僕は誰にも構われずにベッドの傍らに立っていた
中国兵に抱え上げられたチビはすぐに病院に運ばれたが、息の絶えたチカラさんをも運ばねばならぬことに大人達が気づくまでに、長い虚ろな静寂の時があった。その間中、僕はクリークの砕かれた氷を見つめていた。涙はすぐ乾いたが、はっきり見えるものは何もなかった。そして僕はとぼとぼとチカラさんの担架のあとについて歩くのだった。
僕は誰にも構われずにチビのベッドの傍らに立っていた。そこにはまた、泣き崩れる若い中国兵の顔もあった。彼は両手を握り合わせてひざまずき、あの頑丈な大男らしく見えなかった。仲間の中国兵達がやって来て、泣き濡れたままの彼を引き戻し、連れ去った。それを見送る僕の肩を大人達が捉えた。彼等は僕の断片的な言葉を種に、無駄な会話を始め、困惑をまぎらわせようとしていた。
「どうしてあの気のきいた若者が、……。」
「どうして中国語のうまい彼が、……。」
と虚ろな囁きが病室をざわめかせた。だがチビの紙のように白くなっていた冷たい身体が暖められ、注射を受け、その顔に血の気が戻ってくると、大人達も元気づいた。そして僕はもう、誰から質問されることもなく、黙ってそこを離れたのだった。
僕はチカラさんの暗い顔色を気にする必要がなくなった。中国兵達は以前と同じようにぼんやりと門を守っていた。何を考えているのか、いくつぐらいなのか、僕には関係のないことだった。ただ、その鉄砲だけが以前と変って見えるのだった。
チカラさんの葬式のあとで、父は僕の頭を撫でながら、ポツリと言った。
「お前にはまだ難しいかな。」
僕は黙って前方の空を見ていた。何も恐れることはなかったが、緊張していた。
「チカラさんはね、これから子供の時代だ。子供達だけがこれからの日本を作り直していけるんだ、と言っていたよ。あの二、三日前のことだよ。子供達と一緒に遊んでいる時が一番楽しい、なんて言ったんだがね。」
僕は静かに首をめぐらせて、チカラさんの墓をみやった。それは収容所の荒れ地の片隅の土饅頭の群の中に、新しい地肌を茶褐色にしめらせ、うずくまっていた。誰かが作った白木の卒塔婆が陽をうけて輝いていた。その上に鮮やかに記されたチカラさんの戒名を前にして、僕等は長いこと立ちつくしていたのだ。僕の肩におずおずと手をのせて、あの大男の中国兵もいた。黒い絹の長衣を着て、彼は静かに泣いていた。そしてその細い眼にたたえられた涙の一粒一粒が僕の心を静めてくれたのであった。