電網木村書店 Web無料公開 2006.6.6
第八章 《時限爆弾》管理法 5
智樹と達哉は、ヒミコの画面に呼びだした道路地図を確認しながら、一度も迷わずに興亜協和塾に辿り着いた。
塾を左に見ながら、ゆっくり走る。三階建てのビルの裏側の塀に沿って、左に曲る細い横道がある。その横道を目に入れながら通り過ぎ、次の角を左に折れて、民家の生垣の陰に車を止める。
無線で小山田警視を呼び出す。スクランブルは掛かったままだ。
「小山田さん。こちら影森。塾に到着。聞こえますか。どうぞ」
「はい。こちら小山田。あと十分ぐらいで着きます。どうぞ」
「先に突入して、華枝を救出します。以上」といって返事を待たず、智樹はスイッチを素早く切った。「風見。俺が車を出たら、このスイッチをまた入れて、連絡係りをやってくれ。華枝にも、直ぐ行くと伝えてくれ」
「分った。気を付けてな」
「うん。死に際のザンゲはしたけど、決して無駄に死ぬ積りはない」
智樹はダッシュボードを開けた。自動拳銃を左胸のケースに収める。手榴弾がギッシリ詰まったベルトを腰に締める。
「殺されるのも御免だが、殺すのも嫌いだ。自動拳銃の弾は麻酔弾だ。チャンバラなら刀の峰打ちといったところかな。だけど打ち所が悪いと、これでも死ぬからね。殺さないようにするためには、かえって技術が要るんだよ。手榴弾からは催涙ガスと煙幕が吹き出る。どちらも毒性はない」
智樹は水泳用のゴーグルをはめて見せ、ニヤリと笑った。
「奴らがなにを持っているか知らないが、これだけで勝負を付けてくるよ」
ゴーグルを目から外して額に上げる。ヘルメットをかぶり、あごひもを締める。手袋をしっかりはめる。肩には引掛け爪が付いた縄梯子を担ぐ。
「レンジャーの訓練も無駄じゃなかったな。格闘術もジャングル・ナイフの使い方も、一応は習ってるんだよ。ハハハハッ……」
「しかし、さっきお前を襲撃したのが道場寺満州男だとすると、やっこさん、もう先に戻ってるかもしれないぞ。奴は手ごわいんじゃないか。
「うん。そうだな。気を付けるよ」
智樹が車を出ると、達哉はまず華枝に文字通信を送った。
〈こちら風見。いま影森が塾に入る。催涙ガスと煙幕が流れ込むかもしれない。心配は要らない。警察も直ぐに着く。どうぞ〉
〈了解。でも、風見さんは何時から一緒だったの。どうぞ〉
〈最初からでした。済みません。詳しい事情は後で。以上〉
次に警察無線のスイッチを入れたると、いきなり、
〈影森さん。影森さん。応答して下さい。どうぞ〉
と田浦の金切り声が入ってきた。達哉は一寸間を置いてから努めて落着いた声で応答した。
〈ええ、……こちら影森の車。風見です。影森は塾に向いました。どうぞ〉
〈こちら小山田。仕方ありませんね。武器は何を持って行きましたか。どうぞ〉
〈麻酔弾が入った自動拳銃。催眠ガスと煙幕が出る手榴弾。ゴーグル、ヘルメット、手袋を着用。縄梯子で背後の塀から侵入するようです。どうぞ〉
〈了解。現在の停車位置を教えて下さい。どうぞ〉
〈塾を通り過ぎて、次の次の角を左折した所です。そちらには塾の図面がありますか。どうぞ〉
〈あります。どうぞ〉
〈華枝さんが監禁されているのは、二階の一番奥の二〇九号室です。どうぞ〉
〈はい。了解。以上〉
無線のスイッチを切った後、達哉は電話の拡声ボタンを押した。
〈煙幕が出る手榴弾〉と口に出した途端に、グッド・アイデアが閃いたのである。たたいた番号は、一一九。
〈はい。こちら消防署です〉
〈火事です。たった今、興亜協和塾から煙がモクモク吹き出し始めました。すぐきて下さい〉
達哉は念のために塾の住所も読み上げた。キビキビした返事が返ってきた。
〈はい。了解。ただちに出動します。以上〉
智樹は先ず塾の正面まで走って戻った。
鉄門の内側に見張りの小屋がある。手を挙げて呼ぶと、自衛隊の戦闘服に似た制服の見張りが不審顔で出てきた。智樹は素早く自動拳銃を抜き出して、麻酔弾を射ち込む。鈍い発射音が響いた。見張りは驚き顔でパッタリ倒れた。智樹は、その間に手榴弾を握り、安全ピンを外し、見張り小屋のガラス窓を目掛けて投げ込んだ。ガチャンという音とともに、モクモクと煙が吹き出した。
智樹は再び道を引き返し、塾の塀沿いに左に回った。
ビルの背後に当たる位置だ。表の方からは、何人かの騒ぐ声が聞こえてきた。縄梯子を放り上げた。爪がしっかり引掛かるのを確めて、一気に縄梯子を昇る。塀の中を覗くと、誰の姿も見えない。正面の騒ぎに気を取られているのだろう。陽動作戦は成功だ。梯子を先に投げ下ろしてから、内側に飛び降りる。背中を丸めてビルの窓の下に走り寄る。図面通り、ビルの背後は廊下になっている。右手外側に三階までの非常階段と非常出口が付いている。
ビルの一階の廊下に、左、真中、右、と三箇所、ガラス窓を破って手榴弾を投げ込む。
モクモクと煙が上がる。いったんビルを離れて、二階の窓の同じ位置に投げ込む。煙が上がる。ゴーグルをはめて、非常階段を昇る。二階のドアのノブを握って回すが、開かない。全体が鉄製のドアである。揺すっても無駄だ。隣のガラス窓が手榴弾で破れている。非常階段の手摺りにぶら下がって、靴底でガラスの破片を片付ける。男が一人、煙にむせながら顔を出し、智樹の足をつかまえようとする。いったん非常階段に戻って、男に麻酔弾を射ち込む。
窓から入って、倒れた男のズボンのポケットを探ると、白いプラスチック札が付いたカギがあった。札には黒字で二〇九号と刻んである。
煙の流れを潜り、すぐ側の二〇九号室のドアを軽くノックする。
「こちらヴァルナ。無事かい」
「はい。こちらミトゥナ。大丈夫よ。一寸泣いてるけど、それは煙いからよ」
「今開けるよ」と智樹はカギを開ける。
「ト・モ・キ」
華枝は両腕を広げて飛び付いてきた。目は涙でくしゃくしゃになっている。
「有難う。怖かったわ」
智樹は華枝をしっかり抱き締めた。だが、それも一瞬。
「華枝。君は、この部屋に入っていた方が安全だ。待っててくれ。俺は片付けてくる」
「いや!もう。一人にしないで」
華枝は智樹の左胸の拳銃に触る。
「危ないことはしないで。人を殺すのは嫌よ」
「大丈夫だよ。この拳銃の弾は麻酔弾だ。当っても死にはしない。俺はこの通り。ヘルメットに防弾チョッキ。ゴーグルまでしている」
「ウフフフッ……。おかしな格好」
その時、サイレンの音が近付いてきた。
「来たか」と智樹は窓からのぞく。
小山田警視らのパトカーが到着したと思ったのだが、消防車であった。ウー、ウーというサイレンの音に。カーン、カーンの鐘の音も加わっていた。
「早く門を開けて下さい!」
と叫ぶスピーカーの声が聞こえる。中庭には戦闘服姿と黒のダブルと、五、六人が右往左往している。
「火事ではない。帰ってくれ」
などと大声を上げている。混乱の極みである。そこへ、
「バン。バン」
と二発の銃声が響いた。智樹の足下から聞こえてきたようだった。一階の図面を思い浮べる。真下は塾長の部屋だ。智樹はもう一度、華枝を抱いていった。
「華枝。一寸ここで待っててくれ」
「うん」
と今度は華枝が諦め顔だった。
智樹は自動拳銃を右手に構えて、一階の塾長室に急いだ。階段を降り切った時、一階の正面入口から黒ダブルの男が二人続いて駆け込んできた。二人とも拳銃を振りかざしている。階段の手摺に身を隠して、麻酔弾を射ち込む。一発。二発。両方とも命中した。二人がドサ、ドサ、と倒れるのを見向きもせずに走り、塾長室のドアを開ける。
ドアに背中を向けて立っていた男が、奇妙な程ゆっくりと首を回して振り向いた。
「あっ。瀬高さんじゃないですか」
と智樹は驚く。瀬高は山城総研の専務で、親会社の山城証券の常務取締役を兼任していた。智樹が手掛ける極秘の調査では常に最高責任者だった。山城総研の仕事では、最も近い間柄だといって良い。
「ああ、君か。影森君か」
しゃべり方も異常にゆっくりしている。
瀬高は呆然とした表情のまま、ソファに崩れ落ちた。腰が抜けた感じだった。
「大丈夫ですか。お怪我は」
「いや。私はどこも怪我していない」
瀬高は両手を宙に泳がせた。その指先のソファに、三人の男が倒れている。一人は天井を向いて寝ている姿。二人は躰が斜めに倒れ、首がガックリ前に折れている。
「銃声は二発でしたが」
「良く見給え」
智樹は近くに寄って見た。ソファは六つ。入口から見て右手に主人用。低いテーブルを挟んで真向いに一つ。両側に二つづつ。主人用のソファに倒れている総白髪の老人は塾長の久能松次郎だ。見たところ、どこにも血が流れた跡はない。顔色も悪くはない。右腕の手首を握ってみると、弱い脈搏があった。
「まだ生きていますよ」
「脳卒中じゃないかな。そんな感じだったよ」
「すぐに警察がきます。救急車を呼んでもらいましょう」
老人の右手のソファに座ったまま並んで倒れている二人は、清倉誠吾と角村丙助だった。ともに左胸の心臓の位置から大量に血を流している。かなり勢い良く吹き出たのであろう。周囲にも飛び散っている。血の流れはまだ止まっていない。
瀬高は二人の反対側、老人の左手のソファに座っていた。入口には背を向ける位置だ。
「瀬高さん。もちろん、目撃されたんでしょ」
「もちろんだ。目の前で二人が続いて射たれた。その直後に、塾長が苦しみ出して、ふわりと崩れた。うん。きっと脳卒中だよ。大変興奮していたからね」
サイレンの音が四方八方から迫ってきた。今度こそ、小山田警視らの出番だ。
「警察が来ました」
と智樹がいうと。瀬高は急に気を取り直して、慌て出した。
「君。困るよ、警察は。山城証券の評判に関わるよ。何とかしてくれんか」
「そうですね。何とかしましょう。任せて下さい。ただし、私には本当のことを教えて下さいよ」
「教える。教える。君には事実をすべて教えるよ」
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