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『亜空間通信』912号(2004/12/15)
【イラク戦争・昨春に続く中東情勢・来春講演主催は城北地域労働組合協議会で地域派木村愛二勇躍】
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転送、転載、引用、訳出、大歓迎!
私は、すでに、この来春1月29日の講演会に関して、以下の通信を発し、投稿もした。
http://www.jca.apc.org/~altmedka/2003aku/aku909.html
http://www.asyura2.com/0411/war64/msg/533.html
『亜空間通信』909号(2004/12/11)
【「これからの中東情勢」講演会05年1月29日(土)午後7時グリーンホール定員30名申込受付中】
http://www.jca.apc.org/~altmedka/2003aku/aku911.html
http://www.asyura2.com/0411/war64/msg/727.html
『亜空間通信』911号(2004/12/14)
【これからの中東情勢講演会05/01/29参加申し込み受け付け中で質問を受け確認:参加費は無料】
この2度目の通信は、参加希望者から「会費はいくらか」という「質問を受け」たので、主催者に問い合わせ、参加費は無料を確認したことの告知である。
ところが、この「確認」の返信で、もう一つ、実に喜ばしい状況が判明した。主催者は、昨年の春に、イラク「戦争」の講演会を開いてくれた「東埼地域中小企業労働組合(金属・一般)が加盟する「城北地域労働組合協議会」だったのである。いわば、ひとまわり広がったのである。
「地域労働組合協議会」という言葉は、わが40年前の労組活動を想い起こさせる最も重要な鍵言葉なのである。
「地域」よりも「地区」という表現の方が多いのだが、その略称「地区労」は、都道府県段階では、評議会、「地区評」と名乗り、東京では「東京地評」東京の区部では、「区労協」となる。苦労が多いので、「苦労狂」と自称することもあった。
元・千代田区労働組合協議会の常任幹事、事務局長の「地域」派の私は、昨年に続くこの招待の広がりに、勇躍している。
わが青春の1960年安保闘争で、全国に1,300とされた共闘組織の中心には、「地区労」が座っていたのである。
わが電網宝庫には、地域的な「横組織」としての労組の国際的な研究が収まっている。以下は、題名と目次のみである。
http://www.jca.apc.org/~altmedka/yokos.html
ラダイトからボルサまで
~労働組合運動の地域的&産業的組織の国際的経験と原理を探る~
執筆:1976年 木村愛二
以下、第4章まで入力済み。
目次 はじめに
第1章:タテとヨコの組織関係の国際的相違
第2章:労働組合運動の発祥地……イギリスの場合
第3章:地方的ヨコ組織からの出発……アメリカの場合
第4章:革命の落とし子・ブールスは生き残った
第5章:商工会議所vs労働会議所……イタリアの場合
第6章:現代をリードするヨコ組織……CGILとカメラを典型に
第7章:意外史の分岐点……ロシア革命と社会主義国の労働組織
インターネット無料公開への序文
http://www.jca.apc.org/~altmedka/yokos-00.html
執筆者・木村愛二の序言(2000.10.21)
この旧稿は、自称“時流に先駆け過ぎる”歴史見直し論者こと、私が、1976年、つまり、今から24年も前に執筆したものである。“先駆け過ぎ”なのだから、当然、現在もなお、この論点は、いささかも時流に遅れるものではないと自負する。もともと、約2世紀を溯る国際的な労働組合運動史を概観し、そこから労働組合運動の基本的な原理を探ろうとする作業なのだから、古くなりようもないのである。
ただし、題名は、その後の身辺の状況の変化により、最早、政党や労組幹部の官僚的部分への遠慮は無用と心得え、真正面からの労組組織の全面的な見直し、簡略に言えば、地域的なヨコ組織を基本とする現場の連帯を、労組の原理として呈示するべく、ドカーンと変更した。
私は、1965年、千代田区労働組合協議会の幹事になった直後に、この地域共闘組織の10年史の編集を担当した。以来、いわゆる地域共闘と労働争議に関しては、折に触れて議論もし、資料を収集し続けていた。目的は、労働組合運動に置ける地域共闘の位置付けの見直しであった。当時も、日本の労働組合運動の足腰の弱さについては、誰しもが認めるところであったが、その鍛え方に関しての意見には、およそ180度の違いがあった。「意見」というよりは、むしろ、「立場」または「利害」とでもいうべきでもあろうか。曰く「産業別」、曰く「政党支持別」の議論である。
日本の労働組合運動の理論家としては第一人者の(故)中林賢二郎(当時、法政大学教授)さんにも、現場の仲間の討論に参加してもらったことがある。
ところが、1976年、それ以前から胎動していた労働争議の波が、地域共闘組織を基盤にして、日本の労働運動史上で最大の盛り上がりを見せた。そこで急遽、孫子の兵法に従い、拙速をもかえり見ず、この旧稿をまとめた。ワープロ普及以前のことなので、手書き原稿を作成し、中林賢二郎さんに送ったところ、推薦を頂き、労働旬報社肝煎りの専門家たちによる「労働組合運動史研究会」に招かれ、口頭で補足の報告をした。
その際にテープ録音をした補足部分をも含めて、同主旨のシリーズ(手元にないので不正確の可能性あり)『労働組合運動史研究』に収録されるはずだったのだが、残念ながら、同シリーズの赤字ばかりか労働旬報社自体の経営困難に直面し、シリーズ発刊は延期のままとなった。
その後、東京争議団の元議長組合、紙パルプ労連日本製紙労組が争議解決の記念に残した任意財団「日本製紙闘争勝利記念・労働問題研究所」の事務局有志に、この旧稿の存在と出版事情を話したところ、ぜひ議論の材料にしたいという。一応、労働旬報社にも断りを入れ、「地域共闘を考える」と題する「討論シリーズ」のガリ版印刷出版企画(1)として、1000部を発行した。体裁は粗末であり、有志の不慣れから執筆者の私の校正なしに印刷したので、誤字、誤記も多いものだったが、それでも、労働組合運動史研究者からは一定の評価を受け、資料リストなどに紹介された。すぐにガリ版印刷は売り切れて、残部無し、絶版状態となっていた。
当時から、せめてタイプ印刷ぐらいにせよ、との意見も受けていたので、今から、若干の補正をほどこし、注釈を加えて、インターネット無料出版を開始する。(フランス語のアクサン、髭は省略する)
今日、労働運動が全体として後退・停滞を余儀なくされているように見える中にあって、東京の千代田区をはじめ、地域共闘はそれと全く対照的な盛り上がりを示し、このことは労働運動の展望に様々な問題をなげかけています。
地域共闘はなぜ盛り上がっているのか、どの地域でも実現できるのか、その前進と拡大の展望はどのようなものか、企業内闘争……とくに大企業での職場闘争とはどのような関係をもちうるのか、地域共闘の盛り上がりを支える独特に組織方法や闘い方をどう見るか……などなど、総じて地域共闘をどう発展差せ、労働運動全体の前進にどう結びつけるかという、地域共闘の戦略的位置付けの問題は、これを理論的に解明することが今、私たちに要求されています。
これは活動家と社会科学の専門家との協力をとくに必要とする課題であろうと思います。このような要求に少しでも答えようとして、本シリーズを企画いたしました。
第1回は、現在東京争議団共闘の副議長であり、かつて千代田区労協の事務局長をして活躍された木村愛二氏(日本テレビ労組)の論文を掲載させていただきました。
これをひとつの問題提起として、活発な討論がまきおこされることを期待します。
現在の日本では、1960年安保闘争の主要組織は、「総崩れ」とまで言われるようになった。理由は実に観点で、基本が狂ったのである。安保闘争以後、政党が、縄張り争いを繰り広げ、労組を草刈り場にしてしまい、地区労の幅広い団結を破壊したのである。
私は、千代田労協で、ヴェトナム反戦運動を担った。政治的な課題の勉強会も、何度となく主催した。現場で仕事を一緒にする労働者だからこそ、幅広い運動を展開出来るのである。
来春早々、1月29日の講演は、そのような歴史をも踏まえて、画期的な内容にする、政党の系列争いを止めさせて、地区労運動を再建することなしには、反戦運動の再生は、不可能なのである。
是非とも、積極的に参加されたい。
以上。