『電波メディアの神話』(9-2)

電波メディアの国家支配は許されるか?……
マルチメディア時代のメディア開放宣言

電網木村書店 Web無料公開 2005.4.15

終章 送信者へのコペルニクス的展開の道 2

湾岸戦争からつづいて発展する「民衆のメディア連絡会」

 この一連の運動は、さまざまな角度からミニコミや大手メディアにとりあげられた。

 一九九一年末の「民衆のメディア国際交流91」の際には、朝日新聞(91・10・15夕)のメディア欄にとりあげられている。見出しは「手作りビデオで市民ら反戦の輪/米の番組を日本語訳/12月に国際交流集会」だった。このときの「手作りビデオ」はアメリカ製だったが、今年(九四年)は「民衆のメディア連絡会」の運動経過がとりあげられ、日本製の、それも私が現地取材して出演する『軍隊の影に利権あり』が、おなじ朝日新聞(94・3・16)のメディア欄にのった。見出しだけを列挙すると「『メディア・アクティビスト』日本でも試み/ビデオを手に市民運動/マスメディアに対抗/連絡会に40団体参加/機材融通し作品紹介/PKO現地取材も/米では法で権利保障/批評家粉川哲夫さんに聞く/ケーブルテレビを駆使/衛星回線の使用も可能」である。

 会員の「東京・練馬の主婦・野村瑞枝さん」の話が冒頭におもしろくまとめられている。

 「野村さんは、それまでの運動で感じていた『救いがたい無力感』を、このカメラで克服できたという。『外に出たら、一介の主婦は虫けらみたいにしか扱われないの。でも、カメラを向けさえすれば、向こうは顔を背けたりして、ひるむでしょ。生れて初めて権力と対峙(たいじ)した快感があったのよ」

 ヴィデオ・カメラはますます小型化し、操作が簡単になっている。8ミリでもテレヴィ放映に充分たえうる映像ができる。フィルム時代にくらべれば格段にやすいし、同時録音だから技術的にも簡単だ。手持ち用ヴィデオ・カメラの発達以後、テレヴィの報道が安直で発表報道型におちいりやすくなったという批判もあるが、それはおもに大手メディアの企業としての質の低下のせいでもあり、市民のメディアの可能性とは別の次元の問題である。巨大な多国籍企業の電機メーカーがいきのびるために、ヴィデオ・デッキ、ヴィデオ・プロジェクター、ヴィデオ・カメラ、またはパソコンを一般向けに改良し、小型化し、低価格にする。それらを逆に民衆の側の武器にしたてていくというあたらしい可能性が、その一方で、ますますひらけているのだ。これを活用しない手はない。

 市民ヴィデオの制作と上映、集会での活用には、家庭用のヴィデオ・デッキの普及というあたらしい状況の展開が役だっている。公共施設にもテレヴィ受像機とヴィデオ・デッキ、または映写幕とヴィデオ・プロジェクターまでがそなえつけられるようになった。すでにのべたように、これらの技術的可能性には「ガス抜き」の側面もある。しかし、あらゆる可能性をいかして、市民がみずから制作しつつ力量をたかめていく必要がある。たとえばの話だが、一番利用しやすい地上波電波を一人一人の電波主権要求をよせあって確保した際にも、ただちに優れた番組が放送できるように、今から準備をはじめておくべきなのだ。


(3)マスメディアの限界を知りつつ批判と啓発を追及