は日本政府に対し「当事者に納得のできる解決に向けて労使交渉の促進を求める」よう求めた。この勧告を受けて、連合さえも「国労問題ILO勧告に関する共同呼びかけ」に署名した。
こうした有利な情勢にもかかわらず、国労中執多数派は、長期の闘争に疲れ果て、しだいに敗北主義的傾向を強めていった。とりわけ、98年に東京地裁が中労委の国労救済命令を取り消したことで、一気にこの敗北主義的傾向が強まり、99年3月の臨時大会では、組合を二分する激しい闘争の末、元凶である国鉄改革法の承認を決定した。今回の「4党合意」とその承認とは、この流れの延長線上にあるものであり、これまでの14年間の闘いを自己否定するものである。
どんな争議であれ、その前提条件は、使用者側の法的責任を追及することにある。使用者側に法的責任がないのなら、解雇撤回や不当労働行為の中止や組合員の救済といったあらゆる要求の法的根拠がなくなることになる。「法的責任なし」と認めた上で、解雇された組合員の復帰を求めるというのは、まったく矛盾した要求であり、それは事実上、使用者側の慈悲にすがって問題「解決」をはかろうとするものに他ならない。
もちろん、あまりに長期にわたる闘いの中で、疲れ果て、生活に困窮し、展望をなくしていく労働者がいるのは事実であり、その責任はあげて国とJRの側が負うべきものである。したがって、争議の当事者である国労闘争団自身がそのような「解決」を求めるのだとしたら、それは悲しむべき現実だが、外部がとやかく言うべきことではないだろう。しかし、闘争団の大多数はなお闘う意思を十分に示しているにもかかわらず、その意思を蹂躙する形で、国労トップと社民党が安直な政治決着をはかったのが、今回の「4党合意」である。それは、闘う労働者に対するあからさまな裏切りである。
2、共産党の果たした役割
さて、この一連の過程において、共産党はどのような役割を果たしたのだろうか? まず、共産党系の革同(革新同志会)所属の中央執行委員は、この「4党合意」受け入れを全面的に認める立場で奮闘した。彼らは、社民党右派やチャレンジグループに属する中執と並んで、この「4党合意」受け入れを推進した最も断固たる部分であった。彼らは、7月1日の臨時大会でも自派の組合員を全国動員し、ピケットを組ませ、怒った闘争団を排除する前面に立った。彼らの「断固たる態度」は、この合意受け入れを拒否する人々の目から見て、非常に醜悪なものと映った(『労働情報』第555号、2000年7月15日付)。
しかし、共産党系の労働団体のすべてが、この合意受け入れで固まっていたわけではない。たとえば、国労内の同じ革同所属の組合員でも、少数派の左派(こちらも共産党員中心だが、党中央に批判的部分)は、「4党合意」受け入れに反対の姿勢を示している。また、国労と並んで、国鉄闘争を闘っている当事者である全動労(現在は建交労)も、「4党合意」受け入れ反対の姿勢を示している。
では、共産党中央自身はどのような態度をとっているのだろうか?
問題はここである。今回の「4党合意」受け入れ推進は、中央の意思とはまったく無関係の一部の党員組合員による暴走なのだろうか?
残念ながら、そのようにみなす根拠はまったくない。まずもって、このような重大な問題において、党中央の関与がまったくなしに、国労中執の党員が勝手に判断したとはとうてい考えられない。どこまで具体的な指示があったかはについては確定的なことは言えないが、少なくとも、党中央の容認のもとで、革同系の中央執行委員が「4党合意」受け入れを推進したのは、どうやら間違いのないところのようだ。
このことを示唆する一つの状況証拠は、5月30日に正式発表された「4党合意」について、翌日の『しんぶん赤旗』がまったく報道しなかったことである。本来、このような重大な合意案が発表されたなら、批判的であれ中立的であれ、何らかの報道があってしかるべきである。しかし、完全に『しんぶん赤旗』は無視した。その後も、まったく党としての正式見解は示されることはなかった。当時、共産党中央は、総選挙で躍進して政権入りを狙うことができるという幻想に取りつかれていた。そのため、政権入りしたならば問題解決を迫られるであろうこの国鉄問題が、「4党合意」の方向で決着されるならば、それにこしたことはない、と判断していた可能性がある。
さらにもう一つ重大な状況証拠は、この「4党合意」が発表された日の5月30日に、全労連国鉄闘争本部の事務局長による談話が出され、その中で、この「4党合意」について「問題の解決に向けた動き」であり、肯定的な成果であるかのように描き出していることである。その「談話」中の重要部分を以下に引用する。
3、全労連国鉄闘争本部は、本日の与党と社民党の合意が、13年におよぶ1047名問題の解決にむけての動きとして重視する。これが、早期解決に向けた全国570を超す自治体意見書、日本政府の責任で早期解決を求めたILO勧告など、内外の世論の高まりが背景にあってのことは明らかである。
この「談話」には、「JRに法的責任なし」とした決定的な問題点については一言の批判もなく、闘争を闘っている多くの人々はこの談話を、事実上「4党合意」を受け入れるものであるとみなした。それも当然である。
戦後労働運動史上、最も重要な闘争の一つであるこの国鉄闘争において、政権入りの思惑から闘争を裏切り、政府・JRに屈服する方向を選択しようとしたことは、共産党の歴史においてけっして消えることのない汚点を残した。私たちはこのことをまずもって厳しく糾弾したい。
しかし、事態は、「4党合意」受け入れを推進する側の思惑通りには進まなかった。国労内部では、「4党合意」に反発する声がいっせいに巻き起こっただけでなく、共産党系の諸団体の中からさえ、「4党合意」受け入れを批判する声が広く起こった。
こうした中で、6月19日に改めて全労連本部の事務局長名で「国鉄闘争の現局面について」という短い談話が出された。その中で、「4党合意」を「『JRに法的責任がないことを認める』など、国鉄闘争の基本にかかわる重大な問題を含んでいる」と批判し、また政府の姿勢に対しても「今日に至るも政府は誠意ある態度を示していないし、政治の場からのアプローチもおこなわれてきていない」と批判している。そのうえで、「全労連としては、これまで確認してきた基本方針・基本要求を堅持し、すでに予定している大衆行動の成功や世論の結集にむけ、全力をあげ、政府・JRとの交渉テーブルの実現をめざしていっそう奮闘するものである」と締めくくっている(『ZENROREN』第240号、2000年6月28日)。
この短い談話は、同じ日に出された全労協の長い声明と比べればはるかに鮮明さに欠け、「4党合意」に対する反対姿勢もきわめて弱々しい。とはいえ、この全労連の本部事務局長の談話は、5月30日に出された談話と根本的に異なっており、「4党合意」を退け、これまで通りの方針を継続するという内容になっている。このような重大問題で示した全労連のドタバタ劇は、この時期における共産党中央の迷走を如実に示している。
3、7月1日の臨時大会に対する態度
さらに、「4党合意」推進勢力にとって打撃となったのは、結局、選挙で共産党が敗北し、民主党も多数を取れず、政権入りがはかない夢と消えたことである。政権入りの思惑から、国鉄闘争における屈服路線を密かに選択したはずの共産党中央は、下からの組合員の大規模な反発もあいまって、面目を失墜しないような新たな方向性を模索せざるをえなくなった。しかし、どのような態度をとるべきかまだ明確にならないうちに、7月1日に国労の臨時大会が開かれた。この場では、すでに述べたように、共産党系の革同主流派は動員をかけて、「4党合意」容認を大会に認めさせるべく強行突破を図ろうとした。しかし、闘争団をはじめとする反対派の決死の努力と抵抗によって、大会は休会に追いこまれた。
この時点ではまだ方向性を模索中であった党中央は、この臨時大会について『しんぶん赤旗』において、次のようなまったくの中立報道に徹した。以下に、全文を引用する(党のサイトにはアップされていない)。
国鉄労働組合は1日、第66回臨時大会を東京都内で開きました。国鉄の分割・民営化から13年余、1047人の解雇撤回のたたかいは重要な局面をむかえています。大会では、5月30日、自公保3党と社民党による「4党合意」への対応をめぐって、議論が紛糾しました。
大会は、大会延期を求める労働者に阻まれ、代議員が会場に入れないなどで5時間遅れで開催。高橋義則委員長は「JRに法的責任なし」とした「4党合意」を承認する厳しい判断が求められている、苦渋の選択をしたとあいさつ。国鉄闘争を支援してくれている全国の労働者からの要請や抗議が寄せられているが、国労の要求を実現することが大事だとして、
(1)不採用になった労働者のJRへの復職、
(2)経済的補償、
(3)今後の生活保障を求めていく、
を指摘。これは国民全体が支持してもらえる当然の要求だとのべました。
討論では、「苦渋の選択は理解できる」「具体的なものがでてから判断してもいいのではないか」と執行部提案に同意する意見と、「これまでなんのためにたたかってきたのか。『JRの法的責任なし』は14年間のたたかいを否定したものだ」「『4党合意』はなんの保障もない」と反対する意見があいつぎました。
14人の代議員からは、「4党合意」について引き続き職場討議を継続することとし、これまでの運動の到達点を背景に国労要求をもとにして、政府・JRと交渉をすすめるべきとの修正動議が出されました。
宮坂義久書記長が集約の答弁をおこなっている最中に、一部の闘争団員らが壇上にかけあがり、混乱。大会議長の判断で休会となりました。
1047名の不採用問題は、政府も「1人も路頭に迷わせない」(86年の国鉄国会)と公約しており、昨年5月にも全政党が「人道的立場からも早期解決を」と政府に要請していました。そこには「JRの法的責任なし」といった条件はありませんでした。
見事な客観報道だと言える。この記事からは、いったい党中央がどちらの方に共感を持っているのか、すなわち、4党合意案を受け入れ闘争団を切り捨てて国とJRに屈服しようとしている側になのか、それを捨て身で阻止しようとした闘争団に対してなのか、まったくわからない。
しかし、共産党系の他の労働組合の機関紙やニュースでは、かなり違ったニュアンスで、この臨時大会について報告されている。たとえば、ある共産党系労働組合の地方支部のニュースには、「暴力行為は許されない――国労臨時大会休会に」という見出しのもと、次のようなことが書かれている。
国労本部は7月1日に臨時全国大会を開催してこの政党間合意の承認を求めようとしました。しかし、本部方針に反対する国労内外からの動員者により、開催が4時間以上も遅れ、開会後の書記長集約時には演壇や議長席の机やイスがひっくり返されるといった暴力行為が発生し、休会に追いこまれました。
「国鉄労働組合をつぶす」ことを一つの目的とした国鉄の分割民営化によって、国労・全動労1047人が解雇され、苦難の13年でしたが、政府をして「解決済み」から「解決すべき問題」と変えさせてきたのは国労・全動労と民主勢力の成果です。そして重大な時期を迎えています。
この時期に国労の最高決定機関である全国大会が暴力によって休会させられたことについて強い怒りをおぼえるものです。
この文章は、「4党合意」容認を推進してきた革同主流派の心情を率直に代弁しているが、やむにやまれぬ行動に出た闘争団や支援者たちの心情に対しては驚くほど冷淡である。
4、なし崩し的「転換」をはかる党中央
しかしながら、「4党合意」に対する反発と批判が思いのほか強く、党内からさえ強い批判意見が出されていることなどから、共産党中央はいつまでも曖昧な態度をとりつづけることができなくなった。少しづつ、なし崩し的に、「4党合意」に対する批判的姿勢を支持者に印象づけざるをえなくなっている。
その密やかな「方向転換」を示す一つの事実は、7月25日付『しんぶん赤旗』の投書欄に、「4党合意」を厳しく批判する投書が2通も掲載されていることである。たとえば、その一つは次のように述べている。
そんな折、このJR採用差別事件で自公保と社民の4党は、次のような解決案を示したそうです。「JRの法的責任は問わない」ことを国労が大会で認め、これを受けて雇用確保や訴訟の取り下げ、和解金について話し合いをすすめる、と。とんでもない話です。
「一人も路頭に迷わせない」と当時の中曽根首相は国会で発言しました。真の解決策は1047人の旧国鉄職員をJRに採用し、差別・不当労働行為を政府・JRが心から謝罪することです。
「4党合意」が発表されてから2ヶ月近くも経ってから投書欄にこういう投書が載るというのは実に奇妙なものだが、これは明らかに意図的なものである。党自身の立場として「4党合意」をきっぱり批判する勇気を持たない党中央は、投書欄の投書を通じて、読者に「4党合意」に対する党の批判的姿勢を印象づけようとしたのである。
さらに、この姿勢はその後より明確になる。7月25日に開催された全労連の全国大会を報じた7月27日付『しんぶん赤旗』は、その中で、わざわざ独自のスペースを設けて、国鉄闘争に対する全動労(建交労)代議員をはじめ、「4党合意」を批判する発言を肯定的に紹介している。以下、その全文を引用する(党のサイトではアップされていない)。
大会では、1047人解雇撤回をめざす国鉄闘争について、議論しました。
建交労(旧全動労)の代議員は14年間、政府・JRに責任があると世論を広げてきた、国がリストラ推進の口実を与えているもとで、労働委員会命令とILO勧告にもとづく立場でたたかい抜くと表明。特殊法人労連の代議員は政権与党3党と社民党の「4党合意」の問題点を指摘しました。
高知県労連の代議員は、建交労や国労と実施した実態調査や利用者アンケートをもとにJR四国と交渉、成果をあげたと紹介。解雇撤回のたたかいの勝利の年にふさわしい運動を盛りあげようと語りました。
中間答弁に立った坂内三夫事務局長は、国鉄闘争を日本労働運動の再生の環として位置づけ、今日までたたかいをすすめてきたが、全労連の方針はいささかも変わっていないと強調。全国キャラバンやILO第2次勧告に向けて国内・国際世論を広げ、政府・JRの責任を明確にし、1日も早い解決をはかるよう全力をあげたいとのべました。
全労連の大会の場で事務局長が「全労連の方針はいささかも変わっていない」とあえて「強調」しなければならなかった理由は明らかである。国労内の革同が積極的に「4党合意」受け入れのために奮闘していること、この間『しんぶん赤旗』が沈黙を続けていたこと、全労連国鉄闘争本部の事務局長が一時的とはいえ「4党合意」を容認する談話を発表したことなどを考慮したものである。
5、党中央は「4党合意」批判の姿勢を明確にせよ
しかし、以上のような「なし崩し的」転換にもかかわらず、いまだに「4党合意」に対する共産党中央としての姿勢は明確ではない。しかも、今なお国労内の革同(主流派)は、「4党合意」推進の立場で張り切ってがんばっている。「4党合意」が、全動労の言うように「不当労働行為を不問にしており、解雇撤回でも名誉回復にもならない」のならば、そのようなものの受け入れを、数を力に強行しようとしている国労中執内の党員の立場は、労働者の根本的な階級的利益を裏切っていることになる。自らの党のメンバーが、戦後労働運動史上、最も重大な闘争の最も重大な局面において、労働者の階級的利益を裏切る行為を積極的に推進している事態をそのまま放置してよいのか?
それとも、外部には、あたかも共産党が「4党合意」に批判的であるかのような印象だけを与えておいて、実質的には大衆組織の幹部を担っている党員が「4党合意」受け入れを推進するのを黙認しようというのか?
そのことによって、自らの手を汚すことなく、屈服のレールに乗ろうというのか?
だが、すでに革同組合員のもろもろの行動を通して、全労連国鉄闘争本部長の5・30談話を通して、この問題における共産党中央の権威は地に落ちている。名誉を回復するためには、今後の闘争において、最も断固とした姿勢を示し、「4党合意」反対の闘いを精力的に担うしかない。中途半端な印象づけなどは、何の役にも立たない。
国労内の力関係を決定するうえで、したがってまた、国鉄闘争の命運を決定するうえで、今や共産党中央がどのような姿勢や指導方針をとるのかが、事態を左右する決定的な重要性を帯びている。臨時大会はいずれ再開されるだろう。そのときに、党員が一丸になって「4党合意」に反対するならば、全面屈服という最悪の結末を避けることができる。今こそ、「4党合意」反対の旗幟を党として鮮明にすべきときである。そして、党内のすべての党員は、「4党合意」反対の姿勢を明確にするよう党中央に迫ろう。
2000/7/27~28(S・T)
以上で(その20)終り。次回に続く。
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