電網木村書店 Web無料公開 2006.6.6
第八章 《時限爆弾》管理法 4
華枝からのメモ通信は着実に届いていた。
達哉はそれまでに届いた分をさらに要約し、運転中の智樹に口で伝えながら説明を加えた。
「現在監禁されている部屋は二階の一番奥で二〇九号室」
「二〇九か。……待てよ。消防庁の図面で確認して置こう。風見。俺の《お庭番》コードを教えるから捜してくれ。塾の住所は手帳に書いてある」
智樹はポケットの手帳を出して、達哉に手渡した。コード番号とパスワードは口で伝えた。達哉がパソコンに図面を呼び出すと、智樹はその図面をしばらく眺めて、頭の中にたたきこんだ。
「OK。もう覚えた」
「よし。では、華枝さんのこれまでの経過だ。……新聞記事のデータベースを呼び出すと、最新ニュースとして弓畠耕一最高裁長官の死亡、最高裁葬が報じられていた」
「ううむ」と智樹は低くうなった。「すると、俺の陰の仕事に勘付いたかな」
「ハハハッ……。そりゃあ、大体の見当は付いているんじゃないか。お前は華枝さんに対しては、頭隠して尻隠さず、といった状態だろうからね。調査中の人物が死んだとあってみれば、なおさらピーンとくるよ」
「確かに、そんなことだ」
「それでだ。華枝さんは、告別式の会場に変装をして行った」
「なんだって!」
「まあ、まあ、……過ぎたことだ。それから、お前の《いずも》の暗号コードとパスワードを使って、清倉誠吾、江口克巳、下浜安司が一緒に加わっている組織を捜した。色々あったが、一番怪し気なのは興亜協和塾だった」
「なんだって。俺のコードとパスワードを使ったって。しまった。それだよ」
「どうしてだ。今までも使っていたんだろ」
「うん。正直言うと《いずも》にも《お庭番》チームにも内緒でね。その方が仕事が早いからだ。ところが、つい最近になって通常の管理報告システムの他に、ハッカーやらヴィールスやらワームやらの総合監視システムが試作されたんだ。今、《いずも》関係だけで試しに使っている。もちろん、対外的には極秘だ。俺は華枝にも話してなかった。この監視システムには、その他の注文も出せる。たとえばだね、NTTに依頼して逆探知すれば、ある特定の極秘情報を《いずも》のコードやパスワードを使って呼出したものの電話番号だとか、……。緊急報告を求めることもできるんだ」
「なるほど。その網に華枝さんが引っ掛かったのか」
「うん。俺も技術関係は専門でないから細かいことは分らない。しかし、《いずも》関係者で今度のXデイ《すばる》発動計画に関わっている誰かが、警察庁のデータベースか、それとも山城総研のホスト・コンピュータか、どちらかに特別な監視システムを取り付けたという可能性は非常に高いよ。もしも俺がその立場だったら、絶対にそうしているからね。情報漏れを警戒するには、まず味方の陣営を疑えというのが鉄則なんだ」
「そうか。ともかく、その直後に華枝さんは、マンションに戻る途中で車に連れ込まれたんだんだ。……しかし、華枝さんは大したもんだね。あんな危ない所に監禁されていながら、これだけきちんとしたメモを送ってくるんだから」
風見はしきりに首を振って感心していた。
その時、静岡方面に降りるインターチェンジの標識が見えてきた。
「おい。もう直ぐだぞ」と智樹が叫んだ。「それで華枝の話しは終わりか。それなら、この辺の地図を早く画面に呼びださないと。……道に迷ったら、時間の損だけでは済まないぞ」
「うん。たった今送られてきた分がある」
「終わりの方から、重要そうな部分だけ読んでくれ」と智樹が急かす。
「うん。うん。……華枝さんは強制連行されて興亜協和塾に入った時、中庭にいた車から清倉誠吾が降りるのを見た」
「なに、清倉が塾に入ったのか。何故それを早く知らせないんだ。華枝には近所の道路地図を見るから通信を切ると言ってくれ。地図の呼び出し操作も頼むよ」
智樹はそう達哉に頼んで置いて、自分は無線のスイッチを入れた。スクランブルは掛けたままになっている。
「こちら影森。小山田さん。聞こえますか。どうぞ」
「はい。小山田です。どうぞ」
「例の塾に清倉が入ったらしいんです。見張りの情報はありませんでしたか。どうぞ」
「ありました。たった今確認できた所です。近くの民家の二階を借りて見張り。出入りの者全てをビデオ・テープに収録。本部でコンピュータ処理をして画像を鮮明化。今日十五時に入った車に清倉誠吾、角村丙助を確認。あと一人は運転手。なお、新しい情報あり。ただいま塾のランドクルーザーが海岸方面に向かっている。以上」
「分りました。以上」
智樹はぶっきらぼうにスイッチを切り、息を低く吐き出した。声がくぐもっている。達哉が呼び出した道路地図を見ながらカーブを切る。スピードを上げる。
「畜生!」と智樹は歯ぎしりする。「奴らはやはり、同じ手口で殺す気か。また海水を飲ませて溺死を装う気なのか」
「うむ。だが、そうだとすれば、まだ準備中で助けが間に合うということだ」
「そうだ。おい」といって智樹は胸のポケットから封筒を取り出した。「俺に万一のことがあったら、これを頼む」
「何だ、これは」
「銀行の貸し金庫の鍵と委任状だ。極秘資料、フロッピ、テープ。お前が知らない事件も沢山ある。全部公開しても構わん。やり方はお前に任せる」智樹は低くうなった。「あの角村の息子の交信記録テープもある。……角村一等空尉。岩松でのジェット機とエアバスの空中衝突事故で編隊指揮官。事件調査中に自殺したとされている」
「やはり、何かあったんだな」と達哉も呻くようにつぶやいた。
「そうだ。俺は当時、本庁の防衛局調査課にいた。陰の総合責任者だ。俺の陰の仕事の中でも、あの事故の原因のもみ消し作業が一番犯罪的だったよ。……
岩松の基地に急行すると、空幕の調査官が待構えていた。青い顔で小刻みにからだを震わせている。テープを渡された。自衛隊機にはヴォイス・コードなんてものは付いてない。だが、管制に当る基地では編隊の交信を録音しているんだ。基地からの指示も入っている。……
当然だよ。一機が何十億円もする最新式のジェット機を飛ばしてるんだよ。交信の録音なんて、一番お安い御用さ。後で訓練の参考にもなる。事故の原因糾明にも役立つ。俺達は当然の常識的な作業だと思っていたから、事件の捜査で交信記録テープが追及されるに違いないと信じた。だが、テープがそのまま公表されたら、一大スキャンダルに発展しただろう。だから俺達は、直ちにダビングして一部を削った。うまく出来たよ。それをまたつなぎ目のないテープにダビングして、本物とつないだテープは隠した。ヒヤヒヤしながら提出命令を待った」
「俺もあの事件には関心があったから、新聞や雑誌の記事をファイルしている。しかし、交信記録テープの話は読んだこともなかったし、思い付きもしなかなかった。ヴォイス・コードが義務付けされているのは民間の大型輸送機だけだというのが頭にあったんだね」
「うん」と智樹は暗い目で静かに微笑んだ。
「それじゃ、お前も自分勝手にだまされていた口だな。……騒ぎといっても実際には、国会で野党の議員が質問するだけだからね。警察の捜査は防衛庁の警察OBとの談合みたいなものさ。防衛庁側の説明だけでパス。野党側は交信記録が録音されていることに気付かなかった。基地の管制室を覗けば、素人でも一目で分ることだったんだがね。俺達は気が抜けて、かえってガックリしたよ」
「削った部分ってのは」
「問題点そのものは国会でも追及されている。自衛隊機は民間機を標的にして訓練しているのではないか、という疑惑だ」
「ああ。それは知っているよ」
「事件当時までの実例を集めただけでも有力な疑いがあった。防衛庁長官は責任を負って辞任したが、あれは、国会の追及を逃れるためだ。標的訓練は当時でも、運輸省の航空局や民間を含めた航空業界の常識だったんだよ。空だけじゃない。海でもそうだ。訓練のために標的用の飛行機や船を動かしたら、それだけ費用がかさむからね。日本だけじゃない。どこの国の軍隊でも同じことをやっている。ただ、あまり露骨にやらないように気を付けているだけだ。事故を起さず。証拠を残さず、だな」
「テープははっきりした証拠になるものだったのか」
「そのものズバリだ。英語と略語が多いから、そのままでは意味が分らない部分もある。しかし、誰か専門家が解説すれば、かえってリアルに感じられるだろう。普通の言葉に直すとね、……。レーダー基地が先ず、〈エアバス接近。高度五千フィート〉と知らせる。すると編隊指揮官が〈こちら一号機。三号機、聞こえるか〉。〈はい。三号機〉。〈目標は左後方、高度五千フィートのエアバス。スクランブル急上昇。追尾し撃墜位置に捕捉せよ〉。〈了解。三号機、エアバスを追尾します〉。これが事故寸前の交信だ。最初は〈後方〉からくるエアバスを目視しながら上昇して追い付き、〈前方〉の攻撃目標として捕捉する。スクランブルの基礎訓練だ。指揮官の命令だというのがはっきりしている。これがそのままテレビやラジオで放送されたら、長官のクビだけでは済まなかった。自衛隊全体の命取りだったよ」
「貸し金庫のテープは削除前のものなんだな」
「本物と、切ってつないだ跡のある贋物の両方だ。本物を聞いていたのは俺のほかに数人しかいなかった。防衛局長は俺に本物を消せと命令した。しかし俺には別の考えがあった。この際、空幕に申入れて民間機を標的にする訓練を根絶しようと思った。同じ訓練はソ連機を相手にすれば充分できるんだ。ソ連機はしょっちゅう侵入してくるんだからな。……
空幕との議論の時の切札に、テープを聞かせてやろうと思っていた。ところがその極秘の話が角村の息子の耳に入ったんだ。情報ルートの証拠はない。だが俺は、元陸将で元陸上幕僚長の父親が介在していると直感した。いまでもそう思っている。
ともかく息子の角村一等空尉は俺の官舎に押し掛けてきた。目が吊り上がっていて錯乱状態が明らかだった。丁度、子供は二人ともいとこの誕生日パーティーに出掛けていた。昭代と俺だけで夕食を始めようとしていた所で、ビールの栓を抜いたばかりだった。俺は角村に〈まあ、座れよ〉と言ってコップを差し出した。ところが角村はかえって逆上した。
〈ふざけるな。俺を破滅させる気か。テープを寄越せ〉とわめいた。ピストルを取り出した。銃口を昭代の頭に押付けた。昭代はガタガタ震えて悲鳴を上げた。角村は〈声を出すな〉といって、昭代の頭をこずいた。俺は仕方なしに、本棚の引出しからテープが入った茶封筒を取出した。左手で封筒を持って角村に示した。
だが悪いことに同じ引出しには俺のピストルも入っていた。全く無意識だった。頭の中は空白だった。右手がサッと動いてピストルを握る。角村を胸のあたりを狙って撃つ。その時、ほとんど同時に角村のピストルは昭代の頭を撃ち抜いていた」
「そうか」達哉の喉には重い塊が詰まっていたが、何か喋り続けていないと落着かない感じだった。無理に言葉を押し出した。「日頃の訓練がとっさの時に出てくるんだな」
「そうだよ。俺達は所詮、殺人者としての訓練を受けているんだ。カアーッと頭に血が昇ると、手足が自動的に動き出すように長年の訓練を積んでいるんだ。チャンバラ時代よりも危険なんだよ。高性能の機械と連結された殺人ロボット、サイボーグみたいなもんだ。だからね、これもいい残して置こう。シビリアン・コントロールは絶対に必要だし、ますます重要なんだよ。いくら科学が発達したって、人間の遺伝子は変化してない。ボスザル本能はそのままなんだから、気を許したらお終いだ。この歴史的教訓を無視すると、共和政治だの社会主義だのといっても、あっという間に独裁国家に変わってしまうだろ。な、歴史の現実を直視するべきなんだ。これも、お前の将来の研究テーマにしてくれよ」
「……。で、事故として処理したのは、防衛庁の指示か」
「うん。俺は調査部長に電話をした。医者が一緒に来て俺に沈静剤を注射した。俺は抵抗しなかった。そのまま眠らされた。昭代はうちの車に乗せられて、崖から落とされたんだ。車は炎上した。警察とは調査部が話を付けたのだろう。新聞に小さな記事がのっただけで、一件落着だ。それきり誰も騒がなかった」
「そうか。でも、俺はきっと何かあると感じていたよ」
「そうだろうな。お前はあの頃、そんな目付きで俺を見ていた。ハハハハッ……。ただ、当事者の気持ちの中では事件が続いている。角村の親爺にとっては、俺が息子の仇として残っている。俺の方は、昭代を撃った角村の息子をその場で殺している。しかし、角村の親爺が余計な情報を息子に流したのが原因だと考えているから、やはりあの角村丙助は俺にとって昭代の仇の片割れだ。つまりね、これから興亜協和塾で出会う角村と俺とは、いわば十年越しの仇同士なんだよ。ハハハハッ……」
智樹の笑い声は乾いていた。
「今日はお前をすっかり従軍僧にしてしまったようだな。人間やはり、命が掛かった勝負の前には、ザンゲをしたくなるのかもしれない」
「ハハハハッ……」
達哉も智樹の気持ちに合せて軽く笑った。
「今時、人を殺すという経験は希少価値だ。告白して置かなければ、死に際に苦しめられるかもしれないよ」
「。それじゃ遠慮なく、これも告白して置こう。俺の経験は実は二度目なんだ。
満州で逃亡中にお袋がソ連兵に犯された。俺は投げ飛ばされて気を失っていた。気が付くとお袋がソ連兵に組み敷かれてグッタリしている。目の前に自動小銃が転がっていた。俺はその銃を握ってソ連兵の頭を力一杯殴った。何回も夢中で殴った。お袋の悲鳴で気が付いて、やっと殴るのを止めたんだ。大男のソ連兵をどかせようと手を掛けると、またお袋が悲鳴を上げた。怒って、〈駄目!向うを向いていなさい!〉と言うんだ。当時の俺にもぼんやりと意味が分ったよ。お袋は身づくろいをしてから俺を抱きしめてボロボロ泣いた。……
お袋は、舞鶴で掻爬手術を受けて四日後に死んだ。血の気がすっかりなくなってロウ人形のようだった。医者は若い軍医で、当時九歳の俺に噛んで含めるように説明してくれた。〈麻酔剤もなしに次から次へと同じ手術をしている。君のお母さんも日が経ち過ぎていて危険だったが、ソ連兵の子供を生むぐらいなら自殺するといった。〈手術で死んでも同じだから覚悟はできている〉……そういって俺への遺言を頼んだそうだ。〈君のお父さんは〉と聞かれた。〈張家口の守備隊長で行方は分らない〉と答えた。〈そうか〉といって軍医は泣いていた。〈君がもしもお父さんに巡り会えたら、お母さんは赤痢で死んだといいなさい。ソ連兵のことは秘密にして欲しい。それが、お母さんの遺言だよ〉……
おれは親爺が死ぬまで秘密を守ったよ」
「そうか。……」
達哉はしばらく口をつぐんだまま、車窓の外の空を見上げた。智樹の目の奥に若い頃から見え隠れしていた暗い孤独な衝動の秘密。それを、今初めて知ったのである。それはただ単に母親を早く失ったという寂しさだけでは説明し切れない深さを持っていた。
万里江は智樹に魅かれながら、一方では近づきがたい怖れを感じると語っていた。あれは、まさに女性ならではの直感だったのだ。
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