『電波メディアの神話』(2-8)

第一部 「電波メディア不平等起源論」の提唱

電網木村書店 Web無料公開 2005.4.1

第二章 「公平原則」の玉虫色による
民衆支配の「奇術」 8

金髪で色白、ブロンド優先の言論の自由に疑問

 そこで、つぎなるキーワード、「公平」をくわしく検討しよう。

 現行放送法に出てくる「公平」はアメリカのFCC(連邦通信委員会)がさだめた「公平原則」(フェアネス・ドクトリン)の訳語である。

 私は、さきにのべたとおりに「公平原則」関連の用語の細部にはこだわらないことにしている。放送法にも「公平」とあることだし、本書では最近「一橋大学教授・情報法学」の肩書きで朝日の「論壇」(93・10・27)に投稿した堀部政男が『アクセス権』(一九七七年初版)以来もちいているのとおなじ訳語として、「公平原則」をもちいる。

 NHKは「公正原則」の訳語を採用している。ほかにも「公正原則」と訳し、その方が正しいと主張する例もある。「公平」がもつ「機械的平等」の意味よりも、「公正」がもつ「正しい」の意味をとるというのだ。

 だが、辞書の「フェア」には「公平」「公正」の両方の訳語例がのっている。用例をみると「公平雇用」(フェア・エンプロイメント)の場合には、人種や宗教による差別をさせないために個人の能力にかかわりなく人口比率に応じた雇用を強制するのだから、「公正」よりも「公平」の方が妥当な訳語である。

 英語でも日本語でも、ことばの意味は多様でつねに「あいまいさ」がある。法律用語で別段の規定をした場合でも「あいまいさ」はさけられない。しかも「フェア」には「金髪の」「ブロンドの」の用例さえある。「フェアネス」で英和辞典の一番最初に出てくる訳語は「色白の」であり、いわゆるブロンドの白人こそが「正しい」といわんばかりなのだから、まともに論ずるのも馬鹿らしくなる。

 それはいいすぎと思う読者もいるだろうが、アメリカでFCCの規則に「フェア」という用語がはいったのは第二次大戦後の一九四九年であり、まだまだ人種差別が公然とおこなわれていた時代だった。英語の「フェア」の周辺にも、日本語、いや漢語の「公正」に似た支配者側の論理の臭気がただようのだ。


(9)「公平原則」の現実にみるアメリカ民主主義の限界