沖縄県収用委員 第6回会審理記録

高宮城清 反戦地主


当山尚幸会長:

 それでは第6回公開審理をはじめます。はじめに、わたくしより、収用委員の紹介をいたします。なお、今回から委員がふたりかわりましたので、よろしくお願いいたします。わたくしが会長の当山尚幸です。わたくしの右側から、渡久知政實会長代理です。えー、つぎに大城宏子委員です。そして、さる7月31日に委員に就任した浦崎直彦委員です。よろしくお願いいたします。わたくしの左側から、西賢祐委員です。続きまして、比嘉堅委員です。そして、さる8月1日に委員に就任した上間瑞穂委員です。よろしくお願いいたします。審理進行について、

 (会場から、「正々堂々とやれよ」と激励の声)

はい、ありがとうございます。審理進行のご協力についてお願いがあります。意見陳述者はわたくしから指名いたしますので、指名された方のみ意見を述べてください。勝手に意見を述べないようにしてください。審理記録作成のため意見陳述者はマイクを使用してください。本日は、あるいはないかと思いますが、起業者那覇防衛施設局の方は、職名および指名を述べてから陳述を行ってください。土地所有者は自己に権利に係る施設名および氏名を言ってから陳述を行ってください。

 えー、本日の審理がスムーズに進行でき、多くの方が意見陳述できるよう、審理に参加しているみなさまのご協力をお願いいたします。

 まず、審理の進め方ですが、本日は伊江島補助飛行場に関します前回の残り分をまずやっていただきます。で、引き続きまして、瀬名波通信施設に関する意見陳述がございます。そして、嘉手納弾薬庫に関する意見陳述、という予定でございます。

 えー、では、まず、最初に高宮城清さん。よろしくお願いいたします。

阿波根昌秀:

 あの、すいませんけど、代理人の阿波根なんですけど、一言、地主を代表してですね、兼城前会長さん、が、逝去されましたことを、哀悼の意を表明させていただきたいと思うんですけど、よろしいでしょうか。

当山会長:はい、どうぞ。

阿波根昌秀:

 あの、実はあの、先週末ですか、兼城前会長の訃報に接しまして、ほんとにこころから、ま、私共としてはほんとに突然のことでしたので、びっくりいたしましたし、わたくしども残念に思いました。ご遺族の方に対してですね、こころから哀悼の意を表明したいと思います。

 ところで、あの、兼城会長はですね、第1回の公開審理、たしか2月21日でしたが、沖縄コンベンションセンターで開かれましたが、第1回公開審理において、収用委員会は独立した準司法的な機関であるんだと、だから、会長としてこの審理はですね、どちらにも偏らない公平中立な立場で、公平な審理、実質審理をしていくんだという決意を表明されました。これまで、5回公開審理が行われましたけれども、この公開審理はですね、この会長さんの遺志に従って、沿った形でですね、審理が進められてきたもんだとわたしはそのように考えています。そのように理解しています。で、この会長さんの遺志を今後も貫いて頂きたいというふうに考えます。あたらしく委員になられました、上間先生、浦崎先生、前会長のこの遺志に、どうぞですね、受けて、公平な中立な審理をぜひ、進めていただきますよう、こころから、お願いいたします。えー、前会長のですね、ご逝去に対して、心から哀悼の意を表明いたします。どうも、失礼いたしました。

当山会長:ありがとうございました。それでは、お待たせしました。高宮城さん。よろしくお願いいたします。

高宮城清:

 わたくしも兼城前会長のご冥福をお祈りいたしましてから、述べたいと思います。わたくしは嘉手納基地内に100坪あまりの土地を持つ契約拒否地主の高宮城清であります。

 1955年6月13日、食べる物が尽きてしまった伊江村真謝の区民が約80名で構内にはいり、自分達の畑の芋を掘り始めました。しかし、間もなくやってきた武装米兵達に全員が捉えられ、その内の元気そうな男たちはその日のうちにヘリコプターで嘉手納へ運ばれ、翌日当時のコザ警察署の構内にあった建物のなかで軍事裁判にかけられました。当時わたくしはコザ市に住んでいて、その情報に接し、仕事を休んでその裁判を傍聴しましたが、それは、弁護人も置かれず、あまりにも一方的で、裁判といえるものではありませんでした。

 傍聴を終えて帰宅しましたが、裁判のことがあたまから離れず、その夜は寝ようとして寝られず、その裁判の様子を記しておこうと思い、ペンを取りました。文才のないわたくしですから、まとめあげるのに長時間を要しましたが、書いているうちに、講和条約の 締結で、わたくしたちの沖縄を切り捨て、本土だけが独立を取り戻した事への憤りの念がむらむらと湧いてくると同時に、平和憲法を持つ母国の懐に入りたいという気持ちがますます強まってくるのでした。

 では、わたくしの拙い詩ではありますが、それをここで披露して、米軍政下における土地強奪が如何に野蛮なやり方で行われたか、それをいかなる日本の法律をもって合法化しようとしても、土地強奪を正当化できるものではないということを訴えたいと思います。

 では、読ませていただきます。

 軍事即決裁判

 小さなコンクリート建ての裁判所
 基地の街の裁判所
 それは軍事裁判所である
 そして僕はきょう初めて知った
 罪人によって検挙された良民を
 実にてきぱきと裁いてしまうところだと
  目の前の
  五脚の長い腰掛けに
  土にまみれたぼろをまとい
  ひげをぼうぼうとはやした
  三十二名の農夫が今裁かれている
  彼等のある者は
  どろだらけのゴム草履を……
  ある者は雨ぐつをはき
  そして
  大部分の者はハダシのままだった
  うら若い18才くらいの青年や
  六十二才の年寄もまじっていた
 証人台には
 四人の鬼のような米兵が坐っていた
 彼等の腰にはピストルが下がっていた
 彼等の青いくぼんだきつい目は
 時々、農民たちをにらみ降していた
 そしてまた
 時々
 何か沖縄人通訳とべらべら話しては
 ゲラゲラ笑ったりした
  間もなく米兵の証言が始まった
  農耕をしていたのに
  「坐り込みをしていた」といい
  一戸にしかくれていない材料を
  「十三戸に与えた」といい
  強制立退き後の住民の
 「幕舎生活は三十日だ」と言っていた
  実はその日で
  ちょうど九十日目だったのに……
 続いて
 被告の中の一青年が発言を求めて
 これらの証言を
 かたっぱしからくつがえしたが
 つづいて
 判事シャドウィ少佐による
 尋問が始まった
  貧弱な農民であるが
  正直でねばり強い態度に
  行き詰まった判事は
  「お前はウソをついている
  偽証罪だ、偽証罪だ」と
  顔を真っ赤にしてわめきおどしていた
 そして、最後に
 判事の論告があった
 「君たちは
  一部の人たちに誘導されている
  彼等は
  君達の犠牲をタテにして
  あくまでも軍と戦おうとしているのだ
  君達は罪をおかしているから
 この法廷は
 君達三十二名のひとりひとりに
 三か月の有罪を言い渡す
  だがしかし
  一か年の執行猶予にしてやる
  二度と一部の人びとに誘導されるな
  もし今後一か年内に
  いかなる罪にでも問われたら場合は
  この“三か月”に
  新しい罪を合わせて罰する……
  琉球政府に相談してあるから
  本部町までは
  琉球政府の援助によって帰りなさい」と
   あ々
   なんたる暗黒の島沖縄であろう
   承諾もせぬままに……軍は
   伊江島真謝部落の
   三十戸の農民から
   各々半分以上の土地を取上げ
   四十九戸の農民の土地を全部うばい
   そのうち
   十三戸の立派な家屋を
   ブルドーザーで押し倒してすきならし
   あるいは建ったままの家に火を放ち
   逃げまわる山羊をまとに
   射撃のけいこをし
   食と住の一切をうばい
   死ぬに死ねず
   柵内で自分の土地を耕せば
   不法入域で三か月の刑である
  すでに
  与那城ツルさんの如きは
  こどもらに与える一握の米もなく
  泣きながら……
  泣きながら……
  十七才のわが子を
  わずかばかりの金で
  糸満の漁夫に売り渡している
 六月十三日に逮捕された人々の
 明十四日の軍事即決裁判の
 傍聴者もわずか九名であるのに
 二十名余の
 私服や制服警官の配置される沖縄
  そしてまた
  きょう
  六月十五日の島内新聞は一斉に
   「民生官立法院へ警告」との見出しで
   「もし伊江島問題にのみ没頭し
   予算案が年度内に成立しない場合は
   議会の解散を勧告する用意あり」と
  おどしている
 昭和十六年末
 祖国日本のしでかした戦いは
 四年たたずして敗戦におわったが
 気がづいたときはすでに
 われわれの沖縄は
 祖国から切り離されて
 アメリカの手にぶら下げられていた
 そして、アメリカは沖縄を
 焼いて食おうとでも思っているのか
 にえたぎる油のなかに
 すでに足をつっ込まされてる
  いま!! 沖縄は!!
  祖国にこう叫んでいる
  「お母さん……
   おとうさん……
   おにいさん……
   おねえさん……
   もし僕がまま子でないなら……
   もし僕がまま兄弟でないなら……
   家族団結して
   僕を連れ戻してくれ」と
 僕は
 今泣いている
 僕は今、男泣きに泣いているのだ
 あの
 罪なき伊江島の
 ぼろをまとった農民たちの
 口を封じられて裁かれている
 涙を
 にくしみにもえた顔が忘れられずに

 以上です。終わります。

(拍手)

当山会長:はい、ありがとうございます。では、長野真一郎さん。


  出典:第6回公開審理の録音から(テープおこしは比嘉

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