行列の横をアメリカ兵が陽気に往き来していた
波止場の長い行列はいっこうに進まなかった。僕はそれらをじっと堪えていた。妹を背負い、水の一杯入った真鍮の湯タンポと三国志の風呂敷包みを両手にぶらさげていた。父は何度もまた買ってやるからと言ったが、このチカラさんの遺品を手離す気にはなれなかった。それは北京で門番の子にやってきたあのスケート靴などとはまるっきり違ったものであった。僕等の持って帰れる荷物は限られていたが、僕はその分だけ余計に負担すると言い張ったのだった。だから僕はそれらの重さに堪えなくてはいけなかったのだ。
行列の横をアメリカ兵が陽気に往き来していた。その中の一人は僕の気づかったとおりに近寄って来た。港についてから何度もあったことだが、そのアメリカ兵も笑顔で僕の背中の妹を覗き込み、英語であやした。僕はそのたびに妹が足をばたつかせるのも手伝って、そんなアメリカ兵の気紛れがわずらわしかったのだ。だがその時行列が動き始めると、そのアメリカ兵はなにやら呟いて僕にもほほえみかけ、両手の荷物を軽々と奪い取り一緒に並んで歩き出した。
行列がのろのろ進み、また淀んだ時、アメリカ兵は僕に荷物を戻した。すると父は、
「サンキューベリマッチ。」
と言うのだった。僕はその意味を知っていた。チカラさんはあの時、戦争に敗けてサンキューベリマッチもないもんだ、と言った。父は戦争に敗けたからそういったのではなかった。僕にはそんなことはよく分っていた。だけど、その言葉はかなしい響きを感じさせるものであった。しかし、そのアメリカ兵は喜び、僕の頭を撫でて、意気ようようと立ち去るのだった。
妹の和代はタラップを上る時、足をばたつかせて泣きわめき、僕をよろめかせた。僕はその重みを黙ってこらえていた。汽笛が妹の泣き声を消し、僕を無感覚にするのだった。
* * *
東京の電車は物凄い混みようだった。きたならしく狭い車内に、うす汚れた大人達がものうく押し合っていた。窓にへばりついていた僕の眼には、東京は破壊されたビルディングと焼けトタンの急造バラックの群として展開していくのだった。
帰国してから暫くの間ころげこんでいた、田舎の親戚の家のワラぶき屋根の重量感と、この焼け跡の都会とを思い較べる僕にとっては、もう一つの夢を失うまいとする努力も空しく感ぜられた。東京で仕事が見つかった、という父からの報せに、久し振りに眼を輝かせた母は誰にいうともなく呼びかけたのだった。
「さあ、また始めからやり直すのよ。東京でやり直すのよ。」
だから、僕の夢として残された東京は、新しい未来を覗かせていたのだ。そしてそこには何かがなくてはならなかった。北京の公園や、田舎の小川や、茸狩りの森に代る何かがある筈だったのだ。
僕は何物をも見逃すまいと、窓枠にしがみついた。大きな建物も時には現れた。母は僕にその名を教えてくれるのだった。しかし、僕の探していたのは、あの万寿山の御殿のように美しいものだった。そして僕は、あの池のように澄み切った流れを見つけて、北京の夏のように戯れたかったのだ。だが線路の傍らに濁った堀を見つける僕自身は、すっかり変ってしまったように思えた。僕は崩れた石垣に身をささえている、焼けて裸になった柳の木を、眼が痛くなる程、見つめているのだった。
(完)