『電波メディアの神話』(03-12)

電波メディアの国家支配は許されるか?……
マルチメディア時代のメディア開放宣言

電網木村書店 Web無料公開 2005.4.1

序章 電波メディア再発見に千載一遇のチャンス 12

体制側の分裂によってはじめて表面化した矛盾

 椿発言と椿舌禍事件にはさまざまな側面があるが、まずはその劇的な経過によって一般市民層の関心をあつめた点であろう。つぎには、貴重このうえない研究素材としての側面を強調しておきたい。その発端をなす選挙報道のテーマだった政権変動と同様に、村社会ニッポンでは何十年に一度しかおとずれない「体制側の分裂」によってはじめて表面化したものであり、メディア研究にとってもまさに千載一遇のチャンスを提供したのである。

 椿発言は「反自民党政権」ではあっても、決して「反体制」の仕事の告白ではなかった。

「小沢一郎氏のケジメをことさらに追及する必要はない」という「考え方」(巻末資料1参照)に象徴されるように、椿を含むほとんどの大手メディア首脳部は、二大政党の実現を待望する財界の意向をうけて、意気揚々と仕事にはげんでいたのである。だから、どちらかといえば「お人好し」という評判で、軽率かつ小物の椿はついつい仲間内のつもりで安心し、放言してしまった。椿はうかつにも、財界が二頭立ての馬車にのりかえようとしていることを、ドわすれしていたのだ。この事態をうらからみると、自民党(次期政権交替要員)による椿舌禍事件追及は、体制側にとって、「薮をつついて蛇を出す」荒業の危険な側面をはらんでいた。椿発言には強烈な自民党批判がふくまれていた。

 密告の犯人はだれか、それをなぜ自民党があえて暴露したのか。私は「にわか仕立ての謀略」という見方をしているが、本命のねらいはなにかという推理がとくにおもしろい。しかもそののち、私の推理をうらづけるように、情報ハイウェイだ、マルチメディアだ、ハイヴィジョンのデジタル化だと、そのための放送法改正だと、放送をめぐる政策のドタバタさわぎが急速に展開した。


(03-13)メディアと言論の根底にひそむ人権と人類史の深淵