第一部 「電波メディア不平等起源論」の提唱
電網木村書店 Web無料公開 2005.4.1
第一章 「天動説」から「地動説」への理論転換 9
立派な理論と実例がある「放送時間の分割使用」
以上のような国内的および国際的状況のなかで、日本人には放送に関する強い固定観念がうえつけられた。
固定観念のはたらきは非常につよいものである。すでに指摘したように、日比谷野外音楽堂であろうと日比谷公会堂であろうと、公営であろうと私営であろうと、一つの会場を様々な主義主張のことなる団体が交互に時間をかぎって使用するのは、日本でもあたり前のこととしてだれも不思議に思わない。
ところがこと放送となると事情がちがってくる。現在でさえ、私がオランダの例をだしたりして「放送時間の分割使用」の可能性を説明すると、おおくの人がキョトンとして私にうたがいいの目をむけるのである。想像力がはたらかなくなっているのだ。固定観念とは、げに恐ろしきものなり、といわねばなるまい。
しかし、日本にもかなり早くから「放送時間の分割使用」の可能性に気づいていた電波関係者やマスコミ研究者がいたのだ。私が批判のターゲットにした東京大学新聞研究所の所員だった当時の荒瀬豊(のち教授)は、いまから三十年前にこう書いていた。
「電波監理委員会当時の放送免許基準には、全時間放送局とならんで、昼間、夜間、特定時間放送局という規定があった。実際に適用されたことはなかったが、この規定は、時間を区分しての免許が可能であるとの構想が存在したことを物語っている」(『世界』64・7)
電波監理委員会は、GHQの示唆により、アメリカのFCC(連邦通信委員会)をモデルにした独立行政委員会として設置された。一九五〇年には現行放送法、電波法ととも電波監理委員会設置法が成立し、電波三法と通称されていた。だが時の吉田内閣は、法案審議の段階から「電波監理委員会の委員長には国務大臣を当てる」という修正案を出す(のちに断念)など、統制権の確保に執念をもやした。吉田の執念は二年後にみのった。政府の行政機構改革で廃止され、所管事務は郵政大臣の諮問機関としての電波監理審議会に移管された。
こうした経過を考えると、電波監理委員会に荒瀬が指摘する構想があったのは、アメリカのFCCの長年積み重ねられた「膨大」と表現される規則の数々の中からのひきうつしか、もしくは、アメリカの放送事情にくわしいアメリカ人からの助言によるものだった可能性が高い。というのは私には現在、そこまで追跡する余力がないので、とりあえず手持ちの資料を示して読者の探索にゆだねるのだが、『最新アメリカ放送事情』には、つぎのような「時間分割」(タイム・シェアリング)の規則があることが記されているのだ。
「時間分割とは、複数の免許主体が契約に基づき、ある放送局の周波数を時間帯別に共用する場合である。例えば、午前0時から12時まではAが、午後0時から12時まではBが、FCCの許可を受けて放送を行うことである」
ただし残念ながら、この規則の制定時期と実施状況は記されていない。
イギリスでは長らくBBCの独占がつづいていたが、現在は民間放送もあり、ITVとよばれる第三チャンネルを一五のテレヴィ放送局が共有している。
オランダの放送制度について私が知ったのは、一五年以上も前のことである。NHKがだしていた月刊雑誌、『海外放送事情』、『放送文化』、『文研月報』の記事で知り、すでに述べた単行本、『テレビ腐蝕検証』と『NHK腐蝕研究』でかなりくわしく引用紹介した。『海外放送事情』はそののち廃刊された。『放送文化』も編集方針が一変した。『文研月報』はそののち『放送研究と調査』に改変された。最近の海外放送の事情は『放送研究と調査』のなかの短い「海外放送事情」欄によってしか、うかがい知ることもできなくなっている。
郵政省が発行する白書などは都合の悪いことをのせない。日本には海外の放送事情がほとんど伝わらなくなっているのだ。この種の専門的な研究誌が廃刊される傾向は、民間放送局でもつづいている。理由はつねに「財政事情」となっているが、私は、そうたやすく信じる気になれない。民放は公然と保守党に政治資金をだしつづけているし、「使途不明金」の支出がある。NHKの衛星放送や「ハイビジョン」のむだづかいは論ずるまでもない。日本という国は、エコノミック・アニマル・兼・情報鎖国なのだ。
以下は、いまなお「知らしむべからず、依らしむべし」の日本国内における調査結果なので、いささか資料が古くて情報が断続的な点はお許しねがいたい。
(10)オランダ人の近代的な個性が放送制度にも反映 へ