杉花粉症は “外交 行政 産業” 環境公害だ!(その13)

編集長の毒針:緊急課題!

杉花粉被害放置政策に猛然反撃の独立反乱!
“杉林焼き払い放火作戦”開始宣言!

「木を見て森を見ざる」「ディーゼル排ガス規制」報道

2000.5

 “あの”都知事の「ディーゼル排ガス」規制に関しては、(その11)で、「曲学阿世を超える暴言都知事の提灯持ち『研究員』の正体」が100%東京都職員であることを明らかにし、「『デキレース』見え見え」として、次回に詳しく喝破すると約束した。しかし、その間、本命の杉花粉飛散の「悲惨」状況に関して、歴史的調査結果が入手できたので、(その12)では、そちらを優先して報告した。今回は、傍論ながらも花粉症と関係する「ディーゼル排ガス規制」問題の「森」を、根本から問い直し、以て、“あの”都知事の「木」パフォーマンスに関する幼児的「喜々」報道の滑稽さを、大所高所から鳥瞰する。

小局から大局への視点の転換ない議論は時間の無駄

 (その11)では、次のように簡略に問題点を指摘した。


 昨年の8月27日の記者会見発表が最初だったようだが、その時にも私は、「デキレース」を直感した。最新情報では、通産大臣が「補助金」「取得税引き下げ」を提案している。これが背後の業界の真の狙いだったのだ。東京都、運輸省、自動車業界、石油業界から、公開の記者会見用資料を取り寄せて、見比べるだけでも、それぐらいのことは簡単に喝破できるのに、この田舎芝居に騙されて、「あれだけは評価できるが……」などと宣う「暴言都知事批判派」が多いのだから、ああ、ああ、とても疲れる。


 しかし、以上は、あくまでも「小局」の視点である。今回は、「小局」を後回しにして、まずは「大局」の視点から展望する。「ススの入ったペットボトルを手に日本外国特派員協会で講演」(2000.4.21.日経記事の写真説明」した“あの”パフォーマンス都知事は、大所高所から鳥瞰すると、「道路交通の死亡者一万人の原因の三割を占めるトラック輸送」(後述)の延命を図る野蛮極まりない日米自動車工業界の、大名行列の先頭の槍持ち、または滑稽至極な露払い、でしかないのである。

「一万人の三割」は、3千人である。毎年3千人がトラック輸送の事故で死んでいるのである。これが最大の問題点である。問題はトラックにとどまらない。生身のご主人こと人間様と、高速で突っ走る鉄の装甲の物体が、同じ地表でゴチャゴチャ同居しているである。こんなに危険で野蛮なことは、当然、許されるべきではない。当然、SFの未来社会では、われらが現代を「野蛮時代」に区分しており、「自動車」は「歴史博物館」に行かなければ見ることができないのである。しかも、SFのみならず、現代でも、日本の交通行政は、時代遅れも甚だしく、実に嘆かわしい「地獄の沙汰も金次第」状況なのである。

 このような「大局」から見ると、“あの”“反米を気取ることもある”都知事の下品なパフォーマンスは、実のところ、アメリカ流の「悪魔化儀式」に他ならない。ディーゼルだけ、さらには歪曲化して粉塵だけを悪魔化し、根本問題から目を逸らせ、一般市民の自動車公害社会への不満を、ディーゼルだけ、さらには粉塵だけに向けさせ、結果としては、まったく逆方向に誘導し、自動車工業に「補助金」「取得税引き下げ」の特典を与えるのである。

先進国は国を挙げて道路輸送から鉄道輸送へ転換中

 日本は「工業先進国」と分類されているが、遅れた面が多々ある。実は、「トラック輸送」でも後進国なのである。

 私は、1993年発行の『佐川疑獄と国際エネルギー利権抗争』(汐文社)で、「第4章/『臨調・行革』路線が育てた『怪物』佐川急便」を設けた。その一部を紹介する。


 交通評論家の寺田禎之は著書『陸運』の冒頭で、トラックを「アリ」に、鉄道を「虎」にたとえながら、一九八七年(昭62)四月に決行された国鉄の民営分割化を次のように描いている。

「国鉄の貨物は旅客輸送から分離され、全国を営業範囲とする日本貨物鉄道株式会社となった。ここに陸上輸送分野における一匹の虎、すなわち国鉄貨物と、無数のアリ、すなわちトラックとの戦いは終わった。虎がアリに敗れたのである。考えてみれば、第二次大戦後三十年におよぶ長い死闘であった」

 寺田は、「トラックが急成長をはじめたのは」一九五五年以降(昭和30年代)であるとし、その「当時の運輸省自動車局長の真田氏は『日本列島は島国であり細長いので長距離トラック輸送に適さない。鉄道輸送が本流である』という主旨の見解を新聞紙上で表明していた」という時代背景を紹介している。では、この当時の運輸省当局者の認識は、「時代遅れ」だったと評価できるのであろうか。[中略]

 ところが今の今、佐川疑獄追及の真只中に、交通問題専門家による実に明快な「決定版」とでもいうべき名文が出現したのである。

『毎日新聞』(92・12・16)「みんなの広場」「私見/直言」に寄せられた「日本交通協会理事/滝山養」の文章であり、見出しは「貨物輸送はトラックから鉄道へ」となっている。つまり、執筆した本人が直接そういう表現をしてはいないものの、結論からいえば、「中曽根民活」の目玉商品「国鉄の民営分割化」は歴史的にみて誤りだった、「鉄道へ」戻れという主旨になっているのだ。この短い文章に、ほぼすべての歴史的問題点が要約されていると思えるので、ゆっくり読んでいただきたい。蛇足かもしれないが、小見出し代わりに私が問題点別に項目を区切る。

 第一の問題点は、地球環境破壊、労働条件悪化、交通事故死増加であろう。

「わが国は国策として炭酸ガスの発生を抑制することを公約した。炭酸ガス発生の二割は交通機関が占め、その四割はトラックである。

 わが国流通の五割はトラック輸送である。そのトラックが音を上げ出したのである。3Kのひとつとして運転手のなり手がなくなり、労働力不足が顕在化したうえに道路の渋滞が深刻化したのである。トラックの排ガスは沿道にぜんそくの患者を生み、道路交通の死亡者は一万人を突破しているが、トラックが原因のものが三割を占めている。いずれも放置できない重大な社会問題である。

 鉄道は炭酸ガスの排出量はトラックの十六分の一で、トラック輸送よりはるかに安全である」

 第二の問題点は、鉄道輸送の歴史的評価であろう。

「鉄道貨物は安楽死まで唱えられたが、改革後見事に立ち直り、五ヵ年間にコンテナが七割も増え、トラックを貨車で運ぶピギーバックまで登場するに至った。トラック輸送からの転移が始まったためである。JR貨物はあらゆる技術的手段を講じてはいるが、JR旅客の線路容量に余裕がないので増送は限界に達している。戦後、在来幹線への投資が新幹線と通勤に食われて全く立ちおくれてしまったからである。民営となったJRには輸送力を大幅に増強するすべがない。拠点として必要なヤードは国鉄精算事業団の手で処分されつつある。国鉄改革の一大誤算である」

 第三の問題点は、国際的に比較して見た日本の交通行政の実状であろう。

「先進国は国を挙げて道路輸送から鉄道輸送への転換を図っている。運輸審議会はトラック輸送から鉄道輸送への転移を提言してはいるが、国鉄改革の行きがかりもあり、財源がないという理由で今のままでは実現の見通しが立たない」

 第四の問題点は、日本の戦後の輸出振興政策とアメリカ追随のモータリゼーション、道路建設への税金投入などの異常さであろう。

「このような事態に立ち至ったのは戦後のわが国の政治と行政の宿弊にある。政治家は選挙に追われ、総合交通政策が全然立てられない。行政は極端な縦割りで、傘下企業の育成に追われている。戦後のわが国の基本的な政策は輸出振興にあり、その中心は自動車産業の育成にあった。国全体が米国追随で不相応なモータリゼーションに走り過ぎたのである。これらを背景として、道路への税金の投入、トラック業界の育成に異常ともいうべき政治力が働いた」

 第五の問題点は、鉄道に対して独立採算を押しつけ、税金の投入をしぶってきた政財界の姿勢であろう。

「一方、鉄道に対しては独立採算という建前で、財政当局と一部政治家の反対で戦後一貫し税金の投入をしぶり続けてきた。最近になってようやく整備新幹線のために税金の投入の道を開いたが、これも選挙対策の色が濃く、貨物輸送は全く無視されてきた。今こそ総合交通政策が必要で、過般の国鉄改革を克服し、真の行政改革が行われなければならない」 以上が「日本交通協会理事」の「私見/直言」である。

 戦後の歴代自民党政権は、道路を作らせては建設業界から、自動車を作らせては自動車産業から、自動車を走らせては石油業界からと、次々に政治資金をむさぼり、利権にもとづく派閥の醜悪な力学を発達させてきた。トラック輸送業の佐川急便スキャンダルは、まずこうした利権政治の極限にこそ位置づけて、その全体像を理解しなければならないのである。


 紹介済みの『スギ花粉症』にも、「日本のディーゼル車の台数」が30年間で300倍に増え、「国土面積あたりのトラック保有台数でみると、日本は米国の11倍、英仏西独の数倍以上」と記されている。

「大局」の視点からの批判は以上で終り。「小局」の視点からの批判は後回しとする。

以上で(その13)終わり。(その14)に続く。


(その14) 杉花粉症を公害として告発する希少価値HP紹介
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