第二部 「多元化」メディアを支配する巨大企業
電網木村書店 Web無料公開 2005.4.6
第五章 「打って返し」をくう「公平原則」信奉者 7
貧富の差がかつてなく拡大したレーガン政権時代
最近のアメリカのメディアの実態は、日本ではほとんど知られていない。湾岸戦争での好戦的な報道はその象徴だったが、大方の論評は表面上の現象をかすめただけで、深層をほりおこす本質的解明はなされていない。実はアメリカでは湾岸戦争以前に、メディアの歴史を画する重大な変化がおきていた。問題の「公平原則」廃止は、そういう変化が法的な側面におけるてなおしまでを必要とするにいたった結果としておきたのだ。
アメリカの「公平原則」廃止は、視聴者または市民一般の要求によってではなく、放送業界の経営者側が要求する「規制緩和」の一環として強行された。「規制緩和」は一九八一年に民主党の現職大統領カーター候補をやぶった共和党のレーガン候補の主要スローガンだった。しかし、独立行政委員会のFCC(連邦通信委員会)が一九八七年に「廃止」を決定する直前に、民主党が過半数をしめる上下両院では、FCCの機先を制するねらいで「放送公平法」を可決している。この「放送公平法」をさらにレーガン大統領が拒否権を発動して阻止したため、法律化は成立せず、議会の議論は継続中という複雑な状況にある。表面からみただけでも、相当深刻な問題をはらむことがあきらかだ。
ところが日本国内における議論ではまず、「公平原則」廃止がおきたレーガン政権の階級的性格の分析が欠落している。レーガン大統領のレーガノミックスとよばれた借金経済政策のもとで、貧富の差がかつてなく増大したのだ。レーガンは大企業擁護の立場だった。
次には、「公平原則」廃止を推進したFCCの実態がおえられていない。一般にも独立行政委員会の「独立」が誇張されて理解されている。日本国内に資料がないのなら、ある程度の誤解はしかたがないが、容易に入手できる基礎的知識すら仕入れずに、いかにも専門家らしく中央の論壇に登場する論者がおおかったのにはおそれいるしかない。本章のおわりでも別の角度から紹介するが、NHK発行の『放送研究と調査』誌などのくわしい資料があるのだ。ここでの問題点だけをまず指摘しておくと、FCCの「委員長には例外なく大統領の腹心が選ばれ」(同誌84・12)ており、実際には「独立」とほどとおい実態である。