労働組合運動 論説集

➡ 国鉄闘争に寄せる労働組合運動の拙文集開設の経緯(下へ) 2000.10.21

 現在の日本では、1960年安保闘争の主要組織は「総崩れ」とまで言われるようになった。理由は実に簡単で、基本が狂ったのである。安保闘争以後、政党が縄張り争いを繰り広げ、労組を草刈り場にしてしまい、地区労の幅広い団結を破壊したのである。
 政党の系列争いを止めさせて、地区労運動を再建することなしには、反戦運動の再生は、不可能なのである。 ➡『亜空間通信』912号(2004/12/15)【イラク戦争・昨春に続く中東情勢・来春講演主催は城北地域労働組合協議会で地域派木村愛二勇躍】

国鉄闘争に寄せる労働組合運動の拙文集

 "随時追加「編集長日記風」木村愛二の生活と意見"より抜粋、以下2件

「どうする大揉め国鉄闘争」

2000.10.11 ロフトプラスワン「どうする大揉め国鉄闘争」

国労置き去り

2000.10.22 国労置き去り日共系全労連結成への批判を書けと唆す争議仲間の日共党員

『さざ波通信』2件

岐路に立つ国鉄闘争

2000.7.27 付録:岐路に立つ国鉄闘争~共産党中央は「4党合意」の拒否を明確にせよ!(『さざ波通信』編集部意見書

『ストライキ基金』を役職員の『退職金積立金』に流用

2003.2.8 唖然:2002年11月7日「国労に人権と民主主義を取り戻す会 」が「国労本部執行部に対する公開質問状」『さざ波通信』一般投稿(再録)

 連載:元共産党「二重秘密党員」の遺言 3件 さざ波通信と重複あり

日本テレビ(株)16年半の不当解雇反対闘争

(準備中)発端・経過・解雇・裁判・闘争・和解・回顧

一応は円満退職の金銭解決という結果

 日本テレビ(株)から不当解雇され、労組の全面支援を得て16年半、裁判を続けながら、可能な限りの努力を尽くして、やっと高裁で裁判官の職権和解の勧告を受けて、一応は円満退職の金銭解決という結果となり、その後、自由業の立場となった。
 その間、東京地方争議団共闘会議の副議長、法廷闘争対策担当などの立場で、多くの労働事件、医療過誤事件、労働災害、公害、薬害などの事件の共闘会議に加わり、泊まり込みはもちろんのこと、長年の労働争議の指導経験者の言を借りれば、勝つためにはどうしても必要な「傷口に塩をなすり込むような議論」を重ねた。(『亜空間通信』778号より)

医師に誤診の罪を問うと同じく弁護士にも問う

 老い先短いとなれば、遠慮なく言いたいことを、言って置きたい。
 日本テレビを相手に不当解雇撤回・現職復帰を求めた戦いで、35歳からの16年半、人生の大半を費やした。
 その裁判の最終段階で、いわゆる争点に関する法律雑誌の記事を見て愕然とした。私の解雇事件は「潜脱」という問題点を含んでおり、それを追求することで類似の事件に見習えば半年で勝てたのである。
 弁護団の長老は、その後、ある会議で私が弁護士への感謝の言葉を述べていると「木村さんの事件では弁護士は間違えていた」という趣旨のことを囁いた。編集長の随時日誌2007.12.25より)

東京地方争議団

 再録中

● 東京地方争議団「司法反動」下の労働裁判闘争
……東京争議団結成25周年を目前にして……

1985年執筆/2000年11月 HP全文掲載

東京争議団が結成されたのは、1960年安保闘争直後、労働運動の谷間でのこと。世にいうケネディ・ライシャワー路線の下、米日反動の一体となった権力は、1960年安保闘争で発揮された日本労働組合運動のおそるべき戦闘性を早期に削ぎ落すべく、拠点崩し、さらには未然防止の活動家排除へと攻撃を集中。結果として、労働裁判も激増……

⇒1「司法反動」下の労働裁判闘争へ進む


● 東京地方争議団「独占と権力の対応」
総行動11年の原点に立ち返って教訓を学ぶ

1983年執筆/2000年11月 HP全文掲載

運輸一般生コン支部の三役が逮捕されて、二○○日を越える拘禁という異常事態になりました。結果的には、東京地評を軸とした共闘体制の確立により、六月一○日の一回の霞ケ関昼デモと7.14.東京総行動の間に保釈をかちとり、生コン支部は東京争議団の一員として無罪確定への闘いを広げています。この事件は、最近の独占と権力の対応振りと、それに立ち向う闘い方を考える上で、極めて特徴的な教訓を……

⇒1「生コン弾圧事件にあらわれた総行動敵視、三井訓示の実践」の全文を読む

論文 ラダイトからボルサまで
~労働組合運動の地域的&産業的組織の国際的経験と原理を探る~

1976年執筆/2000年11月 HP掲載
2007.12.4 追加入力 / 2008.6.6 全文訂正差替

 自称“時流に先駆け過ぎる”歴史見直し論者こと、私が1976年、つまり今から24年も前に執筆したものである。“先駆け過ぎ”なのだから、当然、現在もなおこの論点はいささかも時流に遅れるものではないと自負する。もともと約2世紀を溯る国際的な労働組合運動史を概観し、そこから労働組合運動の基本的な原理を探ろうとする作業なのだから、古くなりようもないインターネット無料公開への序文から)

(電子手紙集)から

2001.6.6 労組と政党:プルードンの産業民主制」と題しアナルコ・サンディカリズムの歴史見直し

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国鉄闘争に寄せる労働組合運動の拙文集開設の経緯
木村愛二 2000.10.21

 さる2000.10.11.上記下記を訂正)の「日記風」記載のごとく、新宿歌舞伎町の討論酒場、ロフトプラスワンにて、わが企画・司会の「どうする大揉め国鉄闘争」を行った。

 翌日には、目玉の上映ヴィデオの制作者で、国鉄民営化の当初から取材を続けてきたビデオプレスの松原・佐々木両氏より礼状を頂き、わがホームページに記事を入れればリンクするとの申し出をも受けた。その感激の大きさへの気持ちの揺れもさることながら、いざ、文章を綴ろうとすると、私自身、国鉄民営化を争議中に迎えた身としての想いが、また、複雑に入り乱れる。

 何分にも、問題が大きすぎる。こと労働争議、労働組合運動となれば、不当解雇撤回闘争だけでも、わが人生の16年半を費やした重大事件である。それ以前の10年間も労組役員として、争議に関わらない時はなかった。争議解決後も、地元で支援行動に参加している。いわば、人生の大半を、労働組合運動と争議に明け暮れた身である。

 ロフトプラスワンでは、司会の立場だから、なるべく発言は遠慮した。それでも、そこは長年の習性、いくつかの経験に基づく意見は述べた。だから、いまさら短い感想を舌足らずに記すよりも、この際、それらの意見の基になる過去の文章の一部を、目下の国鉄闘争の当事者、応援団の皆さんに少しでも見て頂ければ幸いと思った。こういう機会でもなければ、いずれ散逸する恐れもある拙文である。すでにインターネットで発表済みのものもあるが、急遽、以下上記の全部を編集し直した。

 ただし、最後の付録は、拙文ではなくて、日本共産党員が運営する「さざ波通信」の論文である。私は、多分、2000.7.29.であろうか、この論文を受信した直後、関係者にメールで転送し、わがホームページにも掲載し、A4判裏表に印刷して配布した。下記のロフトプラスワンでも、その印刷物を、この論文に応えたかのような『しんぶん赤旗』(2000.8.19/20)連載論文「1047人の採用差別と国労の続開大会について」のコピ-と合わせて配布し、状況を説明した。

 以上。

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