続:もしやの意見書:ルーマニア問題で代々木出頭指示
1999.2.26 WEB雑誌憎まれ愚痴連載
以下、前回の「はしがき」に当たる部分と、締めの部分を再録し、続いて、その後の中央委員会の呼び出しに関する3つの意見書を再録する。
以下、前回の一部再録。
前々回と前回の続きで、無言の『赤旗』書籍広告掲載拒否に際して、私が、直ちに「もしや」と疑った理由は、数え切れないほどある。その第1が、広告拒否された本に出てくる宮本顕治と非常に関係が深い「意見書」提出の事実である。
そこで、1989年、昭和天皇が死んだ年の、ルーマニア問題に関する意見書を、順次、若干の事情説明を加えて、発表する。
以下[ ]内は現時点の注記。その他は英数字、句読点表記、改行以外は原文通り。宛先が空白になっているのは、そこに手書きで氏名、組織名を記入したことを示す。
[中略]
私は、この意見書を提出した以後に、中央委員会から代々木の本部への出頭を求められた。そこで経験したのは、それ以前の私の想像を上回る官僚主義の壁の厚さであった。
以下、今回の「はしがき」
私は、この間、アムネスティ日本支部に赴き、英文、仏文、日本語訳による1978年から1989年間での年次報告のルーマニアに関する部分と、アムネスティ・インターナショナルの特別報告、『ルーマニア:1980年代の人権侵害』(Human Right Viorations in the Eighties.本文27頁)を、すべて全文コピーしてきた。
以下、3通の意見書を連続して再録するが、文中の「和田」には著書があるので、その奥付によって、経歴を紹介する。和田は、以下の意見書1.に記した通りの「ノーメンクラツーラ」こと、前回予告「私の想像を上回る官僚主義」の典型であった。
『カンボジア問題の歴史的背景』(新日本新書、1992)奥付:
和田正名(わだ まさな)
1929年東京都生れ
1955年から82年まで赤旗編集局。整理部長、外信部長、編集局次長などを歴任
1968年「赤旗」特派員として北ベトナム、カンボジア取材
1982年から90年まで日本共産党国際部。同副部長など
現日本共産党中央委員会顧問
以上の経歴から判断して、問題のルーマニアと日本共産党の蜜月時代には、宮本顕治の腰巾着を勤め上げたことが明らかである。
以下、再録。
意見書1.
委員会 御中
352 新座市堀ノ内1~6~38~208 TEL&FAX0484-78-9979
木村 愛二(著述業 53歳 党歴26年10ヶ月)
ルーマニア問題について再度の要請 1990.4.19
小生は別途3.5,4.9,二通の中央委員会宛文書に添書し、貴委員会にも提出しておりますが、その後、中央委員会に呼ばれ、さらに同封の4.13中央委員会宛て、4.16中央委員全員宛て(個人名をペン書きし、個別にB4を8分の1に折り、郵便小包で送る)の二通の文書を提出しましたので、貴委員会におかれましても御検討をお願いします。
なお、4.13の説明の最後には、中央委員和田氏より、「あなたは埼玉県委員会の方に所属が移られたようですが、そこで党員の義務を果たされることを期待します」といわれましたが、経過と語調より慇懃無礼で時代錯誤の脅しに他ならないと判断し、強く抗議いたしましたところ、さらに「君が怒ったということを覚えておきます」といわれましたので、小生も最後に「今日は大変に不愉快でした」と御挨拶をしました。小生の仕事の上では「ノーメンクラツーラ」[旧ソ連の党官僚への批判的通称]の実感を得た想いであり、別に無駄足とは考えませんが、これはますます大変な事態であると痛感した次第です。
その後、[同席していた]東京都委員会の組織部副部長である勝間田氏に「あれは除名の理由になりますかね」と一応確認したところ、笑って「そんなことはないよ」といわれてので、やはり日本共産党は腐っても鯛であろうかと評価しております。もっとも、本当に権力を握ったら心配ではありますが、……
「義務」ということに関しては、現在、自分の仕事を中断しても中央委員会に御注意を申上げていること自体が、それを果たす最も有効な努力であろうかと愚考しております。
以上。
意見書2.
日本共産党中央委員 殿
352 新座市堀ノ内1~6~38~208 TEL&FAX0484-78-9979
木村 愛二(著述業 53歳 党歴26年10ヶ月)
ルーマニア問題についての最終意見 1990.4.16
小生は別途3.5,4.9,4.13、三通の中央委員会宛文書を提出。国際部大沼作人氏に呼ばれ、4.13、和田正名氏(副部長・中央委員)と都委組織副部長勝間田昭氏が同席、本部会議室にて二時間半の説明を受けました。
しかし、残念ながら小生の質問そのものに対する回答はほとんど得られないばかりか、ますます心配になりましたので、上記文書の存在を前提にして、以下のごとく小生としての心配を要旨のみ記し、伏して御賢察を願う次第です
1。基本的な心配。: チャウシェスク独裁下の人権侵害・自由抑圧状況に関して、いつから情報を得ていたか否かという証拠論議を、今までの論調で続けていても大丈夫なのでしょうか。
2。判断材料。: 赤旗2.8 宮本顕治氏名論文(以下A)、赤旗2.27緒方靖夫氏名論文要約(以下B)、赤旗評論版3.5緒方靖夫氏名論文(以下C)、朝日4.10「インタビュー どうなる社会主義1」(以下D)、サンデー毎日3.4記事(以下a)、月刊現代1990.5記事(以下b)
要旨1。: A「重大な兆候」を「重視した」のは「天安門」以後。「ルーマニア側のガードは堅く、……事前に知ることは不可能だった」。「1966大会」の「意見の相違」は人権侵害と次元が違うと思いますが、……
要旨2。: a。B。C。によりルーマニアに赤旗特派員が駐在していたことや、1979年当時の「ルーマニアの一教師、アムネスティ・インタナショナルに『国家機密』を伝えたかどで告発される」「ブカレストで逮捕されたギリシャ正教司祭救護のアピール」(Cに見出しだけ発表)という外電翻訳が党本部に届いていたことが、不勉強な小生にも初めて分り、エッとなった次第ですが、……
要旨3。: 党の規律上の細部は別次元の問題としますが、aは1978年のアムネスティ・インタナショナルの年次報告を「ほんの一例」として紹介。これが唯一の証拠引用であるにもかかわらず、B及びCはこの1978年の報告には全く触れていません。裁判なら、この部分は負けが確実ですが、……
要旨4。: b当時のルーマニア共産党機関紙『スクンティア』が「東京にも送られており、日本共産党は、異常なチャウシェスク個人崇拝を容易に知りうる立場にあった」。国際部は同紙を所持しているという返事(電話)。
要旨5。: b「事実、この頃、チャウシェスクは妻のエレナ、息子のニクを始め、一族縁者三十数人を党と国家の要職に」。国際部は事実と一致するという返事(電話)。
要旨6。: 国際部はアムネスティ年次報告を所持していなかったという返事(電話)。B及びCの反論の趣旨と矛盾。同報告に関し、b「1974年から89年までの英文……ルーマニア部分……すべて、二、三ページを割き、人権侵害を詳細に報告……。1983年、『ルーマニア―80年代における人権侵害』と題する、全文27ページの英文パンフレットを発行」などとあるのは事実と思われますが、……
要旨7。: D「はっきりした資料がなかった」
要旨8。: 上記4.13の説明では、肝腎の証拠論議のポイントについては直接の言及がなく、和田氏より小生に対して「お分りでないから」と、すでに赤旗紙面で何度も読んだのと同じ国際問題の基本方針(小生異論なし)、「いわなは党破壊の攻撃をしている」(だから小生もいらざる心配をしているのですが)、「誤りはない」等の説明とともに「勉強して下さい」「(権利ばかり主張せずに)党員の義務を果して下さい」とのご注意がありました。
要旨9。: 大沼氏の説明の中で戦後のコミンフォルムの日本共産党に対する批判、分裂の苦い経験から、他国の国内問題への介入は慎重を期すことにしている旨の説明。これはD「他党を……批判……」と論理を同じくします。しかし、戦後のコミンフォルムと日本共産党の関係と、今の日本共産党とルーマニア共産党の関係とでは次元が違いますし、Dの朝日新聞の質問も「最近まで友好関係を保っていたのはなぜか」であり、「批判しなかったのはなぜか」ではありません。小生も同様で「なぜ批判しなかったか」などとは主張していませんので、質問と回答のずれが甚だしいと感じました。世間一般にもよく経験することですが、この原因を深く考えて戴きたいのです。
以上
意見書3.
委員会 御中
下記文書を中央委員会宛てに提出しましたので、貴委員会においても御検討下さい。1990.5.3.
堤防はアリの穴より崩れるとか。破局は突然訪れるかに見えますが、実は必ず前兆があるものです。
日本共産党中央委員会 御中
一党員 352 新座市堀ノ内1~6~38~208 TEL&FAX0484-78-9979
木村 愛二
ルーマニア問題で再度唖然 1990.5.2深夜
小生は別途、四通の中央委員会宛て及び中央委員全員宛て文書を提出。
ひたすら伏して御賢察を待っておりましたが、本日夕、昨日付けの赤旗1990.5.1を広げ、「国際連帯についての日本共産党の基準とルーマニア問題」を拝見。
国際部長交代。しかし、再び唖然。
ジョージ・オーウェル描く『1984年』の世界に迷いこんだかのような恐怖に襲われ、このままでは眠りに付くことは不可能と思い定め、再び旧式ワープロを引き出しました。おかしいと感じたことを口に出さざるを得ない政治的愚者の一人としては、日本1990年、言論による失命率ゼロの安堵を覚えつつ、……
ただし、最早、自分の仕事を放り出して長い文章を綴る積りはありません。一点だけに止どめます。
同論文の三の項に共通する特徴は、ルーマニアに関して1977「ジョリオ・キューリー賞」以外の日付が1967,68,88,89に限られ、20年間空白。外電、アムネスティ報告には一切言及せず。
これでどうして、党員,読者、世間が納得するとお考えなのでしょうか?
都合の悪いことに触れないというのは、巧妙な嘘の一種なのですよ。
マスコミ機関は赤旗を必ず購読して参考にしているのですよ。
これは知性への侮辱です。
ヒトラーのやから、ゲッペルスの「嘘も百万遍言えば」の類いです。
野球の試合「経過」で1回と9回しか載せない新聞を誰が買い、誰が「十分明白」になったと信ずると思っているのですか。
我々下部党員が血と汗で獲得したせっかくの「信頼」(あいつは馬鹿だが、嘘はつかない)までが失われます。
「道理」のすべてが疑わしく思われかねません。「軽蔑」への転落です。
唯一の論理的な説明は「政治的」幕引きだけです。しかし、それが「理性の勝利」を目指した近代革命の現段階における到達点だとすれば、百年河清を待つの想いです。
なお、規約にもとづく「文書回答」が得られないことは小生の実体験による「経過」から「十分明白」だと存じておりますので、あえて要求しません。
以上。
以上で(その9)終り。次回に続く。
(その10)続:もしやの意見書・党大会へも「ルーマニア問題について」へ
週刊『憎まれ愚痴』9号の目次に戻る
連載:元日本共産党「二重秘密党員」の遺言リンクへ