『電波メディアの神話』(1-2)

第一部 「電波メディア不平等起源論」の提唱

電網木村書店 Web無料公開 2005.4.1

第一章 「天動説」から「地動説」への理論転換 2

奇妙な矛盾におちいる反体制派の「公平原則」合唱

 しかもこの「希少性神話」にもとづく「公平原則」は、それ以前の天皇制警察国家日本における「公共性」の明々白々たる欺瞞の歴史をもつつみこみ、疑似創世神話と化している。日本の放送史六九年全体をもおおっているといえる状態だ。

「希少性神話」はそれゆえに、「学説公害」の中でもっとも古く、かつ現在もなお汚染をたれ流しつづけている電波メディア神話であり、その影響はもっとも根深い。

 たとえば大方の学者先生は、なぜ放送に「公平原則」の制約があるかという質問にたいして、即座にまず、電波の「希少性」または「有限性」をあげる。これは間違いなく典型的な「模範答案」である。ただし私の辞書の「模範答案」とは断じて、正しいとか、ましてや科学的真理であるという意味ではない。大学のメディア論の講座とか、郵政省電波監理局とかの試験で、そう書けば多分、「○」がもらえるでしょうというだけのことだ。

 最初の神話は「公共性」だった。それが戦後にアメリカ式の「公平原則」にスリかわった。どちらにしても、まことに旧態依然である。単なる当局の法解釈でしかないものが、あたかも神聖かつ永遠の真理であるがごとくに、しかもなんと、日本の放送発足以来、正確には今年で六十九年も奉戴されつづけてきたのだ。支配階級にとってのこの神話の御利益は、絶対に電波メディアを市民個々人に自由に使わせないことにあった。

 のちに別の角度から再びくわしくのべるが、私はこの「神話」という定義に徹底的にこだわる。この種の神話の御加護あればこそ、これまでの六十九年間、市民一人一人が主権をもつはずの電波が、「天皇制警察国家」だの「皆様のNHK」だの「大手新聞社系列テレヴィ局」だのによって、一方的に占有されつづけてきたのである。

 電波神話の構造を理解するのは、そんなに困難ではない。しかし、数学でいえば小学校の算数ではとけない。高等数学の初歩、XとかYがでてくる代数程度であろう。電波については高度の物理学の知識まではいらないが、抽象的な思考は必要だ


(3)国家による電波ジャックをおおいかくす「希少性神話」