第一部 「電波メディア不平等起源論」の提唱
電網木村書店 Web無料公開 2005.4.6
第三章 内務・警察高級官僚があやつった
日本放送史 7
「テレビカメラはどこかね。そっち?」と首相言い
後藤や正力のような権力支配の権化のような高級官僚が、なぜまずラディオ、次にはテレヴィに執念をもやしたのか。そこにも、電波メディアの政治的な「特性」がある。
電波メディアと活字メディアのちがいはいろいろあるが、権力との関係でもっとも特徴的なのは、権力者がジャーナリストの筆を介さずに直接、ほとんどすべての市民にかたりかけることを可能にしたことだろう。ヒトラーがラディオを重視したことはあまりにも有名だが、そのヒトラーのナチ政権をたおすにいたったアメリカのローズヴェルト大統領も、ラディオの「炉辺談話」のかたり口に工夫を重ねたことでしられている。テレヴィ時代になると、さらにこの傾向はつよまった。最近では、積極的に出演する政界実力者のテレヴィ番組での発言が、そのまま新聞の紙面に転載されるようになった。テレポリティックス時代の到来である。椿舌禍事件は、このような時代、または、うれうべき事態を象徴する数々の問題点をはらんでいた。
しかし、活字メディア関係者が、この際とばかりに「テレヴィ人間」を低級ときめつけて、斜にかまえているだけの有様も、やはりおそまつのきわみである。とくに新聞の場合には、みずからが長年つとめてきた低級な権力迎合型速報性メディアの地位をテレヴィにうばわれつつあるのだから、そのうらみを悪口雑言にまぎららせているようで、いささか、いや、かなりみぐるしいのだ。
問題はメディアの性格にもある。電波メディアの開発以前にも、新聞印刷に輪転機が導入された。速報性の大量伝達という機能はすでに、発表報道方式の、権力に利用されやすい性格をはらんでいたのである。電波では、その性格が局限にまで開発された。
この現象を、権力とメディアとの力関係から考えてみよう。電波メディアの出現以前の権力者の発言は、丸ごと活字になることはすくなかった。とくに、新聞の紙面がかぎられている場合には、記者や整理デスクの頭脳を通過して要約される。その過程で多少なりとも担当者の主観的な判断、批判が加えられたのちに印刷された。ところが権力は、電波メディアを獲得したのちには、自分の主張を直接伝達することができるようになったわけだ。電波メディアには、そういう機能がある。だからいきおい権力は、電波メディアを有効に活用することによって、活字メディアに対しても強い立場にたつことができる。
以上のような権力とメディアとの力関係を考えるうえで典型的な実例は、佐藤栄作が首相時代末期に首相官邸の記者会見室で発したつぎのような下品極まりない長台詞である。一字一句を正確に活字におこしたのは、マスコミ・ゲリラを自称する松浦総三である。
「テレビカメラはどこかね。そっち? テレビカメラ、どこにNHKがいるとか、NET……どこになにがいるとか、これをやっぱりいってくれないと、きょうは、そういう話だった。新聞記者の諸君とは話をしないことになっている。ちがうですよ……。それだけにしてもテレビをだいじにしなきゃダメじゃないか。テレビはどこにいるかと聞いているのだ。そんなスミッコにテレビおいちゃ気の毒だよ。テレビにサービスしようというんだ(笑声)。それをいまいっている。テレビどこかはっきり出てきてください。そうでなきゃ、ぼくは国民に直接話したい。新聞になると、文字になると、ちがうからね(一段と語調を強め、キッとなる)。ぼくは残念ながら、そこで新聞を、さっきもいったように、偏向的な新聞はきらい、大きらいなんだ。だから直接、国民に話したいんだ。テレビをだいじにする。そういう意味でね、直接話をしたい。これ、ダメじゃない。やり直そうよ。帰ってください。記者の諸君。(両手をひろげながら)少しよけて、まん中にテレビをいれてください。それをお願いします」(『創』73・12)
佐藤はこの日、八年間にわたって維持してきた長期政権の継続をついにあきらめ、辞任を表明したばかりだった。いらだっていたせいか、照明のせいか、会見室の真正面のガラスごしの部屋に設置してあったテレヴィ・カメラが目にはいらず、オフレコのつもりでしゃべっていたらしい。
佐藤は高級官僚出身の典型で新聞記者がきらいだったらしい。それでも、新聞にはとくに「先物買い」の習性があるから首相になりたてのころは例によって期待され、新聞記者からもチヤホヤされたにちがいない。ところがおなじ「先物買い」の習性から新聞は、政権末期になると政権初期とはうってかわって遠慮なしに現政権批判、時期政権待望の論調をはりだすものだ。とくに佐藤の場合には、毎日新聞の西山太吉記者が外務省の機密文書を入手して、佐藤政権とアメリカの沖縄返還問題に関する密約を国会で社会党議員に暴露させた。詳細ははぶくが、このいわゆる「西山事件」が佐藤の辞任につながっていたため、新聞記者に対する反感がつのりにつのっていた。そこで断末魔の佐藤の口から、ヤケのやんぱちめいた本音がポンポンとびだしたわけだが、これは決して単なる支離滅裂な暴言ではなくて、実に正直な権力者のメディア観の告白だったのである。
佐藤はこの発言の直後、記者団が総退場した会見室でテレヴィ・カメラのみにむかって約一時間の独演会をおこなった。おもしろいことには佐藤の実兄で、やはり高級官僚出身の岸信介も、六〇年安保改訂に際して内閣記者団から会見を拒否され、NHKに独演会を要求している。この時、NHKは独演会こそ遠慮したが、内閣記者団の申し合せを裏切って社会、民社の両党首をまじえた「三党座談会/新安保条約をめぐって」を企画し、二度にわたって放送した。
第四章 権力を守護する象牙造り「学説公害」神殿
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