沖縄県収用委員会 第11回審理記録

浅井基文(土地所有者代理人)


 当山会長:

 皆さん、こんにちは。これより第11回公開審理を始めたいと思います。

 初めに、私より収用委員の紹介をいたします。私が会長の当山尚幸です。私の右側から大城宏子委員、浦崎直彦委員です。左側から比嘉堅委員、西賢祐委員です。なお渡久地政實会長代理及び上間瑞穂委員は、都合により、本日は欠席しております。

 審理進行のご協力についてお願いがございます。意見陳述者は、私から指名いたしますので指名された方のみ意見を述べてください。勝手に意見を述べないようにご協力をお願いします。

 審理記録作成のため、意見陳述者はマイクを使用して、起業者・那覇防衛施設局の方は、職名及び氏名、土地所有者等の方は自己の権利に係る施設名及び氏名をを言ってから、意見陳述を行ってください。本日の審理がスム−ズに進行でき、多くの方が意見陳述できるよう、審理に参加している皆さんのご協力をお願いいたします。

 審理の進め方ですが、本日は総括の意見陳述を予定しております。

 それではまず、浅井基文さんよろしくお願いします。

 浅井基文(土地所有者代理人):

 私は、伊江島の阿波根昌鴻さんの代理人で明治学院大学の浅井基文と申します。アメリカの戦略において沖縄がどういう地位を占めているのか、また沖縄の米軍基地がなくなるということがどのような国際的な意味を持つのかという問題について、私の意見を申し上げる機会をいただきました。心からお礼を申し上げます。

 私は第1回から第9回までの沖縄県収用委員会審理記録を拝読させていただきました。昨97年12月25日に行うと第9回審理記録の最後に書いてありました第10回の記録は読ませていただいておりません。しかし、9回の審理記録を読ませていただいて、沖縄県の人々の思いと感情がそれこそ全編に凝縮されて詰まっていて、本当に圧倒される思いを味わいました。沖縄県の歴史そのものがあらゆる角度からえぐり出されているというのが実感であります。どうにも不合理で、いかなる理屈をもってしても、正当化することなどできる余地がない本土による差別・虐待の対象そのものでしかなかった沖縄県の歴史を学ばせていただきました。大学で、「日本政治論」という講義を受け持ち、学生たちに日本政治について語りかける立場にある者として、この審理記録に凝縮された沖縄県の歴史、そして沖縄の人々の思いを、彼らを含めた本土の若い人々にありのままに伝え、分かってもらわなければならないとと思いました。

 沖縄県の皆様のやり場のない怒り・悲しみの深さは、審理記録を読んだだけの私などが、そのまま自分のものにすることができるような生易しいものではありません。しかし、そんな私でも、この記録を読ませていただいいている間、本土側の沖縄県に対する言語道断としか形容のしようのない差別・仕打ちに、怒りを通り越して、「どうしてこんなにまで非人間的な平然とした差別と虐待がまかり通るのか」と、頭の中がただただ真っ白になるだけでした。

 沖縄占領中の米軍によって強制的に取り上げられた土地が、国際法に違反するものであり、したがって、それだけでも沖縄返還と同時に本来の地主の方々に返還しなければならなかったはずのものであることは、多くの方々が怒りを込めて指摘されたとおりであります。それなのに、日本政府は沖縄返還という名目のもとで、5・15メモにより、アメリカ政府との間でその違法状態をそのまま継続することに合意し、さらにはそれを「合法化」するために、ありとあらゆる方策を講じようとしてきたことも、この審理記録を読むことで一層理解を深めることができました。第3回の審理で房前さんが、「歴史を知れば知るほど、沖縄の人々は今も388年もの差別によく耐えていると思います。あるときには自分の言葉を、方言を奪われ、民族の誇りと、自決する権利さえ、方法のいかんを問わず、奪われてきたことを知りました」と発言され、「復帰25年の米軍用地の沖縄における強制使用の歴史は、すべてにおいて差別的な扱いであります。もう強制的な継続的な使用は終わりにしていただきたい」と結ばれたご発言は、沖縄の方々の血のにじむような心情を集約していると、心から感じました。

 第6回の審理における高宮城さんのお話も、私の気持ちを激しく突き動かしました。「昭和16年末、祖国日本のしでかした戦いは、4年たたずして敗戦に終わったが、気づいたときには既にわれわれの沖縄は祖国から切り離されて、アメリアの手にぶら下げられていた。そしてアメリカは沖縄を焼いて食おうとでも思っているのか、煮えたぎる油の中に常に足を突っ込まされている。今沖縄は、祖国にこう叫んでいる。お母さん、お父さん、お兄さん、お姉さん。もし僕がまま子でないなら、もし僕がまま兄弟でないなら、家族団結して僕を連れ戻してくれと。僕は今泣いている。僕は今、男泣きに泣いているのだ」。この血を吐くような本土側のすべてものに対する告発に、私はただひたすら私たち本土の人間の鈍感さ・無関心さがもたらす犯罪に等しい罪の重さを感じるばかりです。

 第5回及び第6回の審理記録では、伊江島の人々が余儀なくされた悲惨極まりないご体験の数々を読ませていただきました。私は、本当に何と申し上げたら、私の感情を正確に表すことができるか、思いもつきません。その中でも私が特に胸の中に深く刻み込んだのは、伊江島の名嘉議員の次の発言でした。

 「国の政策が変わらない限り、沖縄の米軍用地は永久的に収用できるようになりました。自衛隊が米軍とともに世界のどこにでも出動できるようにするための、日米軍事協力のガイドラインの改悪も日程にのぼっております。このような悪政が続いたならば、沖縄は将来も戦後52年と同じように米軍が関わった事件・事故に悩まされ続けることになるでしょう」、こうおっしゃった後で名嘉議員は、「またアジアをはじめ、世界の罪のない人々を殺戮する侵略の基地になることは明らかであります。私はそうならないようにするために戦っていきたい」と言葉を結ばれました。

 名嘉議員と全く同じお気持ちは、第6回及び第9回の審理での伊佐さん島袋さんのお言葉にも、余すところなく反映されています。伊佐さんは次のようにおっしゃいました。「戦争に対する憎しみ、いかにむごたらっしいものであるか知っているわけでありますから、そのようなことを他の国民に押しつけるような、あるいは自分の土地がその基地に利用されて、そういう国民を苦しめているということには、本当に我慢できない状況があります。」

 また、島袋さんは次のようにおっしゃっておられます。「沖縄県の県民は、土地だけじゃなくて、奪われた権利を早く取り戻し、そして人間らしく生活をしたい。そうすることが沖縄の平和につながり、日本の平和につながり、ひいては世界の平和につながると、私は思っているんです。」想像を絶する過酷な仕打ちを受けた犠牲者の立場にありながらも、なお国際社会に対する加害者となってはならないという決意を表明される3人の方のご発言に、私は沖縄の人々の反戦平和にかける決意の重みを実感いたしました。

 7回目の審理の記録では、北谷町・沖縄市・那覇市を含む各地方自治体が直面している 基地あるがゆえのさまざまの異常事態について学びました。第8回の審理の際に、村上さんが述べられた「基地あるがゆえに貧しさが続いている。基地がなくなれば、私たちは新しい町を形成し、豊かな町を形成できる」というご発言は、他の方々も異口同音に口にされたものを集約・代表するもので、とても印象的でした。

 また、第7回審理での新里先生伊佐先生の生々しいご証言は、安直な同情心などの表明などでは到底済まされないものでした。「新ガイドライン、有事法制に安直な気持ちを抱いている人々に、何としてもその危険性を明らかに伝え、繰り返してはならない道に再びのめり込んでしまうようなことになったら、一体どんな結果がもたらされるかを生々しく伝えるものとして語り継がなければ」と自らの決意を新たにさせていただきました。

 以上の例は、私の気持ちが激しく揺さぶられた発言のほんの一部に過ぎません。私は、自らを含めた本土側の人間のこれまでの沖縄に対する無知と、その無知が結果としてもたらしている、国家による犯罪への客観的加担という責任の重大さに、身のすくむ思いがしています。今まで何も知らず、何もしてこなかった自らの無責任さを、皆様の前でお詫びする気持ちでいっぱいです。

 同時に私は、審理における施設局側の木で鼻をくくった答弁の繰り返しで代表されるように、国側のひとかけらの誠意と協力も得られない中で、また第4回の審理で有銘さんが 糾弾されたように、中央政府と国会が手を組んで「審理途中にル−ルを変えるという暴挙」、まさに民主主義社会では到底許されることがあってはならない暴挙すらあえて行うような状況の中で、沖縄県のみが集中的に味わされてきた不当極まりない仕打ちをこれ以上無期限に許してしまうことが許されるかどうかについて、この収用委員会が正面から審理を行われていることに、人権・民主主義が確立する日本の実現を衷心から期待してやまない一国民として、心からの敬意と感謝の気持ちを述べます。

 私はさらに、今回の収用委員会が、従前の場合と違い、大変に厳しい環境の中で勇気ある審理を進めてこられていることに深い感銘を受けております。皆様が大変なご心労と、そしておそらくは大変な圧力の中で審理を進めておられるであろうことは、兼城会長のご訃報に集中的にあらわれていると感じました。

 また、私ごとで恐縮ですが、私はかつて外務省に勤務した経験をもっています。外務省が行う対米べったりの外交の危険性、反国民的・反民主主義的ですらあるその外交の本質を知れば知るほど、このままではいけないという気持ちが強くなりました。対米追随の外交からキッパリ訣別し、平和憲法に則し、国際社会からも尊敬を受ける行動を心がける日本にするために、自分としては何ができるかを常に考え続けました。その結果、約25年間の外務省勤務の後、その職を辞し、その後はずっと保守政治が支配する日本の政治外交のあり方を根本的に改めるべきだという立場から、批判し続けてまいりました。そういう私、特にかつて権力の片隅に身を置いた私に対する権力側の有形無形の圧力というのは、当事者でしか経験できないものであります。この収用委員会は政府からは独立した機関でありますから、私の個人的な体験をもって同日に論じることはできないとは思います。しかし、目的の為には手段を選ばない政府のことですから、収用委員会の皆様もいろいろな形の圧力にさらされているのではないかと、そのご苦労、ご心労のほどを拝察いたします。

 そういう私個人の体験を踏まえて、審理記録を読んでいる中で、第1回及び第2回の審理を司会された兼城会長が第3回の審理からご病気のために司会できなくなり、第6回の審理記録で同会長が8月にお亡くなりなったことを知りまして、本当に身のつまされる思いが いたしました。お亡くなりになった真因は、私などの門外漢が首を突っ込むことではありません。私は、兼城前会長のご遺族の方々に、心からお悔やみの気持ちを申し上げたい気持ちでいっぱいであります。そして、当山会長以下の委員の方々にもご健康、特に陰に陽に加えられているだろう精神的圧力に耐える強靱な精神的健康に留意されつつ、日本に平和と民主主義が真に実現することを目指す私たちの国民的な運動・闘いの歴史の中に画期的な記録として名を残す判断を行ってくださいますよう、お願い申し上げる次第であります。

 この収用委員会は、確かにアメリカの戦略に占める沖縄の地位、沖縄県にある米軍基地がなくなることがどのような国際的意味を持ち得るのかという、本日私が述べさせていただく問題点そのものを審理する場所としては、あるいは適当ではないかもしれません。沖縄県に所在する米軍用施設及び区域に関する土地の使用権限の法的正当性という問題が、審理の中心であることも承知しているつもりであります。

 しかし、この使用権原の正当性云々という問題が、正面から議論されなければならないないのはなぜかといえば、米軍が沖縄県に居座る根拠となっている駐留軍用地特別措置法(以下、「特措法」と略します)が憲法違反そのものであって、存在すること自体が本来許されてはならない法律である、という点にその出発点があります。そういう意味では、私が陳述させていただくポイントは、収用委員会の皆様が問題を審理し、判断される上でも、いささかなりとも参考にしていただく点はあるのではないかと思っております。

 戦争を禁じ、平和に徹する事を国際社会に誓い、その国際社会に対する約束が本物であることについて、日本軍国主義の被害にさらされたアジア諸国民を含めた全世界の人々が安心できるように設けられたのが憲法第9条であります。疑いの余地のない形でその誓い を実践するために、いかなる形・口実をもってしても、日本が二度と再び戦争の加害者にならないことを明らかにしたのが、憲法第9条です。その趣旨を踏まえるものである限り、違憲な特措法に基づいて行われることは当然すべて違法であり、したがって無効なはずです。私がこれから申し上げることは、基本的にこの判断に基づくものであることを、あらかじめ強調させていただきます。

 ところが、日米安保条約に基づいてアメリカに対して全面的な戦争協力をすることをあらゆる政策の根底においている日本政府としては、以上の論理を受け入れることは「口が裂けても」できません。

 本日は、日米安保条約自体が憲法違反の存在であるという根本に横たわる問題にまで立ち入る余裕はありません。ただ、どうしても一言だけ申し上げておきたいことがあります。それは、「日米安保条約は憲法違反である」、したがって、「日米安保条約の存在は許されない」という、本来は自明の理が国民的に受け入れられるときがくれば、つまり私たち国民がこの意味で国政の主人公(主権者)となる暁には、特措法は違憲の法律として廃止され、具体的には例えば、この土地収用委員会も、今やっておられるこのような審理自体から解放されることになるであろう、という明るい展望が大きく開けてくるということであります。

 第9回の審理で内藤弁護士は、日米安保条約そのものの問題を厳しく、かつ具体的に追 求されました。私としては、百歩譲って、ここでは日米安保条約の合憲性を正面から取り上げないといたしましても、日本政府が主張し、最高裁が追認した「特措法の合憲性」という問題については、正面から考えておかなければならない問題があるということは詳しく申し上げなければならないと思っております。

 特措法が悪法、憲法違反の法律である点につきましては、第1回の審理で河内弁護士のほうから詳しい指摘がありました。特措法の改悪を扱った国会の暴挙については、第4回 の審理で中村弁護士が厳しく糾弾されました。中村弁護士は、また、特措法改悪が憲法の第29条と適正手続きを保証した第31条にも違反していることなどにも詳しく触れておられます。

 私が、なお以上に加えて、特措法の違憲性について考えておく必要がある点があると申しますのは、特措法を合憲とする法論理がそのまま、政府が今度の国会で成立を目指している有事法制を合憲とする主張に押し広げられようとしているからであります。この両者の相互関係を無視し、収用委員会のご判断は沖縄県の地主の方々の権利だけにかかわるものだ、というような理解に基づいて物事を進めた場合には、想像することさえ恐ろしいような「餌」を中央政府に与えてしまう危険があることを、声を大にして申し上げておきたいと思います。

 「特措法は合憲」とする、法治国家であれば本来まともに採り上げることすらばかばかしい主張の最大の根拠は、私有財産・財産権の保障を定める憲法第29条に関する歪みきった政府解釈にあることは、周知のところであります。

 政府は第29条の第3項で、私有財産は「公共のために用ひることができる」と定めている箇所を、強引に日米安保条約に結びつけました。「公共(あるいは公共財)」である日米安保条約のためには、つまり日米安保条約に基づいて日本に駐留するアメリカ軍の施設・区域として使用するためには、私人の土地をも収用できるとし、これを特措法「合憲論」の根拠にしているのであります。そして許し難いことに、最高裁大法廷は、96年8月28日に、特措法は憲法に違反しないという政府の主張を、全面的に支持する判断を下してしまいました。

 これに力を得た政府は、96年9月23日に出された新ガイドラインを具体化するための有事法制を強行するにあたり、特措法「合憲」論をそのまま拡大する形で物事を進める構えを明らかにしています。すなわち、財産権という特定の人権について定めた規定である第29条に代えて、人権に関する原則規定の一つとも言うべき憲法第13条を持ち出して、有事法制は今の憲法のもとでも「合憲」と強弁する姿勢を明らかにしてきたのです。

 憲法第13条は、「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」と定めています。政府は、「公共の福祉」を日米安保条約と続み替え、憲法の保障するすべての人権が、日米安保条約・新ガイドラインに基づく日本政府の対米約束履行のためには制限できる、と主張するのです。端的に申せば、この収用委員会が審理されている「憲法及び土地収用法対特措法」という争点は、すでに現実問題として、「憲法対日米安保条約及び有事法制」という争点をめぐる全面的な対決の表れであり、それを具体化したものという性格を濃厚に帯びるに至っております。

 そうである以上、「憲法及び土地収用法対特措法」というこの収用委員会における審理において、収用委員会が「土地の収用を拒否しておられる方々の土地を取り上げることは許されない」という判断を可及的速やかに示されることは、単に沖縄県に対する不正、不条理をただすという意味をもつだけにはとどまらない巨大な意味を持つことになります。近く行われる名護市長選挙における海上基地受入反対派を代表する市長の誕生と連動することによって、最高裁判断によりかかって有事法制の強行を図る政府の反人権・反民主主義・反憲法の姿勢に痛撃を与えるに違いありません。

 人権及び民主主義が日本に根づくことを心から期待する一国民として、また、日本国憲法を生かしきることこそが日本が国際の平和と繁栄に貢献できる唯一の道であることを確信する者として私は、当山会長をはじめとする収用委員会の皆様が、日本の歴史に燦然と名を残す結論をお示しくださいますことを、心からお願い申し上げておきたいと思います。

 政府は、なぜ新ガイドラインを具体化するために有事法制の成立にしゃにむに取り組もうとしているのかという点について、第9回の審理で、金城弁護士のほうからも追及がありましたが、重ねて意見を述べさせていただきます。

 名護の海上ヘリポート建設問題をめぐって、いわゆる条件付き賛成派の方々の中には、「戦争なんてそうそう起こるものではない。それよりも、名護の経済を復興させる可能性を重視するべきだ」という議論があることを、私も沖縄タイムスの報道などで承知しています。しかし、このような考え方は全く誤っています。というより、海上ヘリポート、さらには新ガイドラインを受け入れることは、有事法制を通じて、私たち国民が日米による戦争に協力することを受け入れるという意味をもつことになるということを一切見ようとしない議論だということであります。

 二度と再び戦争の犠牲者にも加害者にもならないという気持ちの国民は、沖縄県だけに限らず、全国的に圧倒的に多いはずです。しかし、新ガイドラインの危険極まる本質に関する単純な無理解によって、有事法制の成立を許すことになれば、私たちは否応なしに再び戦争体制に巻き込まれ、戦争の犠牲者・加害者にさせられることになります。もう少し具体的に述べてみます。

 新ガイドラインが予定している内容は、文字どおり「国民総動員体制」による日米軍事同盟体制の強化・変質を目指すものといって、いささかの誇張もありません。60年安保及びこれを具体化しようとした78年のガイドラインで予定しているのは、原則として自衝隊と米軍との協力のあり方ということです。私たち一般国民や地方自治体などを巻き込むことまでは、例えば78年ガイドラインを読んでも、とりあえず想定していないことが分かります。日米の経済力の相対的な変化を背景にして、アメリカの対日軍事要求がエスカレートすることになったことは、よく知られています。いわゆる「思いやり予算」は、そういう日米関係の相対的変化の産物と言えるでありましょう。

 93年から94年にかけて起こったいわゆる北朝鮮核疑惑に際し、アメリカは本気で湾岸戦争規模の戦争を北朝鮮に対して行うことを考えました。アメリカがあのように大規模に、しかも徹底的にイラクをたたくことを可能にした最大の原因は、サウジアラビアが、発進拠点、兵たん支援拠点として、全面的にアメリカ以下の多国籍軍の活動に協力したからであります。

 北朝鮮をたたきつぶすにあたって、アメリカがサウジアラビアの役割を担うことを求めた相手は日本でありました。当時、日本政府は国民にはひた隠しにしたまま、アメリカの要求に応える道はないかを必死になって模索したことは、今日では広く知られております。結論だけを申し上げれば、当時の日本にはサウジアラビアの役割を担うだけの用意は整っていなかったのです。そのことは、アメリカが第二次朝鮮戦争を始めることをためらわざるを得なかった大きな原因として働いたと言われております。

 私たちとしては、「話はこれで終わったか」と思いたくなるわけですが、アメリカは、全く逆の教訓を得たのです。つまり、60年安保そして78年のガイドラインのままでは、アメリカが日本を使って戦争を仕かけようとするときに、日本には何の用意もないことを思い知らされたということであります。もともと平和憲法のもとで日米安保体制を維持すること自体に、越えることのできない矛盾があったわけですが、その矛盾を何とかしなければならないとアメリカは本気で考えることになりました。

 具体的には、「アメリカが戦争をすると決めたときには、日本には無条件で従わせる体制をつくる」ということです。つまり新ガイドラインの本質は何かと言えば、憲法の制約を乗り越えて、アメリカの戦争遂行体制に日本は全面的に、つまり国民を巻き込んだ総動員体制で協力できるようにするための仕組み、大枠を取り決めたものということに尽きるのであります。

 日本の現在の法体系は、平和憲法のもとで形づくられていますから、戦争に備えるための内容などあり得ようはずがありません。しかし、新ガイドラインを見ればお分かりいただけるように、新ガイドラインのもとでは、何もないとき、平たく言いますと、きな臭い煙も立っていないときから、いざ戦争というときに備えて、国民、会社などの民間、そして地方公共団体を巻き込んだ演習訓練を行うことすら公然と決めています。

 つい最近、聞き及んだ例を申します。

 県道104号線越えの実弾射撃訓練の移転先の一つとして、北富士演習場が選ばれたこと は皆さんもご承知のところであります。この演習を行うための米軍の移動は全日空機が横田基地まで運び、そこから現地までは国際興業バスが担当したというのであります。民間を動員した演習訓練を行うことを重要な内容の一つとする新ガイドラインの先取りそのものであります。

 この一例からもすぐお分かりいただけるように、新ガイドラインが動き始めますと、本土の沖縄化どころでは済まない事態が日常的に動き出すのであります。有事法制の一つの眼目はそういうことを可能にするための法的な枠組みをつくることにあります。しかも米軍が実際に戦争を始めれば、陸・海・空の運輸業者はもちろんのこと、関係する民間施設、空港、港湾、JR、使用道路、及びその従業員関係者、戦傷者を受け入れるための病院などを含め、米軍が必要とするものはすべて有無を言わさずに動員徴用されることになります。有事法制はこうしたことを可能にするための法的仕組みをつくることをも今一つの重要な眼目としています。

 問題はそれだけにとどまりません。米軍の無法、横暴な攻撃にさらされる国々は、必至に反撃を試みるでしょう。その際、湾岸危機に際して、サウジがイラクの反撃対象となったように、米軍に全面協力する日本が反撃の対象に選ばれることは目に見えています。実は、93年から94年にかけての北朝鮮核疑惑の際にも、日本政府は、北朝鮮のゲリラが、日本海沿いに点在する原子力発電所、その他を攻撃する可能性を考え、対策があるかどうかを研究していました。実際に反撃を予想される事態になれば、住民の強制疎開、戦争の邪魔になる建造物の取り壊しを含め、日本全部が第二次世界大戦当時の状況に追い込まれることは目に見えているのです。

 ちなみに、考えたくもないことですが、アジア大陸に最も近く、米軍基地が密集している沖縄県がそういう反撃の対象から外されるなどということは到底考えられません。むしろ、真っ先に反撃対象として標的が定められることを覚悟しなければならないでありましょう。海上ヘリポートが名護に移転すれば、米海兵隊の70%以上の戦力が名護周辺に集中すると聞き及んでいます。その名護は、嘉手納基地などと並んで、沖縄の中でも真っ先に攻撃にさらされても、「うらみっこなしよ」と言われるだけのことになるでありましょう。話が具体的になり過ぎましたが、要するに、これらの事態に対処できるようにすることも、もちろん有事法制の大きな眼目になるでありましょう。

 さらに重大なことは、こうした国民・全土総動員体制に、国民・全土を否応なしに巻き込むことを可能にするために、政府は従わない国民・地方公共同体、その他の組織に対して罰則まで用意しようとしていることです。ここまできますと、有事法制はもはや、特措法の域をも軽々と乗り越えるものであることがお分かりいただけるのではないでしょうか。

簡単に言えば、平和憲法で保障されている人権・民主主義・地方自治が一挙に明治憲法のレベルまで逆戻りしてしまうということになります。94年当時に、米軍の北朝鮮に対する戦争に協力できなかった「苦い」教訓を繰り返さないため、日本政府は何が何でも有事法制をつくり上げようとしているということがお分かりいただけると思います。

 先ほど、名護の中にあるヘリポート建設条件付き賛成派の方々のお気持ちに触れました。そういう方々を含め私たち日本人が、「戦争なんてそうそうないだろうから」と考えて、安易な気持ちで、あるいは目先の利益だけを考えて、新ガイドライン・有事法制を受け入れるようなことになってしまいますと、アメリカが戦争を起こすときには、私たちも自動的に加害者の立場に立つことになってしまうということをはっきり自覚し、その結果について責任をとる覚悟がなければいけないということになります。なぜならば、何度も申し上げるように、新ガイドライン・有事法制は、私たち国民や民主的な地方自治体を丸飲みにした総動員体制を前提にしてのみ機能できる日米軍事同盟に変質するものであるからであります。それを受け入れてしまう私たちは、いざというときに、「私たちは何も知らなかったのだから、だまされていたのだから、許してください」と言ってももう遅いのです。

 アメリカの戦略において、沖縄の基地がどういう地位を占めてきたか、また、占め続けているかという点につきましては、これまでの審理の中で既に多くの指摘がありました。

 第2回の審理では、諌山弁護士が、沖縄の海兵隊がイラクに出動したことは、日米安保 条約の極東条項に違反するものであることについて指摘されました。同じ審理で、伊志嶺弁護士は、沖縄の海兵隊そのものが日本の防衛に充てられる部隊などではなく、全世界の紛争地域に殴り込みをかける戦闘部隊であることについても、詳しい説明をされました。つまり、米海兵隊は、日本の防衛とは何ら関係のない攻撃・殴り込み専門の軍隊であって、そんな軍隊が日米安保条約に基づいて、沖縄に公然と駐留していること自体が許されるはずがないことだとおっしゃたんだと思います。伊志嶺弁護士は、さらに、海兵隊が日米安保条約の適用があるアメリカの軍隊の範疇に入るのかという重大な問題をも指摘されました。同じポイントは、第4回審理において芳澤弁護士も指摘されました。

 沖縄県平和委員会の事務局長をしておられる大城さんからも、第7回の審理において、 嘉手納基地の歴史と、朝鮮戦争から湾岸戦争に至るまでに同基地が担ってきた戦争拠点としての役割、そして、新ガイドラインの下でさらに拡大されるであろう、同基地の軍事的意味について詳しい具体的なお話がありました。

 私が一つだけ補足するとすれば、既に述べたことと関連しますが、沖縄基地だけが戦争に巻き込まれるという、これまでの事態が続くだけではない、ということです。国民・全土総動員体制は、当然のことながら、沖縄県全体をも巻き込みます。

 このように考えてみたいただいたら、どうでしょうか。ベトナム戦争や湾岸戦争のときにも、沖縄の基地は全面的に動員されました。でも、基地の従業員の方々を除けば、沖縄県民、そして沖縄の民間企業や地方自治体そのものまでが動員される事態は、基本的にはなかったのではないでしょうか。しかし、今度朝鮮半島や台湾海峡で緊張が増大し、紛争が起こるようになれば、沖縄県の民間及び地方公共団体の施設や能力は、真っ先に動員徴用の対象になることは間違いないということです。しかも、「いざ」というときに、民間や地方公共団体の施設や能力は、米軍の思いどおりに動くことを確保するためには、いわゆる煙も立っていない平時から、動員すべき民間地方自治体を巻き込んだ演習や訓練が課せられるようになることも、目に見えているということであります。そして、先ほども申しましたように、一旦戦争が起こってしまった暁には、「沖縄は反撃の対象から免れる」などと、のんきに考えられる方がおられるとしたら、「極楽トンボ」と言われても仕方がないでありましょう。

 しかし、アメリカにとっては、朝鮮戦争・ベトナム戦争・湾岸戦争、さらには93年から94年にかけての「北朝鮮核疑惑」、95年秋から96年春にかけて起こった台湾海峡の緊張などを通じて、アメリカの軍事戦略における沖縄の基地を重視し、評価する姿勢は高まるばかりであります。ましてや、沖縄を含めた在日米軍基地の経費がほとんど日本政府によって支払われる(思いやり予算)という信じられないようなボ−ナスまでくっついている以上、アメリカが沖縄の基地を進んで手放すわけはありません。SACO報告に基づく沖縄の基地整理・統合・縮小の実態は、不必要な部分を恩きせがましく整理することを見せかけにしつつ、分散していて不都合な機能を強化するために統合するためだけではありません。普天間基地の名護の海上ヘリポ−トへの移転の筋書きが明らかにしたように、基地機能の縮小などではなく、反対に基地強化が目的になっていることは、今やだれの目にも明らかだと言わなければなりません。

 アメリカにとっての沖縄の基地の重要性は高まることはあっても、低まることはないということを考える上で、新崎教授が第4回の審理などで、土地の収用申請理由を国側が変えた点を追求されている部分は、非常に重要な問題点を提起しておられると思います。

 私も、新崎教授が提起されている、収用申請理由の内容の変化には重大な意味が込められているという認識に全く同感です。つまり、収用申請理由の内容の変化は、沖縄を中心とする在日米軍基地のアメリカにとっての戦略的位置づけが、明確に変化したことの反映だということであります。もっと具体的に言いますと、沖縄基地のアメリカにとっての重要性は、もはや、日本の平和と安全を守るために不可欠ということにあるのではなく、ソ連なき後のアメリカ一局支配の世界で、攻撃的・挑発的なアメリカの世界戦略を遂行する上で、沖縄の基地はますますなくてはならないものになっているということを、如実に反映したものなのであります。

 米海兵隊が海外で唯一沖縄に駐留しているという事実は、その集中的な表れであります。収用申請理由の内容の微妙な変化は、沖縄を含む日本の基地の機能・役割が、アメリカの戦略において本質的に変化したことを、日本政府としても暗に認めざるを得ないということを反映しているに過ぎません。

 以上申し述べてきたことから、沖縄の米軍を撤去させることがどれほど大きな意味を持つかということは、おのずと明らかになってきたのではないかと思います。以上の陳述をまとめる意味を込めて、数点に整理して、在沖縄米軍基地を撤去させることは、いかに巨大な歴史的な意義をもつことになるかということについて、申し述べさせていただきます。

 収用委員会が地主の方々の正当な権利をお認めになる結論を、可及的速やかにお出しになることは、在沖縄米軍基地の機能を維持することを不可能にし、ひいては米軍の撤退という問題を現実の課題として、日程に上らせることにつながるでありましょう。そのことは、以下に述べますような巨大の歴史的な意義をもつ数々の変化を生み出すことは、期して待つべきのものがあります。

 まず、米軍の沖縄基地を撤去させることは、アジア太平洋地域における戦争原因の最大のものを除去するという意味をもつことは、誰の目にもすぐ明らかなことであります。沖縄の基地を自由に使用できないでいる米軍は、日本を戦争の発進基地・兵たん基地として考えることができなくなるということですから、要するに手足をもがれたのに等しいことになるからであります。

 次に、米軍の沖縄基地を撤去させる日本は、国際社会に対する関わり方を大きく変化させる可能性を現実のものにすることが、可能になります。沖縄の基地を自由に使えなくなるアメリカは、日本本土の基地を拡大し強化するということを考え、日本側に強要するという可能性は確かにあります。

 しかし、今の名護の闘いで勝利し、大田知事がヘリポ−ト基地移転拒否をきっぱりと表明し、この収用委員会が公正な結論を速やかに下される状況を前提にしたとき、本土の私たちは、そういう沖縄の闘いから必ず多くのことを学びとるはずであります。いくら本土の人間がこれまで無関心・鈍感だったからと言っても、そんなアメリカの対日要求や、それに従おうとする保守政治を許すほどに愚かであり続けるはずはありません。

 つまり、米軍の沖縄基地の使用を不可能にするということは、名護の闘いが赫々たる成果をおさめるとともに、必ずや対米追随に徹してきた戦後の日本の保守政治そのものの支配の正当性という問題に、国民の目を向けさせるに違いありません。

 橋本政権に対する国民の不信は、今や最低レベルです。最大の政治公約であった行政改革は、迷走を極め、戦後保守政治に対する国民の支持をつなぎとめてきた経済は、今やすべての国民を不幸のどん底に突き落としかねない様相を呈しています。橋本首相の命運は、今やアメリカが彼を支持し続けるかどうかにかかっている、と言っても過言ではないでしょう。海上ヘリポ−トの建設は、橋本首相にとって、「首の皮一枚」にあたるものです。そういうときに、収用委員会が、速やかに沖縄の基地に関わる根本の問題について公正な結論をお出しくだされば、海上ヘリポ−トの問題そのものが吹っ飛ぶ効果をもちます。その結果、保守政治の動揺と混迷は不可避となるでしょう。政府がもくろんでいるこの国会で、有事法制を上程し、成立させるという筋書きそのものを突き崩すことも、決して不可能ではなくなります。

 私たち国民の立場から言えば、戦後の保守政治によって支配されてきた日米関係、ひいては、日本と国際社会との関わり方について初めて自ら政治の真の主人公として考え、行動するという機会を自らの力によって手元に引きよせる、ということになるでしょう。

 ということは、米軍の沖縄基地撤去を可能にする日本は、国民が政治の主人公となる、人権・民主主義・平和を立国の基本とする、つまり戦後日本において初めて平和憲法を実践する日本に生まれ変わる可能性をも、手元に手繰り寄せることになるということであります。

 そういう日本は、戦後保守政治が一切無視し、ねぐってきた日本軍国主義による侵略戦争・植民地支配の加害責任を、正面から承認する日本として生まれ変わるでありましょう。

 そういう日本は、新ガイドライン・有事法制による日本の軍事大国化を深く懸念している、かつて日本軍国主義に蹂躙されたアジア諸国を含めた国際社会の信頼を回復することができるに違いありません。

 そういう日本は、アメリカがなお軍事力に頼って国際社会を自分の思うままに動かそうとする場合には、広範な国際世論を背景にして、しっかりとチェックする力量を発揮することになるでありましょう。なぜならば、日本は国際経済、ひいては国際社会全体の動向を左右できるだけの力量を備えた、したがってアメリカとしての到底無視することができない大国であるからであります。

 そして最後に、米軍の沖縄基地を撤去させ、日米軍事同盟関係を徹底的に清算することによってのみ、日米関係そのものを、非軍事のまったく新しい基盤の上につくり直す可能性を生み出す展望が開けてくるでありましょう。

 アメリカが国際環境を自分の思いのままになる形、これをクリントン政権は「国際共同体」という呼び方をしておりますが、そういう形につくり変えるという発想は、他の国々がアメリカの言うなりになることを前提とし、また、最終目的としているという点で出口のないものであるということは、はっきりしています。今の保守政治が支配する日本は、例えてみるならば、出口のあり得ない迷路の中で、アメリカがもがき続けることを手助けしているようなものです。日本はそんなアメリカを手助けすればするほど、国際社会は苦しみ、アメリカは疲弊し、日本自体もますます体力が衰弱していくことになるのであります。

 日本の明るい未来、日米関係の明るい展望、そして国際社会全体の平和と繁栄に向けた可能性は、この収用委員会の皆様が、公正な結論をお出しになることによって、限りなく大きく広がることは間違いがありません。もう一度、皆様が歴史に燦然と輝く、そして日本を真に人権・民主主義・平和が基調となる国家に生まれ変わせることを可能にする、明快な結論を早急にお出しくださることを心からお願いして、私の発言を終わらせていただきます。

 ありがとうございました。

 当山会長:

 はい、大変ご苦労さまでございました。それでは、次に加藤俊也さん、お願いします。


  出典:第11回公開審理(テープ起こしとテキスト化は仲田、協力:違憲共闘会議)


第11回公開審理][沖縄県収用委員会・公開審理][沖縄・一坪反戦地主会 関東ブロック