第一部 「電波メディア不平等起源論」の提唱
電網木村書店 Web無料公開 2005.4.1
第一章 「天動説」から「地動説」への理論転換 6
禁固十年の重罪でおどしつけた国家の電波ジャック
NHKが作成した『放送五十年史』の資料編では、「制度」の項の冒頭の1の(1)に「無線電信法・抜粋」を収録している。
私も十数年前に、この資料のみをみて放送の歴史を論じてしまったのだが、今度は「学説公害」に正面から挑戦するのだから、面倒でも「抜粋」ではない一次資料の原文に直接あたたるべきだと自分に言いきかせた。
ところが、国会図書館の法令議会資料室で当時の六法全書を借りだすと、アレルギー体質の私には鬼門のホコリだらけで、さわるそばから表紙の皮がボロボロはげる有様。コワゴワめくると、基本の六法だけでめあての無線電信法はのっていない。それではと『官報』の書棚で該当箇所をさがしあてると、やはり非常に重要な収穫がえられた。『放送五十年史』では簡単に「第9条~第28条(略)」と記されているのみなのだが、その部分こそがむしろ、この法律の歴史的かつ政治的な性格をあらわす基本的な眼目だということが判明したのだ。巻末資料5に無線電信法の制定にかかわる部分の『官報』を収録したので、詳細は直接見ていただきたい。要するに、おそるべき重罪の刑罰の羅列である。許可なしに施設をつくっただけでも一年以下の懲役。船舶遭難の事実がないのに遭難通信をだすという特殊例では十年以下の懲役である。天皇制警察国家日本の権力機構はまず、こういう刑罰のおどしによって、ラディオ放送についての知識が一般にひろまる以前に電波メディアを国家の管理下においた。私のことばでいえば、市民個々人の手からの電波ジャックをたくらんだのだ。『官報』は、その歴然たる物的証拠である。この部分をことさらに省略するNHKの姿勢にも、この際、おおいに疑いを深めざるを得なかった。
次の課題は、この無線電信法が制定された時の議会記録の入手であるが、この方は非常に簡単だった。戦前の議会記録は「官報号外」という形式で、実に短いものだったからだ。しかも「無線電話」に関してはまったく議論になっていなかった。
法案が出されたのは一九一五年(大正四)六月六日である。
この無線電信法の提案理由自体がいかにもふるっている。それまでは有線時代からの電信法で間にあわせていたようだが、そこには「政府之ヲ管掌ス」とあり、民間事業の私設をみとめていない。ところが前年の一九一四年にロンドンでひらかれた「海上生命保全」に関する会談で、加盟各国にたいして乗組員が五〇人以上の船舶には無線電信の装置が強制されるようになった。装置しないと外国の港にはいれない。該当する日本の船舶は数十隻に達するが、そのすべてに政府が設備する予算はないから、私設を許可したいという趣旨だ。
旧漢字とカタカナの原文通りでは読みにくいから、以下、刑罰に関係する部分のみを、当用漢字のひらがな文になおして最大の要点をしるす。
「私設を認めましたる関係上、取締りを厳重にいたしまして、比較的懲罰を重くしたところもございます。無論電信の不法使用または乱用の結果、国家社会に悪影響をあたえることがないともかぎりませぬから、そのへんを考慮いたしまして、この刑罰のみちをもうけたのでございます」
「無線電話」に関しては逓信省で「年来研究中」だが「結果はいたって良好」であり、無線電信とほとんど性質をおなじうしておりますから、その規定をもうけて将来の発展にそなえたいと思うのであります」という、いかにも追加的な説明であった。
質問者はたった一人で、外国人に許可するかという趣旨だが、逓信大臣は法律の規定により「外国人と日本人の合弁企業でも許します」とこたえた。「無線電話」に関しては、まったくなんの質問もなしにスラリと通過した。
「九名の委員」からなる委員会の議事録は存在しないが、四日後の六月十日には、その審議経過が「本案は時勢の進歩にともなう必要なる法案として全会一致をもって可決」とのみ報告された。これまたただちに「(「簡単明瞭」と呼ぶ声あり)」および(「異議なし」と呼ぶ声あり)につづいて、ただちに「可決」せよの動議がでた。この動議にも「(「異議なし」の声起こる)」となり、「可決」されて貴族院におくられた。官報によれば無線電信法の成立は九日後の六月十九日だが、その間の貴族院の議事録には何らの記載もない。自動的に成立したのであろう。