『電波メディアの神話』(1-11)

第一部 「電波メディア不平等起源論」の提唱

電網木村書店 Web無料公開 2005.4.1

第一章 「天動説」から「地動説」への理論転換 11

「四次元空間神話」がささえる独裁的な「編成権」

 オランダの実例を紹介してしまえば、もうこれ以上、「四次元空間神話」の論証は必要ないくらいだ。だが日本ではいまもなお「四次元空間神話」がまかりとおっているし、その効果は非常に重大な問題をはらんでいる。

 まずは、NHKを筆頭とする既存の放送局が電波免許を実質的に私物化している。そのトップらがなんらの法的根拠もない「編成権」をふりかざしては、全放送時間の内容を支配し、個々のジャーナリストの思想と表現の自由を抑圧している。椿舌禍事件の論評でも、タカ派がしきりと「局の編成権」をかたっている。

 私は「編成権」ということばを聞くと、日本テレビ放送網(株)でそれをいかにもえらそうにつかっていた読売新聞からの天下り、典型的な記者上がりのヤクザな元報道部長(故人)を思いだす。「編成権」が最初につかわれた事例まで探索する余裕はないが、これもやはりなんらの法的根拠もなしに新聞でつかわれている「編集権」のいいかえとみて間違いないだろう。「編集権」ということばは、戦後の第二次読売争議に際してGHQ民間情報教育局長のニュージェント中佐がかたったものが、そのまま導入されたようだ。

 第二次読売争議のきっかけは「市ヶ谷に“法廷村”現出/バー、舞踊場もある」云々という見出しの東京裁判関連記事だった。GHQ新聞課のインボデン少佐は「マッカーサー元帥を侮辱するものだ」といかり、客観性が守られていないから「プレスコード違反」だとして読売の閉鎖のおどしまでちらつかせた。このおどしにつづいて「編集権」ということばがでた時の事情を『読売新聞百年史』ではつぎのように記している。

 GHQの渉外局長バーカー代将は、馬場社長の組合幹部解雇方針を激励し、読売新聞の最高幹部級を集めさせた。そこでニュージェント中佐が「まずプレスコードを守れ、と強調したあと、いわゆる編集権というものについて『民間の個人でも集団でも、かれらが自分の新聞の本来の目的、方針に干渉を加えようとする場合には、断固として抵抗すべきであり、従業員がその社の方針に従えない場合には、その新聞と関係を断ってよそで働くのは自由である(「自由である」は「勝手である」とも訳される)」と演説した」

 この演説をうけて馬場は、当時の編集幹部・兼・組合幹部だった六人に「自発的退社を促し」た。以後、四百余人が四ヵ月のロックアウトをうけ、最初に指名された六人にプラス三一名の退職による敗北的解決という、空前の大争議へと発展するのである。

 ニュージェントの発言のカッコ内の最初の部分だけは、アメリカの初期のプレスマンの伝統にたつものである。だが、後段の「勝手である」と馬場による解雇との関係は、典型的な論理のスリカエである。「編集権」が実質的に経営者の「解雇権」と同一視されている。しかも、このスリカエが現在の日本でもまかりとおっているわけである。つまり、日本の大手メディアにおける「編集権」の解釈は、まったくの逆立ち解釈なのだ。なお、伊藤慎一の研究によれば、GHQの側は当初「編集方針」という言葉を使ったのに、読売の社側が「編集権」と称し、さらにそれをGHQがとりいれたことになっている(『講座・現代の社会とコミュニケーション』)。

 オランダのような多元的な構造の放送法制だったら、日本のような独裁的「編成権」の主張はもともと成りたたない。だから日本の郵政省やNHKなどは、「四次元」または放送時間分割使用」の可能性について、極力、秘密にしてきた。政府が発表する白書類にはオランダなどの実例の記載はまるでない。研究者の言及も不十分である。


第二章 「公平原則」の玉虫色による民衆支配の「奇術」
(1)「公共性」「不偏不党」「公平」「公正」「中立」