沖縄県収用委員 第7回会審理記録
伊佐冴子
伊佐冴子:
今、新里先生のお話を聞いて、すごくショックを受けています。わたしも小学校の教師なもんですから、二度と、二度とじゃないですね、そういう経験は絶対にしたくないなって、ほんとにそう思っております。
あの、わたしは嘉手納飛行場の地主の伊佐眞徳の代理人で、伊佐冴子といいます。現在、嘉手納小、嘉手納町立の嘉手納小学校に勤務している、小学校の教師をしております。すいません、すこし、急ぎましょうね。
えっと、本日の公開審理にあたり、基地が教育に与える影響について、具体的に意見陳述し、問題を提起したいと思います。
スライドをお願いいたします。一度、屋良小学校の位置を少し確認したいと思います。えっと、これは航空写真で、嘉手納町を上から見たんですけれども、ここが嘉手納町ですね。で、その中に、屋良小学校、嘉手納高校、そして、嘉手納の小中学校がここにあります。ありがとうございました。えっと。ご存じのように、嘉手納は83%が基地に取られております。のこりの17%のわずかな部分に1万3000人の人が住んでいるんですけれども、先ほど見たように、屋良小学校はその、嘉手納基地のフェンスからたった、200メートルしか離れていません。そして、すこし遠いっていうんですかね、嘉手納高校でも500メートルというところです。スライドのほうが映ってしまっているんですけれども、ちょっと待って下さいね。
今の新里先生に重なるんですけれども、米軍用機の墜落事故の恐怖についてちょっと述べたいと思います。嘉手納基地に常駐しているF15イーグル戦闘機は、パイロットの顔が識別できるような超低空で民間地域に突っ込んできます。常に離発着を繰り返しタッチアンドゴーの訓練やらアクロバット飛行、米軍空母艦載機の夜間着陸訓練。およそ法治国家の区域とは思えないことがこの嘉手納の空では日常茶飯事に行われています。いつ事故が起きても不思議ではありません。
えっと復帰後、米軍機の事故は127件も起きています。スライドをご覧下さい。その中の墜落事故は沖縄本島とその周辺にまたがっています。沖縄の空は危険でいっぱいです。最大の事故が先ほどの、宮森の事故、ですね、これもスライドがあったと思います。お願いします。宮森の事件です。この時には、死者17名、重軽傷210名、校舎3教室、民家17軒を全焼するというほどの大事件だったそうです。
次は嘉手納地域における墜落事故になりますけれど、1962年12月にボーイングKB50型米軍救援機が着陸に失敗して、嘉手納地域の民家に墜落して死者2人重軽傷8人、家屋8棟が全焼しています。それから1966年5月にはKC135空中給油機が、県道74号線に墜落。付近を走行中の嘉手納町民1人が死亡し、付近の草原は広い範囲で燃え、隣接する爆薬地帯の延焼が心配されました。
1968年にはB52の戦闘爆撃機墜落爆発がありました。これ、B52が出撃するときのスライドです。
それから、スライドを続けて下さい。えっと、これ。弾薬庫近くですので、爆弾を運搬している時のことですね。
それから、この、1961年の11月B52戦略爆撃機の爆発があったんですけれども、その時の村民の重軽傷者が16名、校舎、住宅など、365軒の被害。その時真っ赤な火柱が未明の夜空を焦がし、空から、爆弾と飛行機の破片が2.6キロ離れた嘉手納ロータリー付近まで飛んできて、町民を恐怖に陥れています。核ももしかしたら、保管されているといわれている広大な弾薬庫が近くにあって、沖縄本島全域が一瞬にして焦土と化する危機一髪の状況にあり、沖縄中を心配させました。
最近のことですけれども、1994年4月4日、F15イーグル戦闘機が嘉手納弾薬庫地区内の黙認耕作地地帯に墜落し爆発炎上しました。続いて写真出ますか。その時には、幸いにも、建物の被害や人身のほうには被害はなかったものの、付近には弾薬を始め、観光施設や住宅があり、一歩間違えば大惨事を引き起こしかねない事故でした。
普段、飛行機はそう簡単には、墜落しないと考えがちですが、嘉手納基地を起点として起きる航空機事故を見てみるとその常識は通用しないようです。先ほど述べた含めて復帰以来、大きな惨事を招きかねないような米軍墜落事故が36件も起きております。スライドありがとうございました。
さて、ここで2年生の女の子の書いた作文を紹介したいと思います。
わたしの通っている屋良小学校のすぐ近くに嘉手納飛行場という大きな飛行場があります。勉強しているときに大きな爆音が聞こえて、勉強に集中できないことがあります。運動場で体育をしているときは、あんまり大きな音なので、空から飛行機がおっこちないかと思うくらい恐いです。わたしのお母さんが子どもの頃に、本当に飛行機がおちたことがあったそうです。「夜寝ている時にものすごい音がして窓が真っ赤になって飛行機のかけらがバラバラ降って、とても恐かったんだよ」と話してくれました。お母さんのような恐い思いは絶対にしたくないです。
いかがでしょうか。関連して屋良小学校で行われている避難訓練についてお話ししたいと思います。どこの学校でも子どもたちの安全のために、火事や地震の時の避難の仕方を訓練しますが、屋良では、それに加えて万が一の飛行機墜落事故を想定しての訓練を実施しています。火事などの時は、運動場の端が避難の場所になるんですが、この時は、校内を出て、近くの公園まで避難します。地域柄とはいえ、このような飛行機事故を想定しての避難訓練なんて他では見られないような悲しい訓練だと思います。
子どもたちは嘉手納町に嘉手納基地がある限り、戦闘機が飛ぶ限り墜落事故と隣り合わせの生活です。事故の不安に脅かされることがなくなるのは何時の日なのでしょうか。
さて、次に嘉手納基地からの爆音被害について述べます。えっと、これからの説明も沖縄県の環境保全課と嘉手納町基地渉外課から出された資料をもとに行います。この表は1992年から1996年の5年間に嘉手納飛行場から発生した70デシベル以上、5秒間以上継続の爆音を屋良小学校の屋上に添え付けられた測定器からのデータです。
これを分析してみると第一に、92、93年に比較して94.95.96年は爆音化がひどくなっています。つまり訓練が強化されて爆音被害の深刻の度合いをますます深めているということです。
第二に午前7時から午後7時までの時間帯に爆音が集中しています。これは子どもたちの学習時間帯に集中しているということです。1日平均106回の爆音被害、1日累計時間は約50分となります。スライドお願いします。
それから1995年度の70ないし79デシベルの爆音は2万5682回、80から89デシベルは9614回、90ないし99デシベルは2359回、100デシベル以上が83回となっています。合計して3万7735回におよんでおります。参考までに先ほど出たんですけれども、騒音の人体に与える被害について、この表をご覧下さい。それが継続するとまず、70デシベルで血圧が上昇、80デシベルでは疲労の原因となる。90デシベルで消化が悪くなり、100デシベルを越えると難聴になると指摘されています。
大阪国際空港公害訴訟についての大阪判決では、騒音が会話の妨害となり、注意力の集中や複雑な思考、判断力を要する作業になると作業妨害が著しい、と認定しています。そして、騒音の教育に対する影響の中では、騒音による授業の妨害は55デシベル程度で生じるとし、児童生徒の側からすれば航空機飛来の都度、気が散り学習能力が低下することは、読書の中断や作業妨害についてと同様であると厳しい判断をしています。
わたしたちの子どもたちは学校にいる間は、一応、校舎は防音になっていますので、えっと、窓を閉めている限り、それほど気にしないでも済ませられるんですけれども、体育の時間とか、それから体育館の中でも集会の時などは、話が中断されますし、もちろん授業も中断されることがよくあります。また、家に帰ってからも、常時爆音が付いてまわるもんですから、家庭学習の時間、集中できないよと言う話が、特にわじわじーするのは、好きなテレビを見ているときに、画面がちらついてなかなか、爆音のためにテレビが見れないということを子どもたちは話しています。
爆音が児童生徒の発育や人格形成に及ぼす影響は多大なものがあり、それは子どもの基本的人権を奪うものとして、絶対に認められるものではありません。
さて、つぎに環境整備による子どもたちへの二次的被害について触れておきたいと思います。今、爆音の影響について述べましたが、国は、その対策のために、防音校舎を建てました。現在町内の4校は全館冷房装置の立派な防音校舎です。防音・冷房校舎にしてしまえば、事足りると考えているのでしょうか。嘉手納小学校教諭の山本たかしさんらのグループが、爆音対策による二重サッシ窓での防音校舎で学ぶ児童たちは、防音や冷房のない校舎で学ぶ子どもたちよりも、風邪をひく割合が高いという調査結果をまとめています。これは町内の二つの小学校と防音冷房校舎のない小学校を比較したものなんですけれども、防音校舎の子どもたちは年間を通じて欠席者が多い。中でも風邪による欠席率は2倍から3倍になっていると指摘して、爆音被害を避ける環境整備のための防音校舎が逆に子どもたちへの二次的被害を与えていると問題提起をしています。
つけ加えますと、冷房を使えますのは5月から11月までです。それ以外の月はどんなに暑くても冷房を入れてもらえません。反対に全館冷房ですので、各教室に対応することができずに、場所によっては冷えすぎて寒さを訴える子もいます。体調を崩しやすい環境だということです。もちろん、窓を開けて室内の空気を入れ換えるとすれば、音も一緒に取り込んでいきますので、そういうことはなかなかやりません。えっと、窓を閉めっぱなしの校舎は、情緒の面からも好ましいものではありません。自然の風や自然の音の中でこどもたちは健康で豊かに育つものと思いますが、基地は、そのようなすこやかな成長をも阻害するものだということを理解して欲しいと思います。
さて、もう1点、子どもたちに関わることを聞いて下さい。6年生の男の子の作文にこんなことが書いてありました。
嘉手納は8割が軍用地で、住宅は2割しかないので、友達がどんどん転校していく。さびしい。
この子のいうように、町内の小中3校の児童生徒はかなりの勢いで減少しています。去年90周年を終えた屋良小学校ですが、30年前まではマンモス校で在籍1000人を越えていました。その後徐々に在籍が減って10年後の1987年ではその半分の500人になっている、現在は在籍386人です。この十年の間に平均して年間11人余りの子どもが転出していっています。去年は18名の子どもが転出しました。そのうちの読谷村への転居のための転校です。お分かりでしょうか。町内に新築のための宅地が得られないので、やむなくとなりの市町村に住宅を求めて転校していく。土地は相続したのだけれども宅地は造れないと言うようなことがあるわけです。これも基地がある故のことです。で、嘉手納のお年寄りが集まると、そのうちに子どもたちがいなくなって、屋良小学校はなくなってしまうんじゃないか、という心配の声が出てくるんだそうです。
以上、墜落事故の危険性、そして、爆音による心身の発達への阻害、土地の閉鎖性の観点から基地と教育について述べて参りました。基地を目の前にしている子どもたちは、そこからさまざまな悪影響を受けます。教育的見地からも基地の犯罪性は明らかであり、収用委員会はそのような視点からも検討され、子どもたちの現在および未来を保証するすばらしい判断を下されることを切望します。
最後に子どもの作文を朗読し、意見陳述を終わります。
爆音が響く町 屋良小 5年男子です。
ゴウゴウと毎日鳴り響く爆音。そのうるさい音を聞いて僕は育ちました。ひどい子守歌だと思います。僕の住んでいる嘉手納町は、朝、昼、夜と時間に関係なくうるさいのです。特に屋良小学校は滑走路に近いので、ジェット機の音といったら大変なものです。教室では先生の声が聞こえなくなったり、体育の時は耳が痛くなったりで、ちっとも気持ちが集中できません。こんな時にうるさい、もう飛行機がたくさんだ。飛んでほしくない、と思います。でも、いくら僕がそう思っても爆音は止まることがありません。とてもくやしいです。時々、夜遅くまで起きてきても、飛行機の音がします。昼間とは違う音です。父に聞くとエンジン調整をしている音だよって言いました。どうしてみんなが寝る時間にそんなことをするんだろう。飛行機も休ませてあげたらと思います。
僕は時々、どうして沖縄にアメリカ軍の基地があるんだろう。基地って何だろう。戦争はしなければならないものだろうか。どうして戦争をするんだろう。あんなにたくさんの人が死んでしまうのに。と思ったりします。僕たちの沖縄が人殺しの手伝いをしているみたいでとてもいやな気持ちになります。なぜ、みんなの大切なお金を人殺しをするための道具に使うんだろう。そんな無駄遣いはやめてほしいと思います。世界中には食べ物や薬がなくて死んでしまう人がたくさんいます。そのお金をそういう人たちのために使えば命を救うことができるのに。
僕たちの沖縄では、基地があるために、いろいろな事件や事故が起こっています。今、基地を無くそうと沖縄は努力をしていると聞きました。早く基地のない沖縄になればいいなと思います。僕がこの作文を書いている今でも、爆音が鳴り響いています。うんざりします。一日でも早く、静かな基地のない町になってほしいです。
以上です。
(拍手)
当山会長:ありがとうございます。えっと、お陰様で本日の質疑、おおよそよそう通り終了いたしました。次回の公開審理は沖縄コンベンションセンター劇場棟で行います。10月22日水曜日、午後1時より開催いたします。入場受付は午後0時30分から開始いたします。本日は大変お疲れさまでした。