第一部 「電波メディア不平等起源論」の提唱
電網木村書店 Web無料公開 2005.4.1
第二章 「公平原則」の玉虫色による
民衆支配の「奇術」 9
「公平原則」の現実にみるアメリカ民主主義の限界
日本語の「隠れ蓑」に相当する最近の英語は「カヴァー・ストーリー」であろう。もともとは本の表紙の絵の説明の意味だが、実態をかくすつくり話の意味に転用されている。カヴァーをはがして真相にせまるためには、まず時代背景を確認する必要がある。
日本の現行放送法が成立したのは、さきにのべたように一九五〇年五月二日だから、アメリカで「公平原則」がFCCの規則にはいった翌年のことになる。時代背景をみると、マッカーシズムの赤狩りが始まったのは一九五〇年二月以降だが、一九四七年の年頭にはトルーマン大統領の教書で東西冷戦が布告されていた。アメリカにおける政治風潮は共産主義との対決にむかっていた。小物のオポチュニストの下院議員マッカーシーは、その風潮を自分の上院進出に利用するために反共の帆を高々と掲げただけなのである。
椿舌禍事件後の『放送研究と調査』(94・2)に、NHK放送調査情報部の向後英紀が「再燃するアメリカの『公正原則』法制化」という一二頁の研究論文を発表している。法制上の議論と経過としては非常にくわしく、おおいに参考になる。アメリカの場合はすでに紹介したように、ラディオ放送のはじめから「政府に申請さえすれば、だれにでも放送局の経営は許された」(『放送五十年史』)。法律との関係では日本とは逆だった。一九二〇年に本放送がはじまっているのに「初めての体系的立法」(前出『放送研究と調査』)は「一九二七年通信法」である。そこではじめて「電波が希少な公共の財産」と規定され、電波の使用は「公共の利益、便宜または必要」に奉仕するとされた。この「公共」が一九四九年の「公平原則」につながるのだ。
しかし、NHKの仕事だから当然とはいえ、そこには、私が重視するような時代背景とか支配階級の「玉虫色」の思惑に関しての記述はまったくない。また、FCC規則に「公平原則」が入って以後のアメリカの放送はどう変化したのだろうか。国際的な時代背景はどうだっただろうか。そういう疑問もなげかけられてはいない。
「公平原則」の導入直後から、朝鮮戦争、ヴェトナム戦争または第二次インドシナ戦争へと、アメリカの若者がつぎつぎに動員されていた。相手の北朝鮮、ソ連、中国にも問題はあるだろう。だがアメリカの支配層は、共産主義の脅威をあおりたてることによって自らの権力構造を補強し、世界支配のエネルギーをかりたてたのである。「公平原則」のもとでのアメリカの放送はどうなっていたのか。実際の運用状況のつぶさな検証なしに性急な論評してはならないのではないだろうか。私が指摘できるのは、マスコミ研究者の石坂悦男が一九七四年に発表したつぎのような文章の一部だけである。
「コミュニズムの擁護には『公平原則』の適用は閉ざされており、反論機会は与えられない」(『放送学研究』二五号)
第三章 内務・警察高級官僚があやつった日本放送史
(1)「羊頭狗肉」の詐欺にひとしい『放送論』のたぐい へ