杉花粉被害放置政策に猛然反撃の独立反乱!
“杉林焼き払い放火作戦”開始宣言!
花粉症“俗説”メッタ斬り免許皆伝「虎の巻」
2000.5
本シリーズについては、杉花粉が大量に飛散する「悲惨」期間中に、一応の仕上げをと心掛けたものの、やはり、非常に奥が深かった。わが「居座り剣法」、電話の直撃取材で取り寄せた資料は山程あるが、とても処理し切れない。で、到底、締切りに間に合わないと覚悟し、期間中に主要な問題点の要約に努める。今回は、表題の「メッタ斬り」の序説として、代表的な“俗説”、または「仮説」を絞り、「寄生虫」説、「遺伝子」説、「排気ガス」説、この3つに関する自称名探偵の「搦手」探偵結果を要約する。
「搦手」は、手元の安物辞書等によると、「からめる」「捕縛する」「捕手(とりて)」の意味から発し、逮捕現場でのコジャック刑事のドスの効く命令、「クロッカ-、裏へ回れ!」、正面の「大手」とは逆の「裏門」、さらには「物事の裏面」を意味する。
「寄生虫」減少説と「清潔」過ぎる説のデララメ構造
「寄生虫」減少説は、実に汚らしいので、かなりの数の自称「偽悪」知識人たちが、得意気に振り回している。おそらく、自称知識人、または「心情左翼」をカモ(古くはカモネギ。野良で鋤焼にする鴨が葱を背負ってくるの意)とする朝日新聞「科学部」エリート記者たちの低水準のせいであろう。
以下は、ネットで入手した「オタク論説」である。
●真田虫●
脊椎動物の腸内に寄生し、長いものは数メートルに及ぶ寄生虫。その形状が真田紐に似ていることからの命名と思われます。
98年1月6日付け朝日新聞コラムによると寄生虫学の藤田紘一郎博士は第二次世界大戦後の日本人の寄生虫の、寄生率の率に反比例して花粉症の発生率が増加していることに着目し、(寄生虫の排泄物が生み出すI&E抗体が花粉症を防ぐ)という学説を発表して、話題を集めている[後略]
この説は、何と、わがチャリン語学の米軍放送でも、「藤田紘一郎博士」が、なぜか任語で取材に答える「真田虫……」まで入って、「日本人の清潔好き」こそが、アレルギー激増の主因であるかのように報じられていた。
同「博士」は、東南アジアの子供には「アトピー」が見られない、などと論じているようだが、こんなに杜撰な「博士」ごっこが通じるのも、日本ならでは、朝日新聞科学部ならではと、慨嘆を久しくした。たとえば、生まれたばかりの東南アジアの子供を、寄生虫付きで東京都武蔵野市に連れてきて、十数年育ててみてからなら、一応の検証に値するが、それでは人権問題となる。
第1に、杉花粉症、または「杉花粉病」は、他のアレルギー病と同様に、原因物質に触れて「感作」されて、始めて発症するのである。世界で唯一の「植林」杉の名所の日本の子供」を、自生の杉すらがない場所の子供と比べるような粗末な「誤理論」(「ご理論」のワープロ一発)を立てて、海外に向けてまで「博士」ごっこするのは、日本人として恥ずかしいから、ぜひとも止めて頂きたい。
第2に、「清潔」だからアトピー説は、全くの逆である。私は、自分もアレルギー体質の上に、子供がアトピー性皮膚炎から喘息にまでなって、とても苦労したので、門前の小僧をしているが、一番ありふれた「ハウスダスト」アレルギーは、蜘蛛の親戚のチリダニの糞が原因だと確かめられている。これはもう、仮説ではなくて、真因として良い段階である。
現在の日本の特に都会の住宅は、密閉型で、湿気が籠りがちである。チリダニの繁殖には、湿度が決定的な要素である。電気掃除機では、畳の隙間などに潜むチリダニの除去ができない。だから、「清潔」なように見えても、実は「不潔」な住宅で子供を育てるから、アトピーが増えているのである。戦前の日本の住宅は南方系で、隙間だらけだったから、チリダニに関する限りでは「清潔」だったので、アトピーが少なかったのである。
東南アジアの普通の住宅は、昔の日本と同様に、モンスーン気候に適した湿気を呼ばない構造になっている。私も、日本軍PKO出兵の取材で、ヴェトナム、カンプチア、マレーシアには行ったから、少しは見てきた。しかし、日本と同様に、無批判に都会化、実は、西洋化すると、東南アジアの子供も、危ないのである。
「アレルギー体質」の遺伝子説は「仮説」にすぎない
『朝日新聞』(2000.4.11)「科学をよむ」欄「大気汚染も花粉症の一因」の執筆者、「東京都神経科学総合研究所参事研究員」の肩書きの黒田洋一郎は、「スギ花粉のみが原因だとすると花粉症は江戸時代から多かったはずである」と断定し、「最近約40年間での花粉症の急増は、数千年以上かかる遺伝子の変化では説明できない」とばかりに、素人騙しのダンビラを大上段に振りかざす。
つまり、黒田の素人騙しのネタの1つは、「遺伝子」なのであるが、私は、『スギ花粉症』の編著者、斉藤洋三との電話による直接交信に成功した。いくつかの準備した質問に、斉藤は明確な回答を与えてくれたが、その中には、「遺伝子」問題も入っていた。斉藤の回答を要約すると、「遺伝子問題は複雑で、不正確」だと言うのである。
問題点を要約すると、従来の説(以下、仮説とする)では、アレルギー反応を押さえる遺伝子を持たない人が、「10から20%」(『花粉症の科学』p.85)ということになっていた。「10から20%」というのも、わが自称名探偵としては、いささか引っ掛かる杜撰さ、なのである。なお、遺伝子問題は斉藤の専門ではない。文部省管轄の「遺伝子学会」での報告である。
ところが、すでに、1880年の調査では「東京都保谷市の中学生の31%が『鼻アレルギー』」(『スギ花粉症』p.231)と報告されていた。
しかも、斉藤らが杉花粉症を発見した日光市でも、この「10から20%」と矛盾する研究があったのである。
『花粉症の予防と治療』(斉藤洋三、有斐閣、1988.p.19-20)には、次の記述がある。
[前略]スギ花粉症については、若干の調査報告があります。まず、日光市で行われた小泉一弘博士らの昭和52年の調査では、有病率が約5%、次に昭和56年の日光市内小学生の調査では、スギ花粉の皮膚反応陽性率が29%、有病率が9.4%であったと報告されています。
文中、「昭和56年」は56に1925を足して、ヨッコラショと換算すると、かのキリスト誕生デタラメ計算暦では1981年である。
ああ、日本人は疲れる。日本独特は杉だけではないのだ! しかも、「杉の手植え」こそが「昭和天皇」の唯一の「平和」パーフォーマンスだったのだ! ああ、やんなっちゃった。ああ、ああ、ああ、驚いた(ウクレレ片手に牧伸二)!
やはり、日本脱出が一番良い方法なのだろうか!
花粉激増と直結する患者激増は遺伝子仮説を超えた
さて、もともと、遺伝子は、人類の進化、実は、退化、変化、の過程でデタラメな反応が起き、つぎはぎされたものに過ぎず、「杉花粉症対策」として、マイクロ・ソフトの数万人のスタッフが作ったものではないのだから、完璧に「アレルギー反応」を押さえ得るかどうかは、保障の限りではない。ある程度の効果の発揮が確かめられたとしても、「ある一定の条件の下で」と、注釈すべきところである。
遺伝子そのものも、最近やっと、「全部解読」とか報道されるのが実情で、それも分子構造が分かっただけにすぎない。だから、遺伝子問題は、基本的には「仮説」として、継続的な検証の必要性を強調して置くのが、「学者の良心」とやらではないのだろうか。
そこで私は、私自身が「良心的」と評価する数少ない医者の一人、斉藤洋三との電話による直接交信で、ズバリと聞いたのである。まずは、『花粉症の科学』に、次の部分があったのである。
東京都花粉症対策検討委員会(座長:斉藤洋三)の疫学調査では、東京都の多摩地区のスギ花粉発生源に接した秋川市の1984年のスギ花粉標準化有病率が7.5%、一方、スギ花粉源から離れているが、大気汚染の多い大田区の1986年の調査では8.9%であった。しかも、大田区のほうが秋川市に比べ若年層の有病率が高い傾向が見られた。[中略]都市化に伴う大気汚染もスギ花粉症増加の一つの要因と推論されている。
以上のように、データそのものも、1984年と1986年で、これだけでは結論を出せない。1986年の東京都のデータでは「大田区」の花粉総数は1,055.9である。比較的に少ない年である。東京都の1984年のデータは得られないが、近接の相模原市では4,550である。比較的に多い年である。ともかく、斉藤らは「要因と推論」と、慎重に記している。黒田流「ゴマスリ剣法」のデマゴギーとは大違いである。
ところが、さらに、すでに何度も示した東京都の衛生局の環境保健課のデータ、実は、上記のごとく、東京都花粉症対策検討委員会(座長:斉藤洋三)の疫学調査の延長線上の調査結果では、その後の数値が、以下のように激変していたのである。
1964年:スギ花粉症発見
1987年:東京都全体のスギ花粉症推定有病率:10.1%
1996年:東京都全体のスギ花粉症推定有病率:19.4%
(あきる野市:25.7%,調布市:21.1%,大田区:17.7%)
「あきる野市」は、旧「秋川市」と「五日市市」の合併市である。つまり、ここでは1996年の同年のデータとして、旧「秋川市」を含む「あきる野市」は25.7%,「大田区」は17.7%だから、完全に逆転しているのである。
この点を、斉藤は、当然ながら、熟知していた。明快に、「花粉が増えたから」と即答したのである。この25.7%も、遺伝子説の「10から20%」を突破している。と同時に、大気汚染との関係でも、やはり、あくまでも「大気汚染は従犯」、「主犯は杉花粉」の証拠十分となるのである。
「排ガス規制」キーワードすりかえと大量植林の事実抹殺
「ゴマスリ剣法」の黒田師範は、「石原慎太郎東京都知事が最近決断した」「ディーゼル排ガスの厳しい規制」を称え、「今のところスギ花粉の飛散は防止できないが、自動車の排ガスは規制できる」などと主張し、結果としては、「鉄の固まり」、「殺人トラック」を、人間様と同じ平面上で走り続けさせるようとする自動車工業に荷担していた。
黒田は、自説の前提として、「日本のスギ花粉症は63年に日光の杉並木の近くで発見されたのが最初だ」と記すのだが、この「日光の杉花粉症」発見者の斉藤洋三は、「スギ花粉症の発見」(編著『スギ花粉症』1985改訂増補版。p.72-74)場所として、「有名な日光スギの見事な植林」と記している。
ところが、黒田は、このキーワード、「杉並木」へのすりかえから、さらに「江戸時代」「東照宮」へと、はるかに時空を跳躍する。「スギ花粉のみが原因だとすると花粉症は江戸時代から多かったはずである」と断定し、「植林」の事実を全く指摘せずに、「最近約40年間での花粉症の急増は、数千年以上かかる遺伝子の変化では説明できない」とばかりに、素人騙しのダンビラを大上段に振りかざしていたのである。「植林」の歴史と現状を抹殺した上での言論詐欺である。
斉藤らは、「植林」だけではなくて、杉の植林の歴史と現状を紹介し、「林野庁でもスギ花粉対策として、雄花の豊富な木からの枝打ち、間伐を進めているが、林業従事者不足の現在、どの程度対策は進んでいるのであろうか」と、穏やかながらも、明らかに「行政批判」と認め得る指摘をしているのである。
以上で(その15)終わり。(その16)に続く。