杉花粉症は “外交 行政 産業” 環境公害だ!(その9)

編集長の毒針:緊急課題!

杉花粉被害放置政策に猛然反撃の独立反乱!
“杉林焼き払い放火作戦”開始宣言!

82%(61)から19.6%(97)に激減の「木材自給率」

2000.5

 杉花粉症、または花粉病が、「日本独特の病理現象」であることを、さらに声を大にして強調したい。私が使う「日本独特の病理現象」の意味は多岐にわたる。

 第1は、基本的、かつ、決定的な条件である。「杉」自体が「日本独特」なのである。正直を最良の政策として正直に告白すると、私自身が今春、この事実を初めて知ったのである。今春、未曾有の症状悪化という酷い遭い、ついに自ら徹底調査を覚悟したのであるが、まずは平凡社『世界大百科事典』で「杉」を引くと、英語ではJapanese cedar.ラテン語の学名はCryptomeria japonica D. Donとなっている。近縁の自生種が中国大陸などにもあるようだが、「従来1属1種の日本特産種とされ」てきたもので、「スギ科」の分布も、中国大陸東部から日本周辺、北アメリカ大陸の西岸、メキシコ湾周辺に限られている。植林までして大量に育成しているのは、日本だけである。

説得力ある資料の不足の一因は雀の涙の研究費

 当然、杉、および杉花粉の研究では、日本人が率先するべきなのであるが、業界は気息奄々、国有林まで抱える林野庁が膨大な赤字で「絶望的な独立採算制」(『国有林の過去・現在・未来』飯田繁、筑波書房、1992.9.16.p.165)を嘆くこと久しい状況に立ち至っている。研究費は雀の涙である。

 林野庁の担当の国内貿易対策課からは、本シリ-ズ既報のファックスを受け、続いて、歴史的な統計を求めたが、その後、まったく返事がない。やはり、その日暮らしの仕事しかしていないのだろう。図書館で林業関係の研究所や統計・年鑑類を当たってみても、散発的な情報しか得られない。仕方なしに、自力で『図説・林業白書』の各年度版の調査を開始した。

外材」の激増と「木材・木製品業の企業倒産状況」

 2000.4.14.地元の武蔵野市中央図書館に「取り寄せ」を申し込んでいた「東京都立図書館」蔵書、『図説・林業白書』1975年版から1980年版までの6冊が届いた。「取り寄せ」は1回に6冊と制限されているので、これが今週の精一杯である。これをもすぐに返却して、さらに、それ以前の6冊の「取り寄せ」を請求すると、来週の金曜日、4.21.には入手できる予定である。1981年版以降、1998年版までは、武蔵野市中央図書館にもあったので、都合、14冊の年度版の統計を見ることができた。

『図説・林業白書』の中心的な内容は、正式には「林業の動向に関する年次報告」として国会に提出されているものである。ただし、それぞれの年度版の構成の仕方は、徐々に変化している。構成の変化には、その年度の状況の特徴が現われている。歴史的な見直しが必要な時期には、過去に溯る統計が示されたりする。

 私の狙い目は、すでに本シリ-ズで明確にしているように、「国産」の杉の製品化の状況なのであるが、「木材(用材)自給率」や「用材供給量」などは、すべての「木材(用材)」を対象としたものである。しかし、林野庁からファックスで得た「主要品目の価格」表でも、「素材」では「すぎ中丸太」、「製品」では「すぎ正角」が筆頭になっている。「自給率」や「供給量」の変化に関しても、近似値として考えてしかるべきであろう。

『図説・林業白書』の各年度版の文章までは読む時間の余裕も、気持ちの余裕もないが、掴んでは投げ、掴んでは投げ、パラパラめくって行くと、1979年度版と1980年度版には、1961年度に溯る「木材(用材)供給量の推移」と題するグラフがあった。本文で「外材への依存がさらに強まっている」(1979年度版)「外材の割合は一層高まっている」(1980年度)とする部分の説明の「図」である。

 なぜ、この時期に、1961年度に溯る報告をまとめたのであろうか。基本的な理由は、当然、上記のような「外材」の激増にあるが、国内では、業界として見過ごすことが不可能な悲劇の数々が、各所で展開されていたのである。1980年度版には、「木材・木製品業の企業倒産状況」(p.69)と題するグラフが掲載されていた。1978年度から1980年度に掛けて、「製造業」も「販売業」も、バッタバッタと倒れていた

現在は20%前後の「木材自給率」は1961年度には82%!

 以下、1961年度以降の「国産材」の「自給率」のみを最初に紹介しつつ、「国産材」の「供給量」の増減を注記すると、次の通りである。

 :1961年から1979年までは1980年版によるが、グラフのみで数字の記載がないので、「供給量」はグラフからの読み取りで「約5000万立方米」などとする。ただし、1973年度については1984年度版に記載があったので、その数字を記した。1980年度以降は、1984年年度版以降による。なお、「自給率」の増加は、ほとんど場合、「供給量」の全体の減少の結果であって、「国産材」による「自給」の「量」の増加を意味しない

 自給率供給量の増減
1961年度(昭36):82%(約5,000万立方米)
1962年度(昭37):79%横這い
1963年度(昭38):75%同上
1964年度(昭39):73%同上
1965年度(昭40):71%同上
1966年度(昭41):67%同上
1967年度(昭42):61%同上
1968年度(昭43):53%減少
1969年度(昭44):49%同上(約4,500万立方米)
1970年度(昭45):45%横這い
1971年度(昭46):45%横這い
1972年度(昭47):41%減少
1973年度(昭48):36%同上(4,221万立方米)
1974年度(昭49):35%同上
1975年度(昭50):36%同上
1976年度(昭51):35%僅増(約3,500万立方米)
1977年度(昭52):34%減少
1978年度(昭53):31%横這い
1979年度(昭54):31%同上(約3,250万立方米)
1980年度(昭55):31.7%僅増(3,456万立方米)
1981年度(昭56):34.4%減少(3,163万立方米)
1982年度(昭57):35.7%僅増(3,215万立方米)
1983年度(昭58):35.4%同上(3,232万立方米)
1984年度(昭59):36.0%同上(3,287万立方米)
1985年度(昭60):35.6%同上(3,307万立方米)
1986年度(昭61):33.5%減少(3,161万立方米)
1987年度(昭62):30.0%同上(3,098万立方米)
1988年度(昭63):29.2%僅増(3,100万立方米)
1989年度(平元):26.9%減少(3,059万立方米)
1990年度(平2):26.4%同上(2,937万立方米)
1991年度(平3):25.0%同上(2,800万立方米)
1992年度(平4):25.0%同上(2,717万立方米)
1993年度(平5):23.6%同上(2,560万立方米)
1994年度(平6):22.4%同上(3,448万立方米)
1995年度(平7):20.5%同上(2,292万立方米)
1996年度(平8):20.0%同上(2,248万立方米)
1997年度(平9):19.6%同上(2,156万立方米)
1998年度(平10):21.0%同上(1,933万立方米)

 しかり、しこうして、「杉花粉症患者」の立場から、遠慮のない苦言を呈すると、「貧すれば鈍する」とか。林野庁の職員自体が、このような歴史的経過を、まるで知らない状態にまで落ち込んでいたのである。しかし、「ジリ貧」の林業関係者が、「被害者意識」を抱き、消極化し、林業政策の歴史的な見直しを避けている間に、花粉の大量発生の基盤は、着々と築かれていたのである。天候次第では、いつでも、花粉は大量発生し、患者も大量発生するのである。

 そこで、「恐怖の予測」。来年は、どうなるのであろうか!

 気象庁の「お天気相談所」に問い合わせたところ、すでに本年3月13日、本年6月から8月の長期予測が出ていた。「東日本」では「平年並の気温」または「高温」、それぞれが40%の予測。つまり、基礎条件の「小枝」が、そのまま、もしくはさらに繁るようだと、前年の7月から8月に「高温」だと大量発生する可能性の高い杉花粉は、来年もまた、「本日は晴天なり!」「全員一層奮励努力せよ!」とばかりに、かの、パチンコ狂騒曲の伴奏を得て、日本列島の各地を猛襲するのである。

 ジャンジャン、ジャンジャカジャンジャン、ジャンジャカジャンジャカ、ジャン!

以上で(その9)終わり。(その10)に続く。


(その10) 主犯“杉花粉”激増データを押さえぬ医は算術
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