『電波メディアの神話』(7-1)

第三部 マルチメディアの「仮想経済空間
(バーチャル・エコノミー)」

電網木村書店 Web無料公開 2005.4.15

第七章 日米会談決裂の陰にひそむ国際電波通信謀略 1

携帯電話機の脅迫セールスと「国賊」小沢一郎

 日米政府間の包括経済会談決裂をうけて、今年(九四年)二月一五日には、アメリカの大統領府のカンター通商代表が記者会見でモトローラの携帯電話機を左手にかざして、一九八九年の日米電気通信協定」を盾にとる「経済制裁」発動手続きをはじめると発表した。

 同日、モトローラ社のガルビン社長も記者会見し、「年間二億五千万ドルから三億ドルの被害を受けている」とかたった。関西の提携先DDT系関西セルラーでは二一万八〇〇〇人、NTTドコモの二三万六〇〇〇人とほぼ互角なのに、おくれて参入をみとめられた首都圏と名古屋では、提携相手のトヨタ自動車系IDOが扱うモトローラ方式は一万四九〇〇人にしかたっしていないのに、NTT方式は三〇万六九〇〇人。別口のNTTドコモは七六万人と二桁の大差がある。この大差の原因は、IDOがライバルのNTT方式並みの基地建設をおこなわないためで、日本側が約束をまもってないというのがモトローラ社のいいぶんだ。

 さて、ここで問題となったのは「一九八九年の日米電気通信協定」だが、その発端は二年前の一九八七年協定にある。両協定締結の際の日本側責任者はともに、当時の首相・竹下登と副官房長官・小沢一郎である。

 私は別に日米経済が専門でもないし、ましてや小沢当番の記者でもない。だが事件の展開もあやしげだったし、直後には、内容からみて日米会談決裂以前に書いたとすぐわかる「『携帯電話ウォーズ』の不安と恍惚」(『週刊東洋経済』94・2・19)という記事の中程に「89年の日米通信交渉の日本側代表が、今をときめく小沢一郎氏。小沢氏にも傷は付けられない。『IDOにはできることとできないことを整理し、ビジネス・ベースで米国側の話を聞いてくれ、といってある』(郵政省)」とあるのを読んだ。これはかならずなにかあるぞと感じたが、くわしくしらべる時間の余裕がない。だから、『噂の真相』(94・4)への寄稿では小沢と日米通信協定の関係を一行だけ追加し、あとは某大手新聞社に電話して、ぜひとも関連連載記事でとりあげてくれとたのんだ。だがなぜか、いや、やはりというべきか、小沢のオの字もその後の関連記事にはのらなかった。大手メディアには膨大なデータベースがある。特派員もいる。こんなに簡単な追跡調査ができずに「社会の窓」などとなのる資格はない。大手メディアばかりか、いわゆる著名経済ジャーナリストとか著名経済評論家の言及もない。要するにみながみな、郵政省と五十歩百歩の「小沢氏にも傷は付けられない」組なのだ。そう思ってみずからの非力をもなげきつつあきらめかけていたら、ついに『週刊現代』(94・4・16)がやってくれた。タイトルの「細川首相と小沢新生党代表幹事は国賊だ」は編集部がつけたものだろうが、内容とのくいちがいはない。執筆者はニューヨーク市立大学教授の霍見芳浩である。以下、大手メディアの鼻をあかしてくれたこともふくめて、いささか胸のすく思いがする文章のごくごく一部のみを紹介しておこう。

 「今回の日本降伏を仕組んだ確信犯は、政府の公職にもついていない新生党代表幹事の小沢一郎氏と大蔵省の斉藤次郎次官の二人だった。(中略)(両通信協定締結)当時の竹下登首相と小沢一郎副官房長官が米国の言うとおりに自らの保身、政権維持の目的で日本の通信市場を米国に売り渡していた。(中略)カンター氏(米通商交渉部代表)はモ社提訴で小沢氏を揺すぶれば、87年と89年の国家主権売り渡しの旧悪露顕を恐れて、もみ消しのために『モ社決着』に走ると読んだのだった」

 「小沢氏は米国に対しては借りてきた猫のように柔順だが」、それもそのはず、わるはわるでも相手の方がうわてだ。カンターの「米政界裏街道での仇名は『三百代言』(シャイスター)、『ユスリ屋』(バックマン)、『ゴロツキ』(サグ)」ときたものだ。その後の事態は以上のような「インチキ弁護士」カンターの「読み」どおりに進行している。


(2)CIA委託報告書『日本二〇〇〇年』のアジア戦略