第三部「換骨奪胎」メディア汚辱の半世紀
電網木村書店 Web無料公開 2004.2.9
第十三章「独裁主義」の継承者たち 6
「公開質問状」に答えない読売広報部の大手メディア体質
一九九二年三月初旬には、読売から佐川急便への土地売却に関するTBSの疑惑報道が、訴訟騒ぎに発展して週刊誌種にもなった。この報道をめぐる訴訟合戦をきっかけに、わたしは急遽、ブックレット型の『マスコミ大戦争/読売VS TBS』を書き上げ、その秋に発表した。本の形式も、夏場の執筆という異常事態も、訴訟の進行状況に合わせたものであった。
それまでにも様々な資料を収集していたが、できれば事実関係についての本人の主張をも確かめ、合わせて紹介したかった。そこで、読売には同年七月初旬にまず電話をし、予備折衝として七月一〇日に読売新聞本社で山室広報部長と面談し、「八月一杯」という期限を切って、渡辺への直接取材を申し入れた。
別れ際に山室は、「ご参考までに……」といいいながら『女性自身』(92・7・21)を手渡してくれた。暗に、こういう記事を書く気なら会見は実現できるかも、と匂わせる雰囲気であった。
帰りの電車の中でめくってみると、「シリース人間No.1193」「大いに吠える!/僕の放言実行人生」という題で、「まさにアッパレ!」とまで渡辺を持ち上げている。これぞ「まさにアッパレ」な提灯記事の典型だった。わたしは「なめられたものだ」と一人苦笑したが、山室には旧著ほかのわたしの文章を提供しておいたので、その内容を見たせいかどうか、その後の読売の対応は変化した。
当方が希望した期限では日程がとれないという理由で、渡辺への直接取材は断わられた。山室広報部長は、質問項目を詳しく書いてくれれば渡辺に取りつぐなり、代わりに自分が答えるなりしようという。だが、まさか天皇への質問ではあるまいし、それでは話にならないと、今度はこちらから断った。そして、完成した本そのものを、読売新聞への「公開質問状」とする旨を伝えた。
山室からは、その後再び、「その本の中で公開質問に答えることはできないか」と問い合せがあったが、「それでは公開質問にならない。必要があれば読売が別に公開の場で回答すべきだ」と伝え、再度、断った。「回答もしくは公開論争の場所は、裁判所であっても構わない。受けて立つ」と明言し、完成した本は、直接、山室に手渡したが、以後、何の反応も得ていない。
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