『電波メディアの神話』(03-8)

電波メディアの国家支配は許されるか?……
マルチメディア時代のメディア開放宣言

電網木村書店 Web無料公開 2005.4.1

序章 電波メディア再発見に千載一遇のチャンス 8

国際的にも非常におくれた放送の歴史的研究

「模範答案」の暗記を得意とする優等生たちは、「象牙の塔」を朝な夕なにひたすらおがむ新興宗教の盲目的な信徒にひとしい。いかにもえらそうに演技をする教授の一言一句を丸暗記する方が、出世の早道でもある。それに反して本書ではまず、既製の官製教科書の権威にたいする錯覚の排除をおすすめする。

 放送の歴史的研究はとくにまだ片手間の観があるが、放送だけではなく、ジャーナリズム全体に関しての「理論」は、国際的にも非常におくれた部分である。戦後にいたるまでの日本では、言論の自由が極端に抑圧されていたから、なおさらだった。戦後の研究も、占領軍とアメション組がもたらしたアメリカ式ジャーナリズム論への追随に終始し、根本的な歴史研究にいたっていない。

「アメション」という言葉は、最近の風潮からするととくに潔癖症候群の女性からきらわれ、発禁処分にさえされかねないが、戦後世代の貧乏人の私などにとっては決して廃止してほしくない痛快な言葉なのである。逐語的には「アメリカで小便をしてきた」という意味だ。戦後の一時期、闇屋上がりのアメリカかぶれザアマス族が「あちらでは云々」を連発してひんしゅくを買ったものである。そんな風潮への庶民感覚の皮肉だから、すこしくらいの品のなさはゆるしてほしい。

 アメション・ザアマス型の特徴は、「アメリカではこうなっている」という事情報告が議論ぬきで、そのまま結論になってしまうところにある。「あちら」のやり方が疑問の余地なく「正しい」ことになるのだから、その論理構造は、神がかりの「神託」といささかもかわらない。結局、ジャーナリズムに関しても一つの神話になりきっている。


(03-9)アメション・ザアマス型のジャーナリズム論